あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

トーマスと川下り 3

2017-06-11 | 
さらに川を下っていくと遠くに人影が見えてきた。
こんな所に自分たち以外にも人がいるんだ。
近寄って行き、挨拶をする。
僕達と同じようにパックラフトで川下りをしながら、途中で釣りをやっている男達が3人。
彼らのパックラフトはアメリカ製だがトーマスのはニュージーランド産。
その名もコアロ。コアロとはマオリの言葉でこの国の川魚の名前である。
激流ではなく穏やかな流れに住むこの小魚、ときどきルートバーンを歩いていても見る。
パックラフトも急流ではなく、流れが緩やかな場所向きで、それを商品名とするところが好い。
ひとしきりパックラフトの話で盛り上がり、僕達は再び漕ぎ出した。





川から見る眺めは森歩きとは違う。
森歩きだと木々の切れ間から山が見えたりするが視界は開けない。
川下りだと常に視界が開けていて、気分が良い。
その分、雨の日や風が強い日は大変なんだろう。
森の中から鳥が川の方へ飛び出して、虫を捕まえてまた森に戻っていく、そんな光景を何十回と見る。
こんなのも普通に山歩きをしていたら気付かない。
川を下ることでここまで劇的に自然の見方が変わる。
今までとは違う角度でこの国の自然を楽しめる。
こりゃトーマスが夢中になっちまうわけだな。



穏やかな流れを進んでいくと人の声が聞こえてきた。
歩く道も川と平行しているのだろうが、川の方が低いのでこちらからは山道が見えない。
まもなく川の下流方向から数人のハイカーが歩いてくるのが見え、その中の一人が声をかけてきた。
「あらあら、あなた達、それは楽しそうね。」
「こんにちは。とっても気分がいいよ」
「なんと言っても、歩かなくていいしね」
「楽ちんさ」
「気をつけて楽しんでいらっしゃい」
向こうから僕達はどういうふうに見えるのだろう。



遠くから水音が聞こえてきた。
Hidden Falls 日本語で言えば隠れ滝という滝の音だろう。
この滝のそばの山小屋が今回の折り返し地点である。
上陸地点までそんなに遠くなく、日はまだ高い。
このままフィニッシュしてしまうのはもったいないので、川岸に船を上げて上陸。
しばし休息である。



倒木に腰を下ろすのと同時にサンドフライがやってきた。
サンドフライはブヨのような虫で、刺されると痒いが、かかなければ痒みはすぐに引く。
ただし、かきむしったりすると腫れは広がりいつまでも残る。
西海岸はサンドフライも多い。
マオリの言い伝えでは、人間に来てほしくないようなきれいな場所にはサンドフライが多いのだと、なるほど。
僕らはもう慣れっこで、そういうものだと思っているが、他所から来た人には恐怖と憎悪の対象だ。
観光客のおばさんがこの虫を追い回す時はすごい形相であるし、ヒステリックに嫌がる人も多い。
無造作に追い払う地元の人より、必要以上に毛嫌いする人の方へ虫も多くたかるのが不思議だ。
現代人が虫を毛嫌いするのは、無菌室で育った人が菌に対して免疫が無いのと同様の脆さのようなものを感じる。
以前、ミルフォードサウンドで仕事で行った時に、別のグループの添乗員(50代、オバサン)がお客さんにこう言っていた。
「サンドフライをつぶさないでください。臭いですから」
僕は長年ここに住んでいるがサンドフライを臭いと思ったことなどなく、変な事を言う人だなあと思った。
それを聞いたお客さんの反応がすごかった。
サンドフライがブーンと飛んでくると鼻をつまんで「わあ臭い、わあ臭い」と言って必死で追い払うのだ。
「お前、自分で匂いを嗅いでないだろ」という心の声を胸の奥に、人間の心理とはこういうものだなあと、僕はあきれて見ていたのだった。





再び川を下り始めると滝の音は聞こえなくなった。
「この先に小川があるはずです。それを超えた場所が上陸地点です」
トーマスが言った。ガイドとはありがたいものだな。
ほどなくしてそのポイントが見えてきた。
僕らは船を岸に着け、降りてボートをたたんだ。
たたんだボートをバックパックに縛りつけ、川から一段上の草原へ上がるとすぐに山小屋が見えてきた。
ナルホドこりゃ近くていいな。
5分ほどの歩きで今夜の宿であるヒドゥンフォールスの山小屋に到着。





山小屋は一つの建物の4分の3ぐらいが一般用で残りがスタッフ用になっている。
スタッフ用の施設は二段ベッド、キッチン、ストーブ、僕らは使わなかったがシャワーまでもついている。
トーマスはドックのスタッフなのであらかじめ鍵を借りてきていて、僕達はスタッフ用の施設を使える。
こんな時に日本だったら木っ端役人が「仕事で行くのではないのだからスタッフ用の施設は使ってはいけません」などと言うこともあるのだろう。
ここではそんなケチ臭いことは言わない。
それはトーマスの信用もあるのだろうが、僕も役得にあずかり快適な二人部屋を使わせてもらった。
先ずは服を着替え、パックラフトその他濡れているものを外に干す。
暖炉を点ける前にポンプを手で回し水をタンクに貯めるなどと、小屋には使用上の注意が書いてある。
ポンプを回す、外の薪を運んでくるなど、作業をしていると夕暮れ時になった。





外に出て山すそに沈む夕日を眺めながら、本日の乾杯。
今日も文句なしに「大地に」だな。
自然の中でとことん遊んだ日の最初の一口を大地に捧げるという儀式を始めた相方のJCは、今では北海道で鹿撃ちの猟師になっている。
そして友と乾杯。
今日はビールではなく、トーマス特製のプラムワイン。
けっこうずっしりとくる赤ワインである。
これがなかなかどうして、旨い。
ヤツはこんなものも作っちゃうのか、すごいな。
人里から遠く離れ、太古の昔から続いている自然に抱かれ、友の作った酒を飲む。
人間とはちっぽけな存在だが、小さいなら小さいなりに存在し続ける。
こうやってこの瞬間にこの場で酒を飲むこともまた、自分なりの存在なのだろう。



そのまま晩飯に突入。
晩飯はステーキに白飯である。
奮発して高いステーキ肉を買ってきたからね。
男同士の夜もまた楽し。
ワインを飲みながらテーブルの上の地図を眺めて、あーだこーだ。それがいいのだ。
2本目のワインの終盤でトーマスがダウン。
昨晩は僕が先につぶれてしまったが、今宵はヤツが先につぶれた。
これで1勝1敗か。

続く




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トーマスと川下り 2

2017-06-11 | 
翌日、僕達はホリフォード・バレーへ向かった。
いよいよ今回のメイントリップ、1泊2日の川下り&山歩きである。
今回は翌日の仕事に備えて早めにクィーンズタウンに戻りたいという僕の都合を聞き入れてトーマスが予定をしてくれた。
半日かけてのんびり川下り、半日かけてのんびり歩いて戻ってくる、そしてのんびりとクィーンズタウンに戻るという、とことんのんびりトリップだ。
のんびりと朝飯を食べ、妻子を送り出し、のんびりと準備をして出発。
5月になると太陽の角度も低く、谷底に日が差すのはお昼時から数時間。
なので出発地点でお昼を食べて、日が高い時に川下りをしようという話である。
おなじみのミルフォードロードから折れてホリフォード・ロードへ。
観光道路からの道は未舗装となり車もほとんど通らない。
この最果て感がたまらなく良い。



車を進めていくとモレーンクリークの登山道にさしかかった。
僕らは車を停め、吊橋から川を眺めた。
「トーマスよお、ここを歩いたのは何年前だっけ?」
「あれは娘のマキが生まれる前だったから、かれこれ10年以上も前じゃないかな。」
「そうかあ、そんなになるんだ。お主との二人旅もあれ以来だよな」
「そうそう、お互いに忙しくなっちゃったからねえ」
10年前に歩いた話を僕はに残した。
その時にボランティアだったトーマスは今では正式に雇用され、鳥を保護するチームの主力メンバーとなり、若い世代に仕事を教える立場になっている。
僕は基本的には変わらずに同じ事をやっている。
10年前に歩いた時に見上げたリムは同じ場所に立ち続け、あの時と同じように僕らを暖かく見守っていた。





車を進め、道の終点へたどり着いた。
この先は歩く道しかない。ホリフォードトラックの出発点でもある。
ボートに空気を入れて膨らませ、水に浮かべて、昼飯を食う。
ランチはトーマスが作ったおにぎり。日本人じゃのう。
昼飯を食ってる間に中の空気が冷やされ収縮する。
そして乗り込む時に空気を足して再度パンパンにするのだ。
と偉そうに言うが、全部トーマスの受け売りである。
バックパックを船の前部にしばりつけ、船に乗り込み、いざ出発。
流れに漕ぎ出した。





漕ぎ始めて数分、人の気配は一切消えて、完全な大自然の中に身をゆだねる。
流れは穏やかで漕ぐというよりボーっと流されて、時々思い出したように船の軌道を修正する程度だ。
スキーで言えば初級者用コースと言った具合。
ただしスキーの初級者コースでも完全に平らではなく所々にちょっとした凹凸や一瞬だけ斜度が変わるような場所はある。
それと同じように小さい瀬があったり、川が折れ曲がっている場所などで二つの流れが合わさるような所もある。
油断して流されていたら倒木にぶつかって沈しそうになった。
もし沈をしても川は浅いし流れは緩やかなので溺れる心配はない。
ちなみに僕はまだ沈したことはない。
したことは無いが、もしそうなったらどうする、ということを頭の中でシュミレーションはしている。
してはいるが、頭で想像するのと、実際にやってみるのとでは違うものということも理解している。
経験として沈は何回かした方がいいと思うが、できれば夏の暑い日にやりたいものだ。
季節は秋、水は切れるほどに冷たく、濡れてもいいような服は着てはいるものの、できることなら服は濡らしたくない。





「この辺まで来るとだいぶリムが増えますね」
トーマスがつぶやいた。
確かにその通りで、ミルフォードロードはこの川の上流から源流部を通り、植生も高山植物から標高の高い所に生えるブナの森だ。
だがここまで来ると標高は200mぐらいで川の周りは湿地帯。
植生もリム、カヒカテア、といったこの国固有の針葉樹が増える。
林相が変わるとはこういうことだ。
雰囲気はもはやタスマン海がある西海岸のそれだ。
僕はここの西海岸の雰囲気が好きで、以前は1年に1回は足を運んでいたのだが、最近はそういうこともめっきり少なくなった。
今回は忘れかけていた西海岸への想いも思い出すことができた。





船体の横にカラビナでコップをくっつけてあり、川の水をすくって飲む。
水は透き通るように綺麗で冷たく、当然ながら美味い。
そのまま飲めるような水が流れる川の川下りなんて贅沢な遊びだ。
綺麗な空気と綺麗な水、本来は地球上のどこにでもあったものだろうが、それらが今や人間の世界からは最も遠い所にある物になってしまった。
川は適度に折れ曲がっていて、その場その場で景色が微妙に変わる。
雲が切れて切り立った山と氷河が姿を現した。
一つの流れ込みを通過。この沢はあの氷河から来ているんだろうな。
そしてまたその水をすくって飲む。
幸せだ。





ひたすらのんびりの川旅はいろいろなことを考える時間もある。
時間的に言えば数時間だが、密度の濃い時間である。
大自然という言葉が世俗的に感じてしまうぐらいの環境なのだが、そんな中にいると否応なしに自然のこと、地球のこと、地球の上での人間社会のことを考えてしまう。
僕達がこうやってのんべんだらりんと川下りをしている間にも、地球の裏側では人間同士が殺し合いをしているし、住む所を追われ日々の暮らしに窮している人もいる。
あまりに我が身とかけ離れた出来事だが自分と無関係ではない。
戦争を止めない人達を「あいつが悪い」と言うのは簡単だが、自分にもその責任は僅かでもある。
同じ星に住んでいる者としての責任は常に存在する。
もちろん僕は悪くない。悪くないが関係なくもない。
自分だけが良いのではなく、戦争を止めない人達の心の痛みも自分の物として受け入れることが、ワンネスというものではないだろうか。
そして目の前の自然に浸れることに喜びを見出し、今この瞬間に自分のできること、のんびりと川下りをするということを思いっきり楽しむのが、自分のやるべきことなのだろう。
人間とはどうあるべきか、何をするべきなのか。
答えの出ない問いを考え続けるのも、これまた人間の役割なのだろうか。

続く


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