クリスマスが終わり、ニュージーランドは夏本番。
一年で一番忙しい時期がやってきた。
この時期というのは海外に住む日本人もホリデーにやってくる。
そういう人達は、日本の常識は世界の常識ではないということを知っているので、一歩深い所で話が出来る。
先日ルートバーンを案内した人はシンガポール在住で涼しい気候を求めてニュージーランドに来たそうだ。
シンガポールの前はフィリピンに住んでいて、ニュージーランド移住も心の片隅にあるようなことを言っていた。
シンガポールのような都市国家から見れば、ニュージーランドはかなり遠い、対極と言ってもいいような国だろうな。
ルートバーンの谷間を流れる風はこれ以上なくさわやかで、常夏の国から来た旅人には最高のご馳走だった。
同じ日に、オークランドで働いている娘さんとご両親もいた。
彼女はダニーデンに7年いたそうな。
オタゴ大学を卒業したもののダニーデンでは仕事がなく、オークランドに住んで2年になるという。
彼女とこの国の交通事情の話をしたのだが、オークランドの中心部では交通マナーが悪くてクラクションをバンバン鳴らされるのだそうな。
ぼくがお客さんによく言う話で、この国では車のクラクションがほとんど聞こえない、というようなこともオークランドでは通用しないのか。
僕自身オークランドには何年も行っていないのでそんなことになっているなんて知らなかった。
僕が話をするのは自分の経験であり、それは南島に住む日本人から見たニュージーランドであり、北島へ行けばまた違う話になる。
それを「ニュージーランドとは・・・・・」と偉そうにひとくくりにまとめていいのか、などと考えてしまった。
断片的な情報で全体を把握しようとするのは人間の悪い癖である。
ツアーで来る人が、牧場を見て「この国では野菜を作っていないの?」と聞いたり、観光地を巡った人が「この国はどこへ行っても日本人だらけね」と言うのを聞いてきた。
「この国は・・・・」というのは自分の物差しで判断したことで立ち位置が変われば中身も変わる。
ある日本人はこう言ったそうな「クライストチャーチの人は金儲けしか考えていない汚ない奴ばかりだ」
他人は自分を映す鏡なのである。
バケツというものを逆さから見れば、底がなく蓋が開かない入れ物である。
同じ物が見方一つで全く違う物になる。
クィーンズタウンへ来た人が「素晴らしい場所」ととるか「何もない場所」ととるか。
どちらも正しい。
そしてありがたいことに最近は後者の人に出会わない。
自分が見るものとは自分の心が映し出すもので、天国も地獄もあの世ではなく今の世の中に存在する。
そして自分の立ち位置を抜きにして物事は語れない。
立ち位置とは是、自分の心なり。
全てはそこへたどり着く。
ちなみに昨日は仕事が早く終わったので、友達のえーちゃんと男の意地と名誉とビールを賭けてフリスビーゴルフをやった。
結果は僕の圧勝で、僕は勝利の甘いビールを、えーちゃんは敗北の涙味のビールを飲んだ。
同じビールでも味が違うのである。
しばらく僕とえーちゃんの立ち位置は変わりそうにない。
勝負の世界は厳しいのだ。
一年で一番忙しい時期がやってきた。
この時期というのは海外に住む日本人もホリデーにやってくる。
そういう人達は、日本の常識は世界の常識ではないということを知っているので、一歩深い所で話が出来る。
先日ルートバーンを案内した人はシンガポール在住で涼しい気候を求めてニュージーランドに来たそうだ。
シンガポールの前はフィリピンに住んでいて、ニュージーランド移住も心の片隅にあるようなことを言っていた。
シンガポールのような都市国家から見れば、ニュージーランドはかなり遠い、対極と言ってもいいような国だろうな。
ルートバーンの谷間を流れる風はこれ以上なくさわやかで、常夏の国から来た旅人には最高のご馳走だった。
同じ日に、オークランドで働いている娘さんとご両親もいた。
彼女はダニーデンに7年いたそうな。
オタゴ大学を卒業したもののダニーデンでは仕事がなく、オークランドに住んで2年になるという。
彼女とこの国の交通事情の話をしたのだが、オークランドの中心部では交通マナーが悪くてクラクションをバンバン鳴らされるのだそうな。
ぼくがお客さんによく言う話で、この国では車のクラクションがほとんど聞こえない、というようなこともオークランドでは通用しないのか。
僕自身オークランドには何年も行っていないのでそんなことになっているなんて知らなかった。
僕が話をするのは自分の経験であり、それは南島に住む日本人から見たニュージーランドであり、北島へ行けばまた違う話になる。
それを「ニュージーランドとは・・・・・」と偉そうにひとくくりにまとめていいのか、などと考えてしまった。
断片的な情報で全体を把握しようとするのは人間の悪い癖である。
ツアーで来る人が、牧場を見て「この国では野菜を作っていないの?」と聞いたり、観光地を巡った人が「この国はどこへ行っても日本人だらけね」と言うのを聞いてきた。
「この国は・・・・」というのは自分の物差しで判断したことで立ち位置が変われば中身も変わる。
ある日本人はこう言ったそうな「クライストチャーチの人は金儲けしか考えていない汚ない奴ばかりだ」
他人は自分を映す鏡なのである。
バケツというものを逆さから見れば、底がなく蓋が開かない入れ物である。
同じ物が見方一つで全く違う物になる。
クィーンズタウンへ来た人が「素晴らしい場所」ととるか「何もない場所」ととるか。
どちらも正しい。
そしてありがたいことに最近は後者の人に出会わない。
自分が見るものとは自分の心が映し出すもので、天国も地獄もあの世ではなく今の世の中に存在する。
そして自分の立ち位置を抜きにして物事は語れない。
立ち位置とは是、自分の心なり。
全てはそこへたどり着く。
ちなみに昨日は仕事が早く終わったので、友達のえーちゃんと男の意地と名誉とビールを賭けてフリスビーゴルフをやった。
結果は僕の圧勝で、僕は勝利の甘いビールを、えーちゃんは敗北の涙味のビールを飲んだ。
同じビールでも味が違うのである。
しばらく僕とえーちゃんの立ち位置は変わりそうにない。
勝負の世界は厳しいのだ。