勘のいい人はタイトルを見て、「ああ、今回はテレビの事をけちょんけちょんにけなすのかなあ」と思われるかもしれない。
その通り。今回はテレビをけなす話である。
僕はほとんどテレビを見ない。
テレビをはじめマスコミという物を全否定する気はないが、かなり疑いの目で見ている。
第一にテレビは作り物である。
どこかのだれかが作った物である。
これを認識していない人が多い。
その作り手によっては毒にも薬にもなる。
そして今、その毒のなんと多いことか。
その毒にかなり早いうちに気が付いたので、若い頃から見る番組は限られていた。
以前にも書いたが、我が家では親父が僕たち兄弟の前でテレビを叩き潰し、テレビの無い少年時代を送った。
このことは自分の人格形成にもとてもよかったと思っている。
テレビを叩き潰してくれた父親に感謝である。ありがたや、ありがたや。
大人なら自分をコントロールできるが、子供はコントロールできない。
知らず知らずにテレビに中毒になっていた自分には、それぐらいのインパクトが必要だったのであろう。
テレビが無かったので家ではラジオをよく聞いていた。
ラジオも作り物なのだが映像が無い分、想像力を伸ばすという点では良かったと思う。
そして本を読んだ。とにかくたくさんの本を読んだ。
マンガも読んだが小説も読んだ。
本は自分でページを開き、字を目で追い、そして理解して頭の中で想像化する。
こういう面倒くさい作業を知らず知らずのうちにやっている。
テレビは基本的に受身である。
チャンネルの選択はあるものの、基本的に与えられた情報を受け入れる。
想像力はなくとも映像という物の力で分かった気になってしまう。
そして又、中毒性もある。
たまに、見ないのにテレビをつけっぱなしにする人がいるが、あきらかに中毒だ。
「音がないとさびしいから」自己を正当化する言い訳だ。
情報を垂れ流しにしていれば、意識は情報の方、自分にとって外側へ向き、自己の内面を見つめるという本当にやらなくてはならないものから目を背けることができる。
その情報とはどこかの誰かが自分達に都合の良いように作り上げた物、ということに気づこうとしない。
洗脳である。
以前出会った、芸能人のマネージャーが言っていた。
「映画の人達は中身があるけど、テレビの人は中身がない」
なるほどなと思った。
映画とテレビの違いは誰がその仕事にお金を出すかである。
映画は基本、見る人がお金を払い劇場に足を運び作品を見る。
そこには受け手の行動の判断がある。
テレビの場合お金を出すのはスポンサーだ。
スポンサーの気に入らなければどんなに良い作品を作ろうが日の目を見ない。
当然ながらスポンサーにとって不利な情報は流れない。
そんなことを言うタレントは即刻降ろされる。
今は無き元RCのキヨシローがライブで「エースコックは体に悪いぜベイベー」と言ってコマーシャルから降ろされたし、最近では山本太郎が原発反対を唱えたら仕事を干された。
御用学者という人達も存在する。
権力者にとって都合のいい事をもっともらしく言う。
「放射能は身体に良い」「原発が無ければ電気は足りなくなる」などなど。
考えずに見る人は「学者の言う事だから」「偉い人の言うことだから」ということで信じてしまう。
権威への弱さがここで現れる。
本質を見極めない人は権威に弱い。
特に国際的な権威は絶対的だと思っている。
世界遺産がいい例だ。
以前、世界遺産を特集した番組を見た。
そこでは司会者が「世界遺産に選ばれることがいかに名誉であるか」というようなことを繰り返し言っていた。
それ自体は何も間違っていないが、その裏に見えるものは世界的権威を利用した番組作りだ。
ある場所が世界遺産に認定されるとどうなるか。
それまで見向きもしなかった人々が押しかけ、静かに取っておくべき世界遺産は観光地となる。
ゴミは増え道は整備され開発への流れとなる。
ツアーの名目も「世界遺産を巡る旅」というものになる。
さらにそうなると、人を集めるために、地域の活性化のために自分の場所も世界遺産に登録しようとする人も出てくる。
本末転倒だ。
以前のワークメイトが言っていた。
「世界遺産なんてものはどこかの誰かが線を引いて決めた物で、それ以前からこの国の自然はここにある」
まったく同感だ。
ケチを付けたがる人に一言言っておく。
世界遺産が悪いなどとは言っていない。
世界が一つになり、人類の遺産を守ろうという態度は納得できる。
納得できないのは、それを利権のために利用する事、そしてそれに踊らされる事なのだ。
似たような話はある。
ノーベル賞、オリンピック、ワールドカップ、数々の国際会議などなど。
今の世の中、特に日本ではテレビの影響は大きい。
テレビで納豆が体に良い、と言えば次の日スーパーで納豆が売り切れとなる。
そこである情報がやらせだったと分かれば「テレビで良いって言ったから納豆をたくさん買ったんだ。どうしてくれる!」などという訳の分からんヤツも出てくる。
「どうしてくれる?」などと言われたら「食えばいいじゃん。テレビで言おうが言わまいが納豆は体に良いんだから」ということはテレビ局の苦情受け付け係は言わないだろう。
平謝りに謝り、ひょっとすると見舞金でも渡すのかもしれない。
こうしてクレーマー一丁できあがり。毎度ありー、ちーん。
テレビの宣伝効果は大きいので自分の商品を取り上げてもらおうと業者は番組の製作者に賄賂を渡すかもしれない。
そうやって購買意欲を駆り立て経済は回っているのだろうなあ。
さらにテレビは本当の事を言わない。
「エアコンよりテレビの方が消費電力が高いので、節電にはテレビを消しましょう」とは絶対に言わない。
「原発に反対するため何万人もの人が集まりました」これも言わない。
「今回の選挙で不正選挙の疑いがあります」言わないなあ。
今やニュースもエンターテイメントだ。
ハリウッド映画も同じだが、真実を少しだけ混ぜもっともらしく番組を作り上げる。
そうやって民衆というものを同じ方向に向けようとしている。
その方向とは権力者にとって都合の良い方向だ。
ある統計では若い人のテレビ離れが進んでいるそうな。
まことによろしい。
今はPCの普及により、情報は自分で選ぶ事ができる。
与えられた情報ではなく、自分の判断で情報を選び、では自分はどうするか、と考える。
自分が選んだ情報が間違っていたことが後から分かれば、それは自分の責任。
「いやいや、すっかり騙されちゃったなあ、あっはは~」と笑い飛ばせば良いのだ。
僕もすっかり騙されていた情報を一つ。
アメリカの911テロの映像。
飛行機がビルにどっかーんと突っ込む映像があった。
あの映像、お昼のニュースでは飛行機が突っ込むシーンはなくただビルが爆発するだけだったが、夕方のニュースでは、なんとそこに飛行機がしっかりと写っていた。
そして僕をはじめ世界中の人が見たものは夕方のニュースの映像だ。
あれを見たときに「飛行機があの高さでビルに突っ込んだらあそこまで崩壊するのかな」と自然な疑問を持ったのだけど、御用学者がもっともらしい事を言い、僕もなんとなく納得してしまった。
いやいや、すごいではありませんか。
世界中をペテンにかけた大茶番劇。ハリウッド映画も真っ青。
さすがアメリカ、やることがでっかいね。
ただ、今やネットのおかげで茶番劇の種明かしまでされてしまっている。
まあテレビとはそういう物だ、と思えば腹も立たない。
そしてその後の世界の流れを見れば、そういう風に世界は操作されているんだなあと感じるわけだ。
若い世代ではテレビ離れが進んでいるようだが、中高年や老人の世代では未だテレビを盲目的に信じている人も多い。
そして出てくる言葉は「テレビで言ってた」なのである。
テレビ教の信者達よ、そろそろ気づきなさいよ。
「テレビで言ってた」ではなく、あれは出演者が「言わされていた」のだと。
とまあこんな所で毒を吐いたところで、テレビ教の信者は僕のブログなど読まないだろうなあ。
毒を吐きっぱなしでは後味が悪いので薬も付け加えておく。
僕が見て面白い子供に見せたいと思う番組はNHKの「ピタゴラスイッチ」
作っている人の頭の良さ、センスが伝わってくる。
そして実家から「ちびまるこちゃん」のDVDが多量に送られてきて、娘が喜んで見ている。
こういうのは日本語の勉強にもなるし、良いと思う。
個人的には時代劇も好きだ。
これを読んでいる皆さん。
「おまんは物を知らなすぎる。つべこべ言わんとこの番組を見てみんしゃい」
というものがあったら是非教えて下さい。
その通り。今回はテレビをけなす話である。
僕はほとんどテレビを見ない。
テレビをはじめマスコミという物を全否定する気はないが、かなり疑いの目で見ている。
第一にテレビは作り物である。
どこかのだれかが作った物である。
これを認識していない人が多い。
その作り手によっては毒にも薬にもなる。
そして今、その毒のなんと多いことか。
その毒にかなり早いうちに気が付いたので、若い頃から見る番組は限られていた。
以前にも書いたが、我が家では親父が僕たち兄弟の前でテレビを叩き潰し、テレビの無い少年時代を送った。
このことは自分の人格形成にもとてもよかったと思っている。
テレビを叩き潰してくれた父親に感謝である。ありがたや、ありがたや。
大人なら自分をコントロールできるが、子供はコントロールできない。
知らず知らずにテレビに中毒になっていた自分には、それぐらいのインパクトが必要だったのであろう。
テレビが無かったので家ではラジオをよく聞いていた。
ラジオも作り物なのだが映像が無い分、想像力を伸ばすという点では良かったと思う。
そして本を読んだ。とにかくたくさんの本を読んだ。
マンガも読んだが小説も読んだ。
本は自分でページを開き、字を目で追い、そして理解して頭の中で想像化する。
こういう面倒くさい作業を知らず知らずのうちにやっている。
テレビは基本的に受身である。
チャンネルの選択はあるものの、基本的に与えられた情報を受け入れる。
想像力はなくとも映像という物の力で分かった気になってしまう。
そして又、中毒性もある。
たまに、見ないのにテレビをつけっぱなしにする人がいるが、あきらかに中毒だ。
「音がないとさびしいから」自己を正当化する言い訳だ。
情報を垂れ流しにしていれば、意識は情報の方、自分にとって外側へ向き、自己の内面を見つめるという本当にやらなくてはならないものから目を背けることができる。
その情報とはどこかの誰かが自分達に都合の良いように作り上げた物、ということに気づこうとしない。
洗脳である。
以前出会った、芸能人のマネージャーが言っていた。
「映画の人達は中身があるけど、テレビの人は中身がない」
なるほどなと思った。
映画とテレビの違いは誰がその仕事にお金を出すかである。
映画は基本、見る人がお金を払い劇場に足を運び作品を見る。
そこには受け手の行動の判断がある。
テレビの場合お金を出すのはスポンサーだ。
スポンサーの気に入らなければどんなに良い作品を作ろうが日の目を見ない。
当然ながらスポンサーにとって不利な情報は流れない。
そんなことを言うタレントは即刻降ろされる。
今は無き元RCのキヨシローがライブで「エースコックは体に悪いぜベイベー」と言ってコマーシャルから降ろされたし、最近では山本太郎が原発反対を唱えたら仕事を干された。
御用学者という人達も存在する。
権力者にとって都合のいい事をもっともらしく言う。
「放射能は身体に良い」「原発が無ければ電気は足りなくなる」などなど。
考えずに見る人は「学者の言う事だから」「偉い人の言うことだから」ということで信じてしまう。
権威への弱さがここで現れる。
本質を見極めない人は権威に弱い。
特に国際的な権威は絶対的だと思っている。
世界遺産がいい例だ。
以前、世界遺産を特集した番組を見た。
そこでは司会者が「世界遺産に選ばれることがいかに名誉であるか」というようなことを繰り返し言っていた。
それ自体は何も間違っていないが、その裏に見えるものは世界的権威を利用した番組作りだ。
ある場所が世界遺産に認定されるとどうなるか。
それまで見向きもしなかった人々が押しかけ、静かに取っておくべき世界遺産は観光地となる。
ゴミは増え道は整備され開発への流れとなる。
ツアーの名目も「世界遺産を巡る旅」というものになる。
さらにそうなると、人を集めるために、地域の活性化のために自分の場所も世界遺産に登録しようとする人も出てくる。
本末転倒だ。
以前のワークメイトが言っていた。
「世界遺産なんてものはどこかの誰かが線を引いて決めた物で、それ以前からこの国の自然はここにある」
まったく同感だ。
ケチを付けたがる人に一言言っておく。
世界遺産が悪いなどとは言っていない。
世界が一つになり、人類の遺産を守ろうという態度は納得できる。
納得できないのは、それを利権のために利用する事、そしてそれに踊らされる事なのだ。
似たような話はある。
ノーベル賞、オリンピック、ワールドカップ、数々の国際会議などなど。
今の世の中、特に日本ではテレビの影響は大きい。
テレビで納豆が体に良い、と言えば次の日スーパーで納豆が売り切れとなる。
そこである情報がやらせだったと分かれば「テレビで良いって言ったから納豆をたくさん買ったんだ。どうしてくれる!」などという訳の分からんヤツも出てくる。
「どうしてくれる?」などと言われたら「食えばいいじゃん。テレビで言おうが言わまいが納豆は体に良いんだから」ということはテレビ局の苦情受け付け係は言わないだろう。
平謝りに謝り、ひょっとすると見舞金でも渡すのかもしれない。
こうしてクレーマー一丁できあがり。毎度ありー、ちーん。
テレビの宣伝効果は大きいので自分の商品を取り上げてもらおうと業者は番組の製作者に賄賂を渡すかもしれない。
そうやって購買意欲を駆り立て経済は回っているのだろうなあ。
さらにテレビは本当の事を言わない。
「エアコンよりテレビの方が消費電力が高いので、節電にはテレビを消しましょう」とは絶対に言わない。
「原発に反対するため何万人もの人が集まりました」これも言わない。
「今回の選挙で不正選挙の疑いがあります」言わないなあ。
今やニュースもエンターテイメントだ。
ハリウッド映画も同じだが、真実を少しだけ混ぜもっともらしく番組を作り上げる。
そうやって民衆というものを同じ方向に向けようとしている。
その方向とは権力者にとって都合の良い方向だ。
ある統計では若い人のテレビ離れが進んでいるそうな。
まことによろしい。
今はPCの普及により、情報は自分で選ぶ事ができる。
与えられた情報ではなく、自分の判断で情報を選び、では自分はどうするか、と考える。
自分が選んだ情報が間違っていたことが後から分かれば、それは自分の責任。
「いやいや、すっかり騙されちゃったなあ、あっはは~」と笑い飛ばせば良いのだ。
僕もすっかり騙されていた情報を一つ。
アメリカの911テロの映像。
飛行機がビルにどっかーんと突っ込む映像があった。
あの映像、お昼のニュースでは飛行機が突っ込むシーンはなくただビルが爆発するだけだったが、夕方のニュースでは、なんとそこに飛行機がしっかりと写っていた。
そして僕をはじめ世界中の人が見たものは夕方のニュースの映像だ。
あれを見たときに「飛行機があの高さでビルに突っ込んだらあそこまで崩壊するのかな」と自然な疑問を持ったのだけど、御用学者がもっともらしい事を言い、僕もなんとなく納得してしまった。
いやいや、すごいではありませんか。
世界中をペテンにかけた大茶番劇。ハリウッド映画も真っ青。
さすがアメリカ、やることがでっかいね。
ただ、今やネットのおかげで茶番劇の種明かしまでされてしまっている。
まあテレビとはそういう物だ、と思えば腹も立たない。
そしてその後の世界の流れを見れば、そういう風に世界は操作されているんだなあと感じるわけだ。
若い世代ではテレビ離れが進んでいるようだが、中高年や老人の世代では未だテレビを盲目的に信じている人も多い。
そして出てくる言葉は「テレビで言ってた」なのである。
テレビ教の信者達よ、そろそろ気づきなさいよ。
「テレビで言ってた」ではなく、あれは出演者が「言わされていた」のだと。
とまあこんな所で毒を吐いたところで、テレビ教の信者は僕のブログなど読まないだろうなあ。
毒を吐きっぱなしでは後味が悪いので薬も付け加えておく。
僕が見て面白い子供に見せたいと思う番組はNHKの「ピタゴラスイッチ」
作っている人の頭の良さ、センスが伝わってくる。
そして実家から「ちびまるこちゃん」のDVDが多量に送られてきて、娘が喜んで見ている。
こういうのは日本語の勉強にもなるし、良いと思う。
個人的には時代劇も好きだ。
これを読んでいる皆さん。
「おまんは物を知らなすぎる。つべこべ言わんとこの番組を見てみんしゃい」
というものがあったら是非教えて下さい。