きっかけは去年の夏、クィーンズタウンのフラットメイトのタカに借りた本からだった。
『百姓レボリューション』というタイトルの本で、僕はその本を数日で貪り読んでしまった。
本でこれだけの感銘を受けたのは久しぶりだ。
もう10年ぐらい前になるか『聖なる予言』を読んだ時と同じぐらいのインパクトの強さだった。
ストーリーは近未来、大地震が起こり都市部は崩壊して田舎に農業を基盤とする村社会が出来上がっていくというものだ。
いわゆるパニック物ではなく、きっかけはそれだがそこから人間はどう生きていくか、という形でドラマは進む。
自分自身が向かっている自給自足の考え、有り余る物に感謝の心を忘れた人間への警鐘、スピリチュアルに溺れた人の弱さ、そしてこれからの未来への道、それらが全てリンクした。
本は大手出版社を通しているわけではなく、自費出版というか自己出版というか、本を注文すると発送までも筆者本人がやってしまうという自己完結型システムなのである。
この本の事をブログで書いたら、飛びついたのが西やんだった。
西やんとの出会いはネットを通じてだった。
もう5,6年ぐらい前になるか、あるソーシャルネットコミュニティの中で場が荒れた時があり僕も周りもうんざりしていたのだが、そこに西やんが現れて荒らしているヤツを電光石火で一刀両断。
そこから友達つきあいが始まった。
ニュージーランドと日本、数千キロも離れているが心で通ずるものがある。
それは分かる人には分かるものであり、毎日顔を見て会っていても感じない人もいる。
ネットという道具を利用して僕らは友好を暖めやりとりが続いた。
西やんも何か閃いたのだろう、すぐさま『百姓レボリューション』略して『百レボ』を注文して読み、感動して友達に広めた。
西やんの人脈は広く、あっというまに百レボが読まれ広まり、注文が殺到して筆者がびっくりするということにもなった。
そんな西やんと、4月に僕が日本に行った時に東京で会おうということになった。
西やんが指定した場所は東京のど真ん中、首相官邸のそばのとある神社だった。
そこは彼の会社のそばで、忙しい中でも2時間お昼休みがとれたと言う。
僕は彼がサラリーマンだということを知っていたが、どの会社で何をやっているのかは全く知らなかった。
聞くとNTTドコモ関連のITエンジニアだと、多分それってサラリーマンの社会ではエリートなのかもしれないけど、ぼくにとっては肩書きなどはどうでもよく、西やんは友達の西やんなのである。
その時は会社の上司であり同志でもある後藤さん(通称ごっちゃん)も交え食事をしながら話をした。
お互いに初対面だがかなり昔からのつきあいのようで、ぎこちなさは全く無く話がはずむ。
心の奥で繋がっている者とはそういうものだ。
もっと話がしたいな、と互いに思ったがそこはそれ、相手は超忙しい会社員である。
長めのお昼休みが終わる頃、神社にお参りをして再会を約束して別れた。
今回の旅ではプランは漠然と立てておいて、後は場の成り行きに任せようと思っていた。
自分を高い状態というか好い状態で保つようにしておけば、会える人とか会うべき人には会えるし、全てが面白い方向に転がっていくものだ。
日本に着いてからも色々な人と連絡を取り、ライブの日程が次々に決まっていく。
まるでジグソーパズルのピースがあっちこっちから飛んできて自分の前でピタリと合い、そうやって道が出来ていくがごとく、面白いようにスケジュールが埋まっていった。
何年も前にクィーンズタウンで思ったのだが、『次に日本に帰る時には人に会うので忙しくなりそうだなあ』それがそのまま現実になっていた。
思考は現実化するのである。
確かに忙しさはあるがそれがイヤな忙しさでなく、毎回毎回がとても充実しており、いくら忙しくても疲れない忙しさだ。
そんな調子で旅を続けて行ったのだが、どうしても日程が決まらない所があった。
早いところでは2週間ぐらい先から予定が埋まっていったのだが、ゴールデンウィークの中程の所だけがポッカリと1日だけ空いていた。
なんだろなこれは、だけどこれは意味があるんだろうか。
そんな気持ちで旅を続けていた時、西やんのフェイスブックの書き込みを見つけた。
西やんの友達が百レボに感化され、ゴールデンウィークに筆者に会いに蒲生の里、琵琶湖の近くへ行く。
ちょうどその時は神社のお祭りがあり、同行者を求むと。
何気なく「ちょうどその頃は琵琶湖の辺りにいるんだよね」とコメントを書いたら、あれよあれよという具合に話がまとまり、何の面識もない人達とお祭りで合流という事になった。
面識はないが西やんの紹介なので悪い方にはならないだろう、それよりもひょっとすると面白いことになるかもしれないな。
そんな事を考えながらも行く先々で友達と遭い、時間は飛ぶように過ぎていった。
綿密な計画を立てないという旅だが、もう一つ自分に課した課題は下調べを一切しない。
下調べをするとそれにそって行動をしなければいけない、というような観念ができる。
どこそこへ行くのならこれを食べなきゃ、あそこへ行ったらあれは絶対やらなきゃ、というように。
せっかくそこへ行くのなら最高の思いをしたい。
その気持ちは僕にもあるが、あまりそれにこだわりすぎるのもどうかと思う。
その通りに行かなかったら損をするような気分になったり腹を立てたり、本当に大切なものが見えなくなってしまうこともあろう。
今やネットのおかげで情報というものは何時でもどこでも手に入る。
僕はこのご時世に、あえて情報は現地調達、下調べなしというようにした。
現地に行き人と話をして尋ねたり、お店で聞いたり、現地についてからネットで調べる事もあったが、基本的に現場で調達しようと考えた。
徹底的に自分の勘と運を信じてみようと。
意識したのは、自分を高めているようこころがけた。
自分を良い状態に保っていれば全てが上手く行き、それが自分で味わえる最高の旅になるのだろうと。
その結果、名物を食いっぱぐれたとしても仕方あるまい。
自分の判断そして行動による結果は全て自分の責任である。
琵琶湖の辺りは今まで全く縁がなく土地勘もない。
日野に行くという事は数日前に決まったが、漠然と琵琶湖の近くということだけを知りながら、僕は北陸から琵琶
湖へ向かった。
できたばかりのきれいだが旅情のかけらもない北陸新幹線で金沢まで行き、特急で敦賀まで。
名前だけは聞いたことがある土地を通過する。
そこから湖西線で琵琶湖のほとりの近江高島へ。
琵琶湖では友達のおっさんがキャンプ場で管理人をしているというので、寄る事になった。
そこは琵琶湖の西側、白髭神社という神社が近くにある。
そこに行ってから調べてみるとどうやら日野は琵琶湖の東側、地図で見ると直線距離では近いが琵琶湖をぐるっと周らなくてはならない。
まあいい。鉄道は乗り放題だし、どうせ行き当たりばったりの旅だ。
なりゆきに身を任せるのもなかなか楽しい。
キャンプ場にはギターもあり即興の弾き語りとマオリの唄で旧友を暖め新しい友達もでき、酒に溺れてしまった。ブクブクブク。
続