マウントハット、ポーターズと自分の懐かしい思い出に浸ったが、今回のトリップでは他人の想いに浸った。
お客さんのクリスは60半ばくらいの年だろうか。
空港で出会って話を聞くと、69年ぐらいからクレーギーバーンで滑り始め、80年代半ばにはスタッフで働いていた。
今は北島のハミルトンに住んでいて、ファカパパで滑っているが今回は2週間のスキーホリデーで30年ぶりにクレーギーバーンに戻ってきた。
僕が生まれた頃からここにいたクラブフィールドの大先輩だ。
それならば話が早い。
僕達は5分で仲良くなり、もっぱら僕がクリスの昔話を聞き、僕が今の状況を話してクレーギーバーンへ向かった。
いつも通る裏道の曲がり角にさしかかると嬉しそうに彼が言った。
「そうそう、オマエさんもここを曲がるんだの。昔はよくこの道を通ったもんだ」
ポーターパスを抜けレイクリンドンの脇を通る。
「ここは二つの湖がくっついているだろう。ワシが子供に初めてスキーをやらせたのはここじゃ」
確かにそこは以前は湖だったんだろうなという地形をしているが、僕が知る限りここには水がない。
それどころか、今ある湖だって僕が見てはっきり分かるくらい、どんどん小さくなっている。
それぐらい急激に乾燥に向かっている。
「カンタベリーは乾燥しすぎている。ワシは長いこと酪農業界で働いているが今のこの国のシステムは何か間違っている。」クリスが言った。
著しく同意である。
ニュージーランドでは最近酪農に力を入れているが、この国の牛乳の国内消費はたった3%だ。
残り97%は粉ミルクで海外に輸出している。
特に大型の機械を入れての散水システムは色々な問題が出始めている。
雇用が増えると言われれば何も言い返せなくなってしまうが、自国で3%しか消費していない物をもっと作ろうと言うのは欲の塊りのような気がする。
僕が常日頃から思っている事を、地元の人、それもその業界に携わっている人から聞くと嬉しい。
キャッスルヒルの直線では「ここで50cmぐらい降った時があってなあ、その時は自分だけしかいなかったからこの道で雪の中をジグザグに走った。楽しかったなあ」
別のとあるコーナーでは「ここ、ここ、このコーナーでスピード出しすぎて曲がりきれずにコースアウトしてフェンスを何本もなぎ倒したこともあった。バカをしたもんじゃ」若いときにはお茶目なこともある。
僕もこの前9年ぶりに日本に帰って、以前働いていた場所を訪れて色々と感慨にふけったが、クリスは30年ぶりである。
ケタが違う。
幻になってしまったがハミルトンピーク山頂までのポマーリフトをかけようとした話や、雪崩に埋まったと思っていた仲間が雪洞の中から現れた話。
実際に体験してきた人の話には重みがあり聞いていて楽しい。
国道からそれて山道へ入ると、今まで饒舌だったクリスの口数が少なくなった。
この道のいたる所にも思い出があるのだろう。
黙っていても隣にいるクリスの想いがひしひしと伝わってくる。
スキー場へ着き、荷物をロッジへ運び入れた。
ロッジも30年前とはかなり違っていることだろう。
ボイラー室へ踏み入れると古い大きなボイラーがあり、そこが乾燥室にもなっている。
懐かしそうにボイラーを見ているクリスに聞いた。
「このボイラーは当時から同じものですか?」
「ああ、これはクラブのメンバーが譲り受けたものだ。そうだ、病院だ。病院で使っていたものだったんだな」
古い物でも使い続けること、人間が面倒を見て機械を使用する、というのはクラブフィールドの原点だと思う。
ロッジでクリスと別れ、僕は先に山に上がった。
先人達が作ってくれたロープトーに引っ張られながら山頂に着いた。
クレーギーバーンは今シーズン初だ。
クリスの想いいれほどではないが、僕なりにこの山に想い出がある。
20年前に友達と何も知らずにこの山を訪れクラブフィールドデビューした。
ここのシーズンパスを100ドルで買って、当時つるんでいたJCと一緒に入り浸った年もあった。
お客さんを案内したのも1回や2回ではない。
ブロークンリバーのメンバーになってからはさすがに来る回数は減ったが、自分にとって大切な山である事は変わりない。
お昼頃にロッジでくつろいでいると、80年代のスキーシーンからそのまま抜け出してきたような年代物のワンピースのスキースーツを着た爺さんに声をかけられた。ちなみに色はど派手な黄色。
それは案の定クリスで、僕は思わず笑ってしまった。やっぱりね。
流行があるのは知っているし、新しい服を買う金だって持っているが、なんとなく今あるものを使い続けてしまう。
僕が好きなのはニュージーランド人のこういうところだ。
そんな古きよきニュージーランド人気質もクリスの世代では健在だが、その下の世代では失われつつある。
人々は目先の安さに飛びつき、大量生産大量消費という波からは逃れられない世の中だ。
そんな中でもこの山では、新しいものも受け入れるが昔からの大切なものも失わないという絶妙なバランス感でもっている。
午後はランチハットから見える稜線を歩き一番下までパウダーランを滑って帰る。
クリスと固い握手を交わしランチハットを後にした。
スキー場の賑わいを後にして静寂な山へ入ると気持ちも引き締まる。
稜線を登りつめるとさっきまでいたランチハットが小さく見える。
この日はスキークラブの集まりもあってクリスも昔の仲間と楽しい時を過ごすのだろう。
彼の人生の中でも今日という日は大きな1日だったであろう。
そんな時に同じ時間同じ空間を共有できたのは嬉しい。
この仕事をやっていてよかった、とつくづく感じた1日だった。
あの山で起きた雪崩がここまでやってくる。
クリスの同僚が埋まって救出されたのもここだ。
故にロープトーを曲げて安全な場所に乗り場を作った。
ブロークンリバーとの境界へ登る人がいた。
水場の看板が新しくなっていた。
土曜日、そしてクラブのスキーレースもありランチハットは大賑わい。
スキークラブのジャンプ大会もあり、ジャッジがつけた点をギャラリーに見せる。
このおじさんがクリス。昔はこういうワンピースがあったなあ。
何を隠そう、僕もこんな派手じゃないが持っていた。
これから行く稜線を遠めに見る。さてどのラインを狙おうか。
スキー場の境界にはこういう物が設置してあった。ビーコンが正しく作用すると○がつく。
美味しそうな斜面を横目に稜線を登る。
山頂からさらに奥にも滑った人がいた。
1日の終わりはこんな場所を滑った。
この仕事をやっていてよかった。
お客さんのクリスは60半ばくらいの年だろうか。
空港で出会って話を聞くと、69年ぐらいからクレーギーバーンで滑り始め、80年代半ばにはスタッフで働いていた。
今は北島のハミルトンに住んでいて、ファカパパで滑っているが今回は2週間のスキーホリデーで30年ぶりにクレーギーバーンに戻ってきた。
僕が生まれた頃からここにいたクラブフィールドの大先輩だ。
それならば話が早い。
僕達は5分で仲良くなり、もっぱら僕がクリスの昔話を聞き、僕が今の状況を話してクレーギーバーンへ向かった。
いつも通る裏道の曲がり角にさしかかると嬉しそうに彼が言った。
「そうそう、オマエさんもここを曲がるんだの。昔はよくこの道を通ったもんだ」
ポーターパスを抜けレイクリンドンの脇を通る。
「ここは二つの湖がくっついているだろう。ワシが子供に初めてスキーをやらせたのはここじゃ」
確かにそこは以前は湖だったんだろうなという地形をしているが、僕が知る限りここには水がない。
それどころか、今ある湖だって僕が見てはっきり分かるくらい、どんどん小さくなっている。
それぐらい急激に乾燥に向かっている。
「カンタベリーは乾燥しすぎている。ワシは長いこと酪農業界で働いているが今のこの国のシステムは何か間違っている。」クリスが言った。
著しく同意である。
ニュージーランドでは最近酪農に力を入れているが、この国の牛乳の国内消費はたった3%だ。
残り97%は粉ミルクで海外に輸出している。
特に大型の機械を入れての散水システムは色々な問題が出始めている。
雇用が増えると言われれば何も言い返せなくなってしまうが、自国で3%しか消費していない物をもっと作ろうと言うのは欲の塊りのような気がする。
僕が常日頃から思っている事を、地元の人、それもその業界に携わっている人から聞くと嬉しい。
キャッスルヒルの直線では「ここで50cmぐらい降った時があってなあ、その時は自分だけしかいなかったからこの道で雪の中をジグザグに走った。楽しかったなあ」
別のとあるコーナーでは「ここ、ここ、このコーナーでスピード出しすぎて曲がりきれずにコースアウトしてフェンスを何本もなぎ倒したこともあった。バカをしたもんじゃ」若いときにはお茶目なこともある。
僕もこの前9年ぶりに日本に帰って、以前働いていた場所を訪れて色々と感慨にふけったが、クリスは30年ぶりである。
ケタが違う。
幻になってしまったがハミルトンピーク山頂までのポマーリフトをかけようとした話や、雪崩に埋まったと思っていた仲間が雪洞の中から現れた話。
実際に体験してきた人の話には重みがあり聞いていて楽しい。
国道からそれて山道へ入ると、今まで饒舌だったクリスの口数が少なくなった。
この道のいたる所にも思い出があるのだろう。
黙っていても隣にいるクリスの想いがひしひしと伝わってくる。
スキー場へ着き、荷物をロッジへ運び入れた。
ロッジも30年前とはかなり違っていることだろう。
ボイラー室へ踏み入れると古い大きなボイラーがあり、そこが乾燥室にもなっている。
懐かしそうにボイラーを見ているクリスに聞いた。
「このボイラーは当時から同じものですか?」
「ああ、これはクラブのメンバーが譲り受けたものだ。そうだ、病院だ。病院で使っていたものだったんだな」
古い物でも使い続けること、人間が面倒を見て機械を使用する、というのはクラブフィールドの原点だと思う。
ロッジでクリスと別れ、僕は先に山に上がった。
先人達が作ってくれたロープトーに引っ張られながら山頂に着いた。
クレーギーバーンは今シーズン初だ。
クリスの想いいれほどではないが、僕なりにこの山に想い出がある。
20年前に友達と何も知らずにこの山を訪れクラブフィールドデビューした。
ここのシーズンパスを100ドルで買って、当時つるんでいたJCと一緒に入り浸った年もあった。
お客さんを案内したのも1回や2回ではない。
ブロークンリバーのメンバーになってからはさすがに来る回数は減ったが、自分にとって大切な山である事は変わりない。
お昼頃にロッジでくつろいでいると、80年代のスキーシーンからそのまま抜け出してきたような年代物のワンピースのスキースーツを着た爺さんに声をかけられた。ちなみに色はど派手な黄色。
それは案の定クリスで、僕は思わず笑ってしまった。やっぱりね。
流行があるのは知っているし、新しい服を買う金だって持っているが、なんとなく今あるものを使い続けてしまう。
僕が好きなのはニュージーランド人のこういうところだ。
そんな古きよきニュージーランド人気質もクリスの世代では健在だが、その下の世代では失われつつある。
人々は目先の安さに飛びつき、大量生産大量消費という波からは逃れられない世の中だ。
そんな中でもこの山では、新しいものも受け入れるが昔からの大切なものも失わないという絶妙なバランス感でもっている。
午後はランチハットから見える稜線を歩き一番下までパウダーランを滑って帰る。
クリスと固い握手を交わしランチハットを後にした。
スキー場の賑わいを後にして静寂な山へ入ると気持ちも引き締まる。
稜線を登りつめるとさっきまでいたランチハットが小さく見える。
この日はスキークラブの集まりもあってクリスも昔の仲間と楽しい時を過ごすのだろう。
彼の人生の中でも今日という日は大きな1日だったであろう。
そんな時に同じ時間同じ空間を共有できたのは嬉しい。
この仕事をやっていてよかった、とつくづく感じた1日だった。
あの山で起きた雪崩がここまでやってくる。
クリスの同僚が埋まって救出されたのもここだ。
故にロープトーを曲げて安全な場所に乗り場を作った。
ブロークンリバーとの境界へ登る人がいた。
水場の看板が新しくなっていた。
土曜日、そしてクラブのスキーレースもありランチハットは大賑わい。
スキークラブのジャンプ大会もあり、ジャッジがつけた点をギャラリーに見せる。
このおじさんがクリス。昔はこういうワンピースがあったなあ。
何を隠そう、僕もこんな派手じゃないが持っていた。
これから行く稜線を遠めに見る。さてどのラインを狙おうか。
スキー場の境界にはこういう物が設置してあった。ビーコンが正しく作用すると○がつく。
美味しそうな斜面を横目に稜線を登る。
山頂からさらに奥にも滑った人がいた。
1日の終わりはこんな場所を滑った。
この仕事をやっていてよかった。