彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

彦根城周辺史跡スポット:野田山金毘羅宮の『古城秘話』

2007年02月19日 | 史跡
1月28日に野田山金毘羅宮の紹介を致しました。
↓この記事です
http://blog.goo.ne.jp/hikonejou400/e/267564fc7711fe6beaf0c6d7ccfd5e76

この記事を見つけて下さって、野田山金毘羅宮の詳しいお話と400年祭の彦根に相応しい物を紹介していただけました。

これは、皆さんに知っていただきたいと思いましたので、そのお話をご紹介します。


以下、いただいたメールを少し書き換えて掲載します。

金毘羅宮慈眼寺の十一面観世音様は、秘仏であり、毎年8月9日の万灯会のみのご開帳となっているそうです。
春と秋には大祭があり、ご参拝のかたがた皆様には祈祷後に地元信者達による昼食のご接待があったり、2月には護摩法要の後にダイコン炊きのご接待があったりとアットホームな満腹系の神社仏閣。
金毘羅宮横には大灯篭があり、現在(2007年2月)は改修が必要な為上れませんが、上部にあがれば天気の良い日には彦根城が望めます。

金毘羅様本殿前の狛犬様は右が男性、左が女性の病封じの力を持った狛犬様。
(これは実体験されておられるそうです)

病封じ、御祓い、子授け安産等には大変なお力を持っている金毘羅様です。
昔は金毘羅様裏手の山道より多賀大社へと参道が続いていたとのことですよ。


また、金毘羅宮慈眼寺には『古城秘話』と題された8枚の屏風絵があり、井伊大老が開国され、桜田門にての出来事までの事柄が、日本画と文章とで記されています。

~この『古城秘話』に興味が沸きました、そして詳しいお話を下さいました~
以下、また少し書き換えて掲載します。

(『古城秘話』は)戦後に書かれた物なので、屏風絵自体に文化財的価値は無いため、今回の400年祭にあたって市にお話をしましたが表に出していただく事ができなかったものです。

秘話を読んでいただければわかるのですが、これを作られたのは地元彦根の方で、もうお亡くなりになっておられますが、井伊大老の功績が正しい事であったと証明するべく奔走された方です。

戦前は井伊大老の行い自体が、国を裏切る行為だという歴史になっていたようです。
しかしそうではなく、井伊大老の行いは国のため、人々のためであったという歴史に正すべく、戦後、アメリカ軍が日本に駐留した際、たった一人で直談判されたそうです。
(僕はこんな方が居られた事すら知りませんでした・・・)。
伝えられる歴史を塗り替えるにはアメリカ軍が日本の国政をいじる今しかないという判断だったようです。アメリカで行われた国交100年際に井伊家の子孫を招待するようお願いしたのもこの方です。
いわば、今、滋賀県民、彦根市民の誇りとなっている井伊大老の“正しい姿”を定着させたのは歴史家でも政治家でも市長でもなく、一市民の勇気ある行動だった。
(と、先人の努力を教えていただきました)


文化財的価値も必要ですが、こういった人が感じられる作品も400年祭で改めて見直すべきではないでしょうか?


この『古城秘話』に興味を持って見たいと思われた方に朗報です!!

屏風絵は常に出している訳ではないそうですが、事前に連絡をすると見せて下さるそうです。
また、連絡ができなくても時間にゆとりがあれば金毘羅宮慈眼寺の方が出してくださるとの事でした。
「たくさんの方に見ていただけることで、その方(作者)も喜ばれると思います」と仰って下さっていますので、ぜひ観に行って下さいね。


追記:僕も観たいと思っていますので、観る事ができましたらまたこの項にカキコします。
お楽しみに。
コメント (1)
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