彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

彦根城周辺史跡スポット:「城南小学校と土器」

2007年05月28日 | 史跡
生命は水から誕生したといわれています。その為でしょうか? 生き物は水辺に集まる事が多く、それは人間も例外ではありませんでした。
人間が生きる事に精一杯だった時代、人々は川や湖の周りに集落を作って生活を営んでいたのです。琵琶湖とそれに付随する多くの河川がある滋賀県はそんな人々が住むのに調度良い場所でした。ですから古くからの遺物もたくさん発掘されています。


彦根市内でも数多くの太古遺跡が発掘されていますが、その中でも特に有名な遺跡が西今町の福満遺跡ではないでしょうか?
大正7(1918)年4月、現在は城南小学校と呼ばれている福満尋常小学校の運動場の土盛りを目的にすぐ北にあった田んぼを1mほど掘ってみると、そこから2個の土器が発見されました。
この土器は今から1900年ほど前の弥生時代後期に作成された弥生式土器だと言うことが解り、1個が小学校に保管されたのです。
やがて太平洋戦争が起こり、末期になるとアメリカ軍の本土爆撃機が彦根にもやって来ました。
何度かあった空襲の一つが小学校(この頃は城南国民学校と呼ばれていました)校舎付近に爆撃であり、建物が倒壊する悲劇が起こりました。この時、死者10名重傷者10名という悲しい結果を生むのですが、それと同時に倒壊した校舎の中の校長室にあった筈の土器が一時行方不明になったりもしたのです。
後に用務員室から発見され安堵したというエピソードも残っているんですよ。

昭和56(1981)年、城南小学校増築に伴って調査を行うと今度は3000年ほど前の縄文式土器も発掘されました。ただ、この土器には使われた跡が無くこの時代の住居跡が発見されて居ない事から縄文時代は土器の作製を行う場所として利用され、住居は近くの別の場所にあったと考える事ができますね。
ちなみに、詳しく調べてみると、近くの犬上川川筋が昔(縄文時代から古墳時代)はこの城南小学校の辺りを流れていた事も判明しています。
ですから、この付近で住居跡が発見されるのは古墳時代後期の物となります。この事から、犬上川に近いこの地域周辺は縄文時代や弥生時代は犬上川の周辺の湿地帯に低く狭い陸地が点在していたと考えられ、小さな集落しか形成する事ができなかったのではないかと予想されています。
古墳時代後期になると、犬上川から運ばれた土砂が堆積して大きな土地が出来上がり、それに伴って大集落が作られていったのではないでしょうか?


城南小学校の下には今でも多くの土器や遺物が埋まっているそうです、そんな遺物の一部である縄文式土器や弥生式土器が、土器が行方不明になる原因となった爆弾の破片と一緒に城南小学校の玄関に展示されていて、お客さんや生徒のみんなに地元の歴史を伝えているんですよ。
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