「今年もダメだったかな」
そんな会話をトーマスとしていたのが4月の半ばのことだった。
以前は1シーズンに1回ぐらいは時間を合わせて二人で山に行ったりしていたのだが、最近はめっきりそんなこともできなくなった。
テアナウに行けばヤツの家に世話になり、一緒に飲んだりするのだが、山に一緒にという機会はここ数年ない。
数年どころかもう十年近くになるか、最後に一緒に行ったのはモレーンクリークだ。
今年もダメだったかなという話の矢先に僕のスケジュールが変わった。
ゴールデンウィークのツアーが金曜日の朝早くに終わり、その後の週末がまるまる休みになった。
トーマスも週明けから忙しくなるが週末は大丈夫ということだ。
そして天気も週末にかけて晴れそうな具合だ。
これは「行け」という神様の訓示であろう。
こういう指図には素直に従わなくてはいけない。
金曜日の朝にツアーの仕事を終わらせ、身支度を整えテアナウへ。
トーマスもお昼までの仕事だということだ。
勝手知ったるトーマスの家では誰も帰っていなかったので、勝手に犬のソラを散歩に連れて友を待つ。
そうしているうちにトーマスが仕事から帰ってきて、お昼からエグリントンリバーで川下り。
翌日からのホリフォードリバートリップの前哨戦というか、練習というか、足慣らしならぬ腕慣らしである。
今までの僕達の山旅は、頼るものは自分の足のみという、まあ普通にすべての物を担いで歩く山行だった。
今回はパックラフトというものを使って川下りと山歩きの両方を楽しもうというわけである。
パックラフトとは簡単に言えば一人乗りの空気で膨らませるカヤックのようなものだ。
ラフティングのボートの一人用と思えばいいかもしれない。
カヤックとラフトボートの中間と言ったところで、スプレースカートもついているので多少波をかぶっても水が入ってこない。
あまり急流や激流には向かず、静かな流れの所をゆっくりと流されるのに適している。
僕は1回だけ試させてもらったが、初心者でもそれほど難しくなく、2回目はどこへ行こうなどとトーマスと話していたのだ。
川下りをするのでゴール地点に車をデポして、スタート地点へもう1台の車で向かう。
行く先はエグリントンリバー、ミルフォードサウンドへ行く途中にある川である。
見慣れた道から数分歩き、ボートを組み立てる。
そしていざ、流れに漕ぎ出す。
秋の日差しは柔らかく、優しく僕達を包む。
普段見慣れているはずの景色が、川からだと違う風景となり、五感をくすぐる。
「これはいいぞ!」思わず声が出た。
こんなワクワクする瞬間は久しぶりだ。
だだっ広い谷間の中を進んでいくと前方に森が見えてきた。
まるで僕達の行く手を遮るように森が広がる。
「どこに行くんだろう、この先は!」
なんて思わず声が出るが、トーマスはニヤニヤ笑っている。
まあ行き止まりなんてことはないだろうが、行く先が見えないドキドキワクワク感は上がる一方だ。
そんなドキドキ感が極まりきった頃、エグリントンゴージ到着。
なるほどな、だだっ広い谷間がキュッと狭まっているので遠目には谷間が見えない。
間近に来れば、川が渓谷に入っていくのが見える。
この渓谷が本日のハイライトである。
渓谷に入る前に上陸してしばし休憩。
渓谷の中は流れも穏やかで、深い淵になっているのが見える。
水遊びをするにはちょうどいい場所だ。
夏の暑い日に、家族と僕の姪の瑞穂を連れてきて、ここでスイカ割りをしたのだと言う。
ううむ、きっちりと父親の仕事をしてるなあ。
いよいよ渓谷の中へ入っていく。
両側が切り立った岸壁の中をゆっくりと流されていく。
奇岩と呼んでいいような岩は自然が作り上げた芸術だ。
車で何百回も通っていたすぐ脇にこんな場所が存在していたなんて。
こういう場所があることは聞いてはいたが、それと自分の身を実際にここへ運んで感じるものとは別物である。
この空間は晴れの日も雨の日も存在し続け、その一瞬を僕は垣間見た。
大雨で増水した時には違う景色になっていることだろう。
自分が知っていることは、自分が何も知らないことである。
どこかの哲学者の言葉が頭に浮かんだ。
川の流れは一定ではなく、常に動いているものである。
流れが横から来て岩にぶつかって向きを変えるという場所もある。
そこに不用意に近づいた時、流れに押され岩にぶつかりそうになり、船体が横にぐらっと傾いた。
教わったわけではないが反射的にパドルで水面を叩くように押してバランスを取り戻した。
そうか、こういう感じで沈をするんだな、気をつけよう。
渓谷を抜けると青空が広がっていた。
渓谷の中と外とでは別世界のようだ。
見慣れた山が遠くに見える。
遠くに車の音が聞こえる。
ミルフォードロードから一瞬だけこの川が見える所があるが、その辺りなんだろう。
人間の住む世界に戻ってきた感じだ。
そしてまもなく上陸。
前哨戦のエグリントンゴージ・トリップ無事終了である。
車をピックアップしてトーマス家に戻り、後片付けと翌日の準備。
翌日は1泊2日のトリップなので寝袋、洗面用具、食料、酒、その他もろもろをバックパックに詰めてラフトボートの前部に縛り付けていく。
バックパックがどのように取り付けられるかあらかじめテストをしておく。
山行にはいろいろな準備が必要なのだ。
その晩はトーマス家で団欒の食卓である。
奥さんのミホコとも短くは無い付き合いである。
昔僕は長距離路線バスのドライバーをやっていたことがあり、その時に最悪中の最悪な客がいて、そいつが日本人のワーホリ娘の横に座った。
「ごめんね、こんなヤツが横に座って」とその娘に謝ったのだが、それが彼女だった。
彼女は彼女で、ドライバーが日本人だったとは思わなかったらしく、大変な仕事だなと同情してくれた。
ミホコとトーマスの結婚式にも呼ばれたし、お父っつあんと一緒に山を歩いたこともケプラー日記いう話のネタにした。
トーマスもミホコも僕もお互いに歳を取り、子供は育つ。
赤ん坊だった娘は少女となり、パックラフトで一人でエグリントンゴージを漕いだ。
僕の娘の深雪はティーンエイジャーとなり、親父と一緒にスキーになんぞ行ってくれない。
その晩はトーマス特製ビール、これがアルコール分が強いというのを忘れ、うっかり飲みすぎて早々とつぶれてしまった。
カヌーで沈はしなかったが、トーマスのビールで沈没。
続く
そんな会話をトーマスとしていたのが4月の半ばのことだった。
以前は1シーズンに1回ぐらいは時間を合わせて二人で山に行ったりしていたのだが、最近はめっきりそんなこともできなくなった。
テアナウに行けばヤツの家に世話になり、一緒に飲んだりするのだが、山に一緒にという機会はここ数年ない。
数年どころかもう十年近くになるか、最後に一緒に行ったのはモレーンクリークだ。
今年もダメだったかなという話の矢先に僕のスケジュールが変わった。
ゴールデンウィークのツアーが金曜日の朝早くに終わり、その後の週末がまるまる休みになった。
トーマスも週明けから忙しくなるが週末は大丈夫ということだ。
そして天気も週末にかけて晴れそうな具合だ。
これは「行け」という神様の訓示であろう。
こういう指図には素直に従わなくてはいけない。
金曜日の朝にツアーの仕事を終わらせ、身支度を整えテアナウへ。
トーマスもお昼までの仕事だということだ。
勝手知ったるトーマスの家では誰も帰っていなかったので、勝手に犬のソラを散歩に連れて友を待つ。
そうしているうちにトーマスが仕事から帰ってきて、お昼からエグリントンリバーで川下り。
翌日からのホリフォードリバートリップの前哨戦というか、練習というか、足慣らしならぬ腕慣らしである。
今までの僕達の山旅は、頼るものは自分の足のみという、まあ普通にすべての物を担いで歩く山行だった。
今回はパックラフトというものを使って川下りと山歩きの両方を楽しもうというわけである。
パックラフトとは簡単に言えば一人乗りの空気で膨らませるカヤックのようなものだ。
ラフティングのボートの一人用と思えばいいかもしれない。
カヤックとラフトボートの中間と言ったところで、スプレースカートもついているので多少波をかぶっても水が入ってこない。
あまり急流や激流には向かず、静かな流れの所をゆっくりと流されるのに適している。
僕は1回だけ試させてもらったが、初心者でもそれほど難しくなく、2回目はどこへ行こうなどとトーマスと話していたのだ。
川下りをするのでゴール地点に車をデポして、スタート地点へもう1台の車で向かう。
行く先はエグリントンリバー、ミルフォードサウンドへ行く途中にある川である。
見慣れた道から数分歩き、ボートを組み立てる。
そしていざ、流れに漕ぎ出す。
秋の日差しは柔らかく、優しく僕達を包む。
普段見慣れているはずの景色が、川からだと違う風景となり、五感をくすぐる。
「これはいいぞ!」思わず声が出た。
こんなワクワクする瞬間は久しぶりだ。
だだっ広い谷間の中を進んでいくと前方に森が見えてきた。
まるで僕達の行く手を遮るように森が広がる。
「どこに行くんだろう、この先は!」
なんて思わず声が出るが、トーマスはニヤニヤ笑っている。
まあ行き止まりなんてことはないだろうが、行く先が見えないドキドキワクワク感は上がる一方だ。
そんなドキドキ感が極まりきった頃、エグリントンゴージ到着。
なるほどな、だだっ広い谷間がキュッと狭まっているので遠目には谷間が見えない。
間近に来れば、川が渓谷に入っていくのが見える。
この渓谷が本日のハイライトである。
渓谷に入る前に上陸してしばし休憩。
渓谷の中は流れも穏やかで、深い淵になっているのが見える。
水遊びをするにはちょうどいい場所だ。
夏の暑い日に、家族と僕の姪の瑞穂を連れてきて、ここでスイカ割りをしたのだと言う。
ううむ、きっちりと父親の仕事をしてるなあ。
いよいよ渓谷の中へ入っていく。
両側が切り立った岸壁の中をゆっくりと流されていく。
奇岩と呼んでいいような岩は自然が作り上げた芸術だ。
車で何百回も通っていたすぐ脇にこんな場所が存在していたなんて。
こういう場所があることは聞いてはいたが、それと自分の身を実際にここへ運んで感じるものとは別物である。
この空間は晴れの日も雨の日も存在し続け、その一瞬を僕は垣間見た。
大雨で増水した時には違う景色になっていることだろう。
自分が知っていることは、自分が何も知らないことである。
どこかの哲学者の言葉が頭に浮かんだ。
川の流れは一定ではなく、常に動いているものである。
流れが横から来て岩にぶつかって向きを変えるという場所もある。
そこに不用意に近づいた時、流れに押され岩にぶつかりそうになり、船体が横にぐらっと傾いた。
教わったわけではないが反射的にパドルで水面を叩くように押してバランスを取り戻した。
そうか、こういう感じで沈をするんだな、気をつけよう。
渓谷を抜けると青空が広がっていた。
渓谷の中と外とでは別世界のようだ。
見慣れた山が遠くに見える。
遠くに車の音が聞こえる。
ミルフォードロードから一瞬だけこの川が見える所があるが、その辺りなんだろう。
人間の住む世界に戻ってきた感じだ。
そしてまもなく上陸。
前哨戦のエグリントンゴージ・トリップ無事終了である。
車をピックアップしてトーマス家に戻り、後片付けと翌日の準備。
翌日は1泊2日のトリップなので寝袋、洗面用具、食料、酒、その他もろもろをバックパックに詰めてラフトボートの前部に縛り付けていく。
バックパックがどのように取り付けられるかあらかじめテストをしておく。
山行にはいろいろな準備が必要なのだ。
その晩はトーマス家で団欒の食卓である。
奥さんのミホコとも短くは無い付き合いである。
昔僕は長距離路線バスのドライバーをやっていたことがあり、その時に最悪中の最悪な客がいて、そいつが日本人のワーホリ娘の横に座った。
「ごめんね、こんなヤツが横に座って」とその娘に謝ったのだが、それが彼女だった。
彼女は彼女で、ドライバーが日本人だったとは思わなかったらしく、大変な仕事だなと同情してくれた。
ミホコとトーマスの結婚式にも呼ばれたし、お父っつあんと一緒に山を歩いたこともケプラー日記いう話のネタにした。
トーマスもミホコも僕もお互いに歳を取り、子供は育つ。
赤ん坊だった娘は少女となり、パックラフトで一人でエグリントンゴージを漕いだ。
僕の娘の深雪はティーンエイジャーとなり、親父と一緒にスキーになんぞ行ってくれない。
その晩はトーマス特製ビール、これがアルコール分が強いというのを忘れ、うっかり飲みすぎて早々とつぶれてしまった。
カヌーで沈はしなかったが、トーマスのビールで沈没。
続く