前回のブログから気が付けば1ヶ月近くが経っていた。
いくつか話を書いてみたものの、まとまらなくて途中でやめてしまったものもあった。
この間、どうしているのかな?と思われた人も多いと思うが、ちゃんと仕事をしていたのだ。
ツアーの仕事が忙しくて、とは言いたくないが、実際にツアーからツアーへの連続でブログの更新もままならない、というのが実情である。
そんな日常でも数々のドラマはある。
今回はそんなドラマの一つを紹介しよう。
人との出会いに偶然はなく、全ては必然である。
これは常日頃から思っていることである。
ニュージーランドに来る人をガイドして長いが、出会うべくして出会うという人も多々いる。
そういう時は宇宙の流れというか意思というのか、あがらっても逆らえない、何か大きな波のようなものを感じる。
お客さんとの出会いも様々であり、わずか1時間だけの仕事もあれば、何日も一緒に行動することもある。
正直な話、この人とはあまり一緒にいたくないな、と思う事だってあるが、それにも何かしらの意味があるのだろう。
人との出会いの意味は、会ってすぐにこのために出会ったのだと感じることもあるし、その時は全くその意味が見えないこともある。
だが僕には見えない所で何かしらの影響があるのだと思う。
お客さんのSさんは、年は60代半ば、一人旅の女性。
神秘的な感じのする人で、今回はニュージーランドに呼ばれて来た、と言う。
普通、ニュージーランドに来るというと、何かしら情報がありそこから目的地を選ぶのだが、彼女の場合は地図を見て適当にポンポンと3箇所を選んだという。
そして調べてみると、初めてこういう場所かと知ったそうな。
それが北島のカウリの森、タウポ湖、そして南島はアオラキ・マウントクック、この3箇所なのである。
北島ではそこのガイドを頼み、南島では僕が担当をしたわけだ。
Sさんにとって大切なのはその3箇所なので他の場所には興味が無く、タウポからマウントクックまで飛行機で移動しようと思ったが、そんな定期便は無い。
ということでクライストチャーチまで飛行機で飛び、そこからマウントクックを車で往復という流れになった。
出会ってから5分で僕たちは打ち解け合い、あっというまに深いレベルでの話になった。
波動の話、魂の話がポンポン出るわ出るわ。
こうなるとお客さんとガイドという関係より、同じ波動を持つ人同士という関係であり、とても楽である。
そこには上も下もなく、全ては一つ、ワンネスという中での魂の繋がりがあるだけ。シンプルだ。
車の中でも普通ならば、僕がずっとこの国の話をするのだが、今回は僕が聞き役になることも多かった。
Sさんも、普段ではここまでは言わないというようなところまで話をしてくれた。
彼女はそれまで世界中あちこちと、それこそ南極にまで呼ばれて行ったと言う。
誰に呼ばれたかって?それは宇宙に呼ばれてと、そういうレベルの話を僕はフンフンと聞く。
あらかた行きつくして、もう海外に行くこともないだろうと思っていたが、この時期に来て今度はニュージーランドに呼ばれて来たそうだ。
そこで僕に会ったというわけである。
この仕事は、『霊能者が世界のパワースポットを巡る旅』そんな風に聞いていたので、僕は率直に聞いてみた。
このレベルでは隠し事などは存在しない。
「Sさんは霊能者だと聞いているのですが、そうなんですか?」
「あらまあ、どこからそんな話が出ちゃったのかしら。違うわよ。確かに私の周りにはいろいろと見える人がいるけど、私はそういうのは全くないわよ。」
「なんか、入ってきた情報では霊能者が世界のパワースポットを巡っているのだとか・・・」
「それはねえ、このツアーを組んでもらうのに何かしらタイトルをつけなくちゃって言われたの。だからパワースポットってつけたのよ。」
「それを旅行社が深読みしてパワースポット=スピリチュアル=霊能者、となったんでしょうかねえ?」
「どうやらそうみたいね。面白いわねえ。私にはそういうのは全然ないのよ。ただ宇宙と常に繋がっているだけよ」
「なるほどねえ。実はうちの会社でも『霊能者なら聖さんでしょう』という感じでこの仕事が決まったんですよ。僕もなんとなくこの仕事をしたいな、と思ったしね。」
「そのおかげでこうやって会えたじゃないの。全てそういうふうにできているのね。」
「全くもって、そう思います」
僕はことあるごとに手を合わせて拝む。
太陽に、月に、山に、湖に、きれいだなと思ったときに拝むのだが、Sさんはそんな時に手を振る。
車の中でも山に手を振るSさんの動作は少女のように可愛らしく、車内の雰囲気は和む。
山もきっちりと晴れてくれて、壮大な姿を見せてくれた。
こういう人が来る時は、天気もそれに協力してくれるようだ。
半日の自由行動の間で何をお参りしたのか知らないが、どうやらお役目は済んだようだ。
帰りの車でも話ははずむ。
北島の森の話になった時に僕は自分がガイドをしていた南の森の話をした。
「Sさんに南のブナの森も見て欲しいなあ、それはそれは美しいんですよ。」
僕はルートバーンの森を思い浮かべながらそんなことを言った。
「あ、それは今、聖さんを通して感じました」
「へ?そうなんですか?」
「はい、分かりました」
「はあ、そうなんですか」
としか言いようはないが、そんなものなんだろう。
山の楽しみ方は百人いれば百通りの楽しみ方がある。
命をかけてストイックにきびしい登山をする人もいれば、ビールを飲みながら山を眺める人もいる。
どれが正しくどれが間違っているというわけではない。
こうでなければいけない、というものではないのだ。
それは自分を見つめ、自分のやり方でやるだけだ。
旅も同じではなかろうか。
全てを自分でやる人もいれば、ツアーで来る人もいる。
何回もニュージーランドに来る人もいれば、1回だけの人もいる。
観光で来る人もいれば、山歩きに来る人もいる。
みんな違ってみんな良し。
Sさんは役目を果たしたので、もうニュージーランドには来ないだろうと言った。
普段ならそんなことを言われたら寂しい想いをするのだが、今回は何故か納得してしまった。
たとえ1回でも、クィーンズタウンにもミルフォードにも行かなくても、僕を通してこの国の良さが彼女に伝わったと感じたからだ。
ニュージーランドどころか、海外に出るのも今回で最後だろうとSさんは言った。
きっと彼女は日本にいながら、やることがあるのだろう。
僕もこの国でやる事はある。
Sさんを空港で見送り帰りがてら、車の中で山に手を振る彼女を思い出した。
ほんわかした空気が車内に流れた。
いくつか話を書いてみたものの、まとまらなくて途中でやめてしまったものもあった。
この間、どうしているのかな?と思われた人も多いと思うが、ちゃんと仕事をしていたのだ。
ツアーの仕事が忙しくて、とは言いたくないが、実際にツアーからツアーへの連続でブログの更新もままならない、というのが実情である。
そんな日常でも数々のドラマはある。
今回はそんなドラマの一つを紹介しよう。
人との出会いに偶然はなく、全ては必然である。
これは常日頃から思っていることである。
ニュージーランドに来る人をガイドして長いが、出会うべくして出会うという人も多々いる。
そういう時は宇宙の流れというか意思というのか、あがらっても逆らえない、何か大きな波のようなものを感じる。
お客さんとの出会いも様々であり、わずか1時間だけの仕事もあれば、何日も一緒に行動することもある。
正直な話、この人とはあまり一緒にいたくないな、と思う事だってあるが、それにも何かしらの意味があるのだろう。
人との出会いの意味は、会ってすぐにこのために出会ったのだと感じることもあるし、その時は全くその意味が見えないこともある。
だが僕には見えない所で何かしらの影響があるのだと思う。
お客さんのSさんは、年は60代半ば、一人旅の女性。
神秘的な感じのする人で、今回はニュージーランドに呼ばれて来た、と言う。
普通、ニュージーランドに来るというと、何かしら情報がありそこから目的地を選ぶのだが、彼女の場合は地図を見て適当にポンポンと3箇所を選んだという。
そして調べてみると、初めてこういう場所かと知ったそうな。
それが北島のカウリの森、タウポ湖、そして南島はアオラキ・マウントクック、この3箇所なのである。
北島ではそこのガイドを頼み、南島では僕が担当をしたわけだ。
Sさんにとって大切なのはその3箇所なので他の場所には興味が無く、タウポからマウントクックまで飛行機で移動しようと思ったが、そんな定期便は無い。
ということでクライストチャーチまで飛行機で飛び、そこからマウントクックを車で往復という流れになった。
出会ってから5分で僕たちは打ち解け合い、あっというまに深いレベルでの話になった。
波動の話、魂の話がポンポン出るわ出るわ。
こうなるとお客さんとガイドという関係より、同じ波動を持つ人同士という関係であり、とても楽である。
そこには上も下もなく、全ては一つ、ワンネスという中での魂の繋がりがあるだけ。シンプルだ。
車の中でも普通ならば、僕がずっとこの国の話をするのだが、今回は僕が聞き役になることも多かった。
Sさんも、普段ではここまでは言わないというようなところまで話をしてくれた。
彼女はそれまで世界中あちこちと、それこそ南極にまで呼ばれて行ったと言う。
誰に呼ばれたかって?それは宇宙に呼ばれてと、そういうレベルの話を僕はフンフンと聞く。
あらかた行きつくして、もう海外に行くこともないだろうと思っていたが、この時期に来て今度はニュージーランドに呼ばれて来たそうだ。
そこで僕に会ったというわけである。
この仕事は、『霊能者が世界のパワースポットを巡る旅』そんな風に聞いていたので、僕は率直に聞いてみた。
このレベルでは隠し事などは存在しない。
「Sさんは霊能者だと聞いているのですが、そうなんですか?」
「あらまあ、どこからそんな話が出ちゃったのかしら。違うわよ。確かに私の周りにはいろいろと見える人がいるけど、私はそういうのは全くないわよ。」
「なんか、入ってきた情報では霊能者が世界のパワースポットを巡っているのだとか・・・」
「それはねえ、このツアーを組んでもらうのに何かしらタイトルをつけなくちゃって言われたの。だからパワースポットってつけたのよ。」
「それを旅行社が深読みしてパワースポット=スピリチュアル=霊能者、となったんでしょうかねえ?」
「どうやらそうみたいね。面白いわねえ。私にはそういうのは全然ないのよ。ただ宇宙と常に繋がっているだけよ」
「なるほどねえ。実はうちの会社でも『霊能者なら聖さんでしょう』という感じでこの仕事が決まったんですよ。僕もなんとなくこの仕事をしたいな、と思ったしね。」
「そのおかげでこうやって会えたじゃないの。全てそういうふうにできているのね。」
「全くもって、そう思います」
僕はことあるごとに手を合わせて拝む。
太陽に、月に、山に、湖に、きれいだなと思ったときに拝むのだが、Sさんはそんな時に手を振る。
車の中でも山に手を振るSさんの動作は少女のように可愛らしく、車内の雰囲気は和む。
山もきっちりと晴れてくれて、壮大な姿を見せてくれた。
こういう人が来る時は、天気もそれに協力してくれるようだ。
半日の自由行動の間で何をお参りしたのか知らないが、どうやらお役目は済んだようだ。
帰りの車でも話ははずむ。
北島の森の話になった時に僕は自分がガイドをしていた南の森の話をした。
「Sさんに南のブナの森も見て欲しいなあ、それはそれは美しいんですよ。」
僕はルートバーンの森を思い浮かべながらそんなことを言った。
「あ、それは今、聖さんを通して感じました」
「へ?そうなんですか?」
「はい、分かりました」
「はあ、そうなんですか」
としか言いようはないが、そんなものなんだろう。
山の楽しみ方は百人いれば百通りの楽しみ方がある。
命をかけてストイックにきびしい登山をする人もいれば、ビールを飲みながら山を眺める人もいる。
どれが正しくどれが間違っているというわけではない。
こうでなければいけない、というものではないのだ。
それは自分を見つめ、自分のやり方でやるだけだ。
旅も同じではなかろうか。
全てを自分でやる人もいれば、ツアーで来る人もいる。
何回もニュージーランドに来る人もいれば、1回だけの人もいる。
観光で来る人もいれば、山歩きに来る人もいる。
みんな違ってみんな良し。
Sさんは役目を果たしたので、もうニュージーランドには来ないだろうと言った。
普段ならそんなことを言われたら寂しい想いをするのだが、今回は何故か納得してしまった。
たとえ1回でも、クィーンズタウンにもミルフォードにも行かなくても、僕を通してこの国の良さが彼女に伝わったと感じたからだ。
ニュージーランドどころか、海外に出るのも今回で最後だろうとSさんは言った。
きっと彼女は日本にいながら、やることがあるのだろう。
僕もこの国でやる事はある。
Sさんを空港で見送り帰りがてら、車の中で山に手を振る彼女を思い出した。
ほんわかした空気が車内に流れた。