あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

8月9日 Broken River

2015-08-10 | 最新雪情報
先週は大雨が降ったがこの週末は予報どおり雪が降りスキー場も息を吹き返した。
ブロークンリバーの降雪は30cmほど、多い所では40cmぐらいはあるか。
気温は上がらず雪質は良。
雪が降ったり止んだりの1日で、日曜ということもあってスキー場はにぎやかだった。


大雨で一時は雪が洗い流された山も再び雪化粧。


毎年、若者がスキー修行にやってくる。
今年は去年来たユータの後輩のワカナという女の子が一人でやってきた。
ホワイトスターに泊まりこみで数日間。
若い時の経験は財産なり。


アクセストーでヘイリーに会った。
「今年は大工の仕事が忙しくあまり滑ってないよ」つまらなそうにヤツが言った。


マリリンの家にも日本の高校生の女の子が夏休みの間、ホームステーをしている。
人生初めてのスキーがマリリンに連れられてブロークンリバー。
なにごとも経験、経験。


男達は雪が降る中、ビールを飲む。


山の上部は視界が悪く面白くない。では子供達の為にポールを張ろうという話になりみんなで圧雪。
圧雪は圧雪車でやるという観念があったが、これならば機械はいらない。
スキー場の原点とはこういうものなのだな。


そしてポールを張って子供のポールレッスン。


お昼の楽しみはバーベキュー。リチャードが気難しそうな顔で肉を焼く。


ボランティア・スタッフのジョシュは元ルートバーンのガイド。
ランチタイムのピザ焼きから開放され、ビールタイムである。


帰りはグッズリフトが混んでいたので駐車場まで滑って下った。


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百レボと愉快な仲間たち 2

2015-08-10 | 


早朝、白髭神社の湖に立つ鳥居と朝日を拝み、旅を続ける。
おっさんに駅まで送ってもらい、サンダーバードという男の子が喜びそうな名前の特急で京都へ。
京都からは東海道線で草津まで、わりと混んでいる通勤電車で20分ほど。
草津から草津線に乗り換えて貴生川まで。
この辺りからだんだんローカル線っぽくなっていき、旅情も盛り上がる。いいぞいいぞ。
この時点で日本に着いてから2週間ほど経っていたのだが、それまでは自分が住んでいた場所であったり、友達を訪ねたり、ある程度知っていた場所を巡っていた。
だがこれから尋ねる日野という場所は縁もゆかりも無く、どこにあるかも知らない。
それにこれから会う人も西やんという友達のそのまた友達、そして読んだ本の筆者ももちろん面識がない、という具合に分からないことづくめだ。
だが分からない展開の中で妙に旅を楽しんでいる自分がいた。



貴生川という駅についてそこからは近江鉄道という私鉄に乗り換える。JRパスは使えない。
貴生川駅で信楽高原鉄道という看板を見た。
そうか信楽(しがらき)という場所はこの辺りなんだな。
僕が乗る近江鉄道は信楽鉄道とは反対側。
看板に沿ってホームへ向かうと長蛇の列である。
今日は日野のお祭りだからな、きっと観光客で混みあうんだろうか。
自動券売機などとしゃれたものはなく改札兼窓口で駅員がせっせと切符を売り、その場ではさみを入れている。
「こんなに並んでいたら出発時間に間に合わないじゃないか」
近くにいたおじさんがイライラしながらしゃべっているのが聞こえた。
確かに電車の出発時間は迫っているし、これを逃せば次の電車は1時間後だ。
都会で時間通りにキチキチと電車が出る感覚だとそうなんだろうが、ここは田舎で目の前に電車が停まっているのが見える。
別の誰かがおじさんに言った。
「大丈夫、全員乗るまで待ってくれますよ。」
そうだよな、そういうノリって大切だよな。
適度なユルさと言うのか、時間に縛られない余裕とでも言うのか、でもそれは過密な都会では通用しない。
出発の時間を多少越えて改札に人がいなくなり電車は駅を出た。
貴生川から日野までは30分ほどの行程だ。
電化されているが線路は単線、いかにもというローカル線でこういうのは大好きである。
かなり混んでいた車内も途中の駅で中学生の一団が降りると座るスペースも出てきた。
春の日差しが降り注ぐ中、電車は田畑の中をガタゴトと走る。





日野駅に着くと乗客のほとんど、と言っても30人ぐらいだがそこで降りてしまった。
僕も降りて今日会うはずの星子に電話をいれた。
大きな荷物があることを伝えると、彼らが投宿している旅館に荷物を置いてから綿向神社に来てくれと、旅館から神社までは歩いて20分ぐらいなのでそこで落ち合おうと。
ふむ、そうか、次のチェックポイントは旅館だな。
駅を出たとたんに町中祭り一色で、どこもかしこも観光客であふれている、そんなイメージが少なからずあったのだが駅前はガランとしてこの町で祭りをやっているという雰囲気ではない。
駅を出ると地元のボランティアガイドなんだろうな、はっぴを着たおじさんたちがさっき降りた乗客と話をしている。
どうやらさっき電車にのって来た人達の大半は祭りに行くのではなく、近くに山歩きに行くようだ。
ボランティアガイドの人に話を聞くと、街の地図を渡され祭りをやっている地区までバスで15分ぐらいかかると。
のんびりとバスを待ちながら、僕はこの奇妙な旅に想いをめぐらせていた。
さて今日はこれからどうなるんだろう。
何かは分からないが面白いことが始まりそうな予感がする。
先が見えなくて、とりあえず一つ一つの行動をワクワクしながらこなしていく愉しみ。
まるでドラクエなどのロールプレイングゲームを生身で実践しているようで実に愉快である。



バスで15分ほど揺られて教えられたバス停で降り歩き始めた。
♪知らない街を歩いてみたい、という唄があったがまさにそれ。
キョロキョロしながら旅館を探す。
バス停から先は車の乗り入れ禁止で、ここまで来ると祭りの雰囲気があちこちで感じられる。
旅館に着くとすでに話がついているようで、彼らが泊まっている部屋に通された。
会った事もない人の部屋を覗くようで少々気が引けたが、荷物を下ろし簡単に着替えを済ませ旅館を出た。
旅館から神社までの通りは昔の造りの家が多く、中には家を開放して内部を見せてくれる家もある。
9年ぶりに日本に帰ってきた僕には全てが物珍しく、それでいてどこか懐かしい、そんな想いが溢れる。
縁台に腰掛けてお茶をご馳走になりおばあさんの話を聞いてと、あーやっぱり久しぶりの日本はいいなあ。
いかんいかんそんな事をしていたら遅くなってしまう。先へ進まねば。
神社の近くまで来ると屋台が並び人も増え一気に祭りの雰囲気が盛り上がる。
そうそうこの感じ、ニュージーランドでの暮らしが長く、忘れかけていた日本のお祭りの感覚がよみがえる。
しみじみとそんなことを感じていたら、遅くなった僕を心配したのか星子から電話がかかってきて、その数分後に彼らと合流した。




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8月8日 Mt.Hutt

2015-08-09 | 最新雪情報
毎年1回か2回はマウントハットへ行く仕事が来る。
20年前に何シーズンか過ごしたこの山も今ではホームではなくアウェイだ。
久しぶりに上がってゆっくりと景色を眺めてみると、その時には見えなかったものが見えるのは自分が年を重ねたせいだろうか。
平野部にも雪が降り、山では30cm以上も積もった。
ただし風が強かったので場所によっては吹き溜まった場所とアイスバーンが交互に来る。
そして一気に雪が降ると雪崩が起きるのは自然の摂理。
営業が始まってからもパトロールがダイナマイトを爆破させる音が鳴り響いていた。


以前は住んでいたメスベンの街にも雪が降った。
クライストチャーチからだとメスベンには寄らないが、この日はスキー場のオープンが遅れたのでメスベンに寄ってコーヒーブレイク。


コースの中でもこんな雪崩が起こる。スキーパトロールは大忙しだ。


そして一番美味しい所を滑るのもパトロールの特権。


そういう所は目立つからすぐに人が来る。


稜線まで登りラカイア川を見下ろし一休み。


ポーターズをこの角度で見る。いつもは向こうの尾根からこっちを見ているんだな。


2時を過ぎた頃に山頂までのリフトが動いた。


そして本日の1本。


これです。美味しくいただきました。


営業開始が遅れたので5時までリフトを回した。
みんな満足で帰路につく。

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百レボと愉快な仲間たち 1

2015-08-08 | 
きっかけは去年の夏、クィーンズタウンのフラットメイトのタカに借りた本からだった。
『百姓レボリューション』というタイトルの本で、僕はその本を数日で貪り読んでしまった。
本でこれだけの感銘を受けたのは久しぶりだ。
もう10年ぐらい前になるか『聖なる予言』を読んだ時と同じぐらいのインパクトの強さだった。
ストーリーは近未来、大地震が起こり都市部は崩壊して田舎に農業を基盤とする村社会が出来上がっていくというものだ。
いわゆるパニック物ではなく、きっかけはそれだがそこから人間はどう生きていくか、という形でドラマは進む。
自分自身が向かっている自給自足の考え、有り余る物に感謝の心を忘れた人間への警鐘、スピリチュアルに溺れた人の弱さ、そしてこれからの未来への道、それらが全てリンクした。
本は大手出版社を通しているわけではなく、自費出版というか自己出版というか、本を注文すると発送までも筆者本人がやってしまうという自己完結型システムなのである。



この本の事をブログで書いたら、飛びついたのが西やんだった。
西やんとの出会いはネットを通じてだった。
もう5,6年ぐらい前になるか、あるソーシャルネットコミュニティの中で場が荒れた時があり僕も周りもうんざりしていたのだが、そこに西やんが現れて荒らしているヤツを電光石火で一刀両断。
そこから友達つきあいが始まった。
ニュージーランドと日本、数千キロも離れているが心で通ずるものがある。
それは分かる人には分かるものであり、毎日顔を見て会っていても感じない人もいる。
ネットという道具を利用して僕らは友好を暖めやりとりが続いた。
西やんも何か閃いたのだろう、すぐさま『百姓レボリューション』略して『百レボ』を注文して読み、感動して友達に広めた。
西やんの人脈は広く、あっというまに百レボが読まれ広まり、注文が殺到して筆者がびっくりするということにもなった。
そんな西やんと、4月に僕が日本に行った時に東京で会おうということになった。
西やんが指定した場所は東京のど真ん中、首相官邸のそばのとある神社だった。
そこは彼の会社のそばで、忙しい中でも2時間お昼休みがとれたと言う。
僕は彼がサラリーマンだということを知っていたが、どの会社で何をやっているのかは全く知らなかった。
聞くとNTTドコモ関連のITエンジニアだと、多分それってサラリーマンの社会ではエリートなのかもしれないけど、ぼくにとっては肩書きなどはどうでもよく、西やんは友達の西やんなのである。
その時は会社の上司であり同志でもある後藤さん(通称ごっちゃん)も交え食事をしながら話をした。
お互いに初対面だがかなり昔からのつきあいのようで、ぎこちなさは全く無く話がはずむ。
心の奥で繋がっている者とはそういうものだ。
もっと話がしたいな、と互いに思ったがそこはそれ、相手は超忙しい会社員である。
長めのお昼休みが終わる頃、神社にお参りをして再会を約束して別れた。



今回の旅ではプランは漠然と立てておいて、後は場の成り行きに任せようと思っていた。
自分を高い状態というか好い状態で保つようにしておけば、会える人とか会うべき人には会えるし、全てが面白い方向に転がっていくものだ。
日本に着いてからも色々な人と連絡を取り、ライブの日程が次々に決まっていく。
まるでジグソーパズルのピースがあっちこっちから飛んできて自分の前でピタリと合い、そうやって道が出来ていくがごとく、面白いようにスケジュールが埋まっていった。
何年も前にクィーンズタウンで思ったのだが、『次に日本に帰る時には人に会うので忙しくなりそうだなあ』それがそのまま現実になっていた。
思考は現実化するのである。
確かに忙しさはあるがそれがイヤな忙しさでなく、毎回毎回がとても充実しており、いくら忙しくても疲れない忙しさだ。
そんな調子で旅を続けて行ったのだが、どうしても日程が決まらない所があった。
早いところでは2週間ぐらい先から予定が埋まっていったのだが、ゴールデンウィークの中程の所だけがポッカリと1日だけ空いていた。
なんだろなこれは、だけどこれは意味があるんだろうか。
そんな気持ちで旅を続けていた時、西やんのフェイスブックの書き込みを見つけた。
西やんの友達が百レボに感化され、ゴールデンウィークに筆者に会いに蒲生の里、琵琶湖の近くへ行く。
ちょうどその時は神社のお祭りがあり、同行者を求むと。
何気なく「ちょうどその頃は琵琶湖の辺りにいるんだよね」とコメントを書いたら、あれよあれよという具合に話がまとまり、何の面識もない人達とお祭りで合流という事になった。
面識はないが西やんの紹介なので悪い方にはならないだろう、それよりもひょっとすると面白いことになるかもしれないな。
そんな事を考えながらも行く先々で友達と遭い、時間は飛ぶように過ぎていった。



綿密な計画を立てないという旅だが、もう一つ自分に課した課題は下調べを一切しない。
下調べをするとそれにそって行動をしなければいけない、というような観念ができる。
どこそこへ行くのならこれを食べなきゃ、あそこへ行ったらあれは絶対やらなきゃ、というように。
せっかくそこへ行くのなら最高の思いをしたい。
その気持ちは僕にもあるが、あまりそれにこだわりすぎるのもどうかと思う。
その通りに行かなかったら損をするような気分になったり腹を立てたり、本当に大切なものが見えなくなってしまうこともあろう。
今やネットのおかげで情報というものは何時でもどこでも手に入る。
僕はこのご時世に、あえて情報は現地調達、下調べなしというようにした。
現地に行き人と話をして尋ねたり、お店で聞いたり、現地についてからネットで調べる事もあったが、基本的に現場で調達しようと考えた。
徹底的に自分の勘と運を信じてみようと。
意識したのは、自分を高めているようこころがけた。
自分を良い状態に保っていれば全てが上手く行き、それが自分で味わえる最高の旅になるのだろうと。
その結果、名物を食いっぱぐれたとしても仕方あるまい。
自分の判断そして行動による結果は全て自分の責任である。



琵琶湖の辺りは今まで全く縁がなく土地勘もない。
日野に行くという事は数日前に決まったが、漠然と琵琶湖の近くということだけを知りながら、僕は北陸から琵琶
湖へ向かった。
できたばかりのきれいだが旅情のかけらもない北陸新幹線で金沢まで行き、特急で敦賀まで。
名前だけは聞いたことがある土地を通過する。
そこから湖西線で琵琶湖のほとりの近江高島へ。
琵琶湖では友達のおっさんがキャンプ場で管理人をしているというので、寄る事になった。
そこは琵琶湖の西側、白髭神社という神社が近くにある。
そこに行ってから調べてみるとどうやら日野は琵琶湖の東側、地図で見ると直線距離では近いが琵琶湖をぐるっと周らなくてはならない。
まあいい。鉄道は乗り放題だし、どうせ行き当たりばったりの旅だ。
なりゆきに身を任せるのもなかなか楽しい。
キャンプ場にはギターもあり即興の弾き語りとマオリの唄で旧友を暖め新しい友達もでき、酒に溺れてしまった。ブクブクブク。

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8月6日 Porters

2015-08-07 | 最新雪情報
久しぶりに山に上がった。
軽い肉離れをやってしまって、大事をとってしばらくは観光の仕事などをしていたのだ。
山では数日前に大雨が降ったがその後で雪に変わったようで、15cmぐらいの積雪があった。
久しぶりに山に上がってみれば、湧き上がる想いはひたすら感謝である。
こうして再びこの場所に身を置く事の出来る喜び。
スキー板を雪の上で滑らせる感覚に慣れきっていなかったか。
当たり前の事を当たり前と思わず、些細な事柄にも心を震わせていこう。
同時に一見自分にとって喜ばしくないような事でも、全て自分の判断からきた結果であり、何かしらの意味があるのだと気づくこと。
自分を戒めることは大切だが、自分を落としてはいけないのだと。
また戒めとは人に強制されてするものでなく自分からするものだと。
そんな事を考え、山に手を合わせた。


リフトのある風景も定着してきた気がする。


そして上部はTバー健在。


南アルプスとこの地形の組み合わせが好きだ。


天気が良いとNZの最高峰、アオラキ・マウント・クックもこの角度で見える。神の山に拝む。


怪我人を運ぶヘリが来ていた。クライストチャーチまで一っ飛びなんだけど、できることなら乗りたくないな。


学校のスキー教室が重なったようで駐車場にバスが並ぶ。自分が運転したのは先頭の黄色いヤツ。


踏み残しがあったので軽く踏んでみた。
病み上がりだからね、軽く、軽ーく。
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