彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

小田全宏さんへのインタビュー

2008年09月08日 | 講演
 平成20年8月27日、東京虎ノ門にある小田全宏さんのオフィスに『どんつき瓦版』編集部の編集長と記者である管理人がお邪魔を致しました。7月19日に彦根で『井伊直弼のリーダーシップ』というタイトルで講演をされた小田さんへのインタビューを行う為の訪問だったのです。

 そんなインタビューの内容をご紹介します。
管理人「一ヶ月ほど前になりますが講演をしていただき、現場で聴いていて楽しい講演で地元では顕彰されていない新たな井伊直弼像をお話していただいたのが印象的でした。では例えば萩などの他の土地で顕彰されている吉田松陰らと、彦根との違いはどの程度差があるものなのでしょうか?」
小田先生「吉田松陰の場合は『松陰先生の時間』というものが小学校にあります。松陰の言葉などを勉強してちゃんと生活の中に入れている訳です、ですから単に『吉田松陰という偉い人が居た』とかではなく、「その言葉を元に勉強しましょうよ」というものですので萩の子どもたちはキチッとしていますよね。
 そう言った意味では吉田松陰を『昔の人で偉い人だった』と顕彰しているよりは、今も吉田松陰は萩の地で教育者として生きているという気がします」
管理人「ずっと教えを受けていると言う?」
小田先生「感じですね。今日の時点ではどうか分りませんが、何年か前に訪問した時の印象はそうでしたね」
管理人「萩での(吉田松陰を処刑した)彦根の印象は?」
小田先生「僕は彦根の出身だけど何かを言われた事が無いので、細かい事は分りませんが、吉田松陰が井伊直弼によって処刑され、直弼が彦根藩で・・・という認識はあるのかどうかは分りませんね。
 萩には松陰神社があるでしょ? 結構ぼろっちい建物ですが吉田松陰の生涯が分るような資料があり、皆さんがバスなどで来てそれを見て行きます。そんな方々がどこまで松陰の遺徳を偲んで来られているかは分りませんけどね」
編集長「今日、ここに来る前に(世田谷の)豪徳寺に行き、そこから松陰神社に行ったのですが『なぜ松陰神社があるのかな?』と思ったんです」
小田先生「近くですものね」
編集長「行ってみて分ったのは、豪徳寺の辺りは彦根藩の所領で、松陰神社の辺りは長州藩(萩藩)の物だったようです。そこに偶々土地が在ったので(松陰を)埋めたそうです。
 何で目と鼻の先に殺した側と殺された側とが祀ってあるのかと思ってね」
小田先生「松陰神社は萩にもありますよ」
管理人「世田谷の松陰神社に行ってみると、(長州藩士の)桂太郎が『松陰先生の近くに埋めて欲しい』と遺言して埋葬されていたり、その他の長州藩士もそこに墓を作っているところを見ると、萩の方は今でもされているように、当時でも吉田松陰を尊敬されていたのがよく分ると感じました」
小田先生「そうですね」

管理人「先日、先生が彦根で講演されていた時に販売されていた著書『日本人の神髄』を読まさせていただいたのですが、あの中でもやはり吉田松陰の人柄や、お話にもありました“無私の精神”を感じさせるようなものがあり、小田先生は吉田松陰が好きなのかな?と思いながら読まさせていただきました」
小田先生「大好きです」
管理人「あの本には全部で8人の人物が紹介されていて、僕は最後の中村天風が好きだったのですが、先生は8人をどのように選ばれたのですか?」
小田先生「気分ですね」
管理人「気分ですか(笑)」
小田先生「僕は毎月一回色んな日本の素晴らしい賢人の足跡を辿って歩いているのですが、その中でも好きな人を選んで書きました」

管理人「その中で“陽転思考”もありましたね。僕も実はそういう考え方のような事を勉強していて、『自分が笑顔になれれば、周りにも笑顔が与えられる』というような事で、先生が書いておられる陽転思考も理解でき『こういう事が他に広がっていくのが嬉しい』と思いましたが、先生は“陽転思考”について色々な所で講演されているのですか?」
小田先生「そうですね。僕は井伊直弼の専門家ではなく社会教育家という立場が本業です。様々な所で講演やトレーニングをします。
 言葉というだけではなく、誰でも『プラスの意識を持ったら良い』と言われれば『ああ、そうですか』と言われるのは一言で、言われれば反論できないですが分っていてもできないものです。
 でも『自分の中にある素晴らしい力を信じなさい』と言うよりも、例えば『あなたが自転車に乗れる事を信じなさい』という暇があったら自転車に乗れるようにしたら良いのです。すると乗れた人は『自分は自転車に乗れる』と思えるという事です。
 だから、そういう意味で僕が行っているトレーニングは『自分の中に凄い力がある事を信じろ』と言うのではなくて、その力を見せるのです」
管理人「例えばどのような?」
小田先生「元々は松下幸之助さんなどの教えを中心にしながら“陽転思考”と“EQ(心の知能指数)”を伝えています。
 十年くらい前に偶々福岡の先生にリーダーシップのトレーニングをした時に、脳の動きを変える方法を教えたら先生方がビックリされて、それから“アクティブ・ブレイン(絶対記憶)”のセミナーをやってくれと大騒ぎになったのです。
 それは『自分には凄い力がある』でしょ? 『でもね・・・』なのです。
 しかし、実際にその人の能力を目の前で実証する、自転車に乗らせてあげるのです。乗れればそれで自分の能力を理解します。
 人間はみんな、それぞれ生まれながらのコンプレックスがあります。それは種の中に入っている遺伝的コンプレックスもあり、生まれてから『勉強ができなかった』などの人生の中で上手く行かなかった事を経験し自分を抑え付けてしまうコンプレックスも持っています。
 自分が失敗したという明確なものではなくても、色々なマイナスの要因がたくさんありますから、『力がある』という話を聴いて分っていても『はい』とはなかなか言えないのです。ですから『ほら、できるでしょ』と体験させてあげればいいのです。
 言葉ではなかなか伝わらないでしょうが、僕のやっている事はまずは記憶力を10倍にしてしまうのです。おそらく10倍という表現で無理はないと思います。
 先日の講演をしている時でも(原稿などは)何も見ていません、見ていませんが講演が終わった後に言い残した事があったとう後悔は一つもありません。それは何故かと言えば自分の中にその時に話す内容が脳の中で書かれているからなのです。
 僕は30~40分で一冊の本を読んで、中に何が書いてあったかを言う事ができます。これは能力ではなく技術なのです。“脳を使う技術”です」
管理人「先生はイメージしながら脳に記憶するトレーニングについて書かれていましたので、僕も試そうと思ったのですが、絵が頭の中に浮かばずに躓いてしまいました」
小田先生「僕は“絶対記憶”という脳のトレーニングの一番初歩の事を、面白おかしく猿でもできるように書いたのですが、それができない人が多く、いかに本は難しいかという事を経験しました。
 ですからトレーニングを受ける方も『自分にできるだろうか』と不安になられますが、トレーニングをすれば全員できるようになります」
管理人「僕は、まずは富士山をイメージするところから始めたのですが、絵が出てこないのです」
小田先生「根本が間違っているのです。僕から言わせればもう一生できないです。
 なぜかと言えば『出て来ない』から入っていますから・・・」
編集長「出て来ないと決め付けてしまうと?」
小田先生「そう、自分でね。『何とか出さなきゃ』と思っている時点で一生できないのです。
 実は全然違うのです、やり方はあるのです。例えば『こんな形かな?』と思ったとしても『違うかもしれない』と思っちゃうのです。でも僕のトレーニングをすれば目に見えて分ります。
 これはトレーニングをすれば分るのですが、僕は始めはこんな事をするつもりはありませんでした。でも誰でもできる事なのです」
管理人「本では拝見した事があるんです」
小田先生「絶対記憶?」
管理人「はい、でも最初のイメージで躓いて・・・」
小田先生「ですからコレなのです、あの本を書いたら猿でも分る筈だと思って書いたのですが、こういう方(管理人)が居られるのです。それが10人の内9人なのです。もしかしたら9人は大げさかもしれませんが7人や8人は居ます。
 セミナーをしても大半の方が『やっぱり難しい』と言われるのにビックリしました」
管理人「僕は何でも文章にしてしまうので、絵が出てこないというのが頭の中に入り込んでしまっているのです」
小田先生「でも、管理人さんは絶対に大丈夫なのですよ。『開国』のような記録ができるという事はそういう脳になっているんです、それを無理矢理変えようとするから変なのですよ。『それはそれ、コレはコレ』にしたら良いのです。
 自分はバイオリンが弾ける。でもそこにはたて笛がある時に、『バイオリンの弾き方でたて笛に挑む』と考えるのではなく、バイオリンとたて笛とを別に考えたらいいのですよ。バイオリンの要領で笛を弾こうとするからできないのです、ところがなかなかできないのです。
 でも、できてしまえば水が流れる如くです」
管理人「自信が付けば、色んな事に自信が付くのですね」

小田先生「今日はこんな話でいいの?」
管理人「小田先生の様々をお聞きしたいのです」
小田先生「井伊直弼の話ではなくて?」
編集長「井伊直弼の話はこの前お聞きしましたので」
管理人「これらによって小田先生の人柄が分れば、彦根市民の方も先生に興味を持っていただけて、『講演を聴いてみたいな』や『著書を読んでみたいな』などと思っていただけるのが広がりだと思いますので、色んな話を聞かせてください」
小田先生「なるほど。編集長さんは僕が脳のトレーニングを行っているのは知っていましたか?」
編集長「ハード的な本を読むと頭が知恵熱を出してしまうので(笑)」
小田先生「では僕の本を読むと知恵熱が噴火しますよ。ところが噴火すると脳は広がっちゃうのですよ」
編集長「そう言われると、本を読むより聴いた方が楽かな?
 話が違うのですが僕はヒッチハイクをします、(周囲には)『乗せてもらえる?』と訊かれるのですが『4時間5時間待っていれば乗せてもらえるよ』(と答えます)。『4時間5時間も待つの?』と言われるのですが、僕にとっては4時間5時間待つのも面白いんです。
 それで乗せてもらった時にフッと思うのは『あっ僕は偶々5時間前に始めたから5時間待ったんや、10分前に始めていれば10分待っただけで済んだんや』と思えば、『僕はこの人に会う為に5時間早く着いてしまったんや』と思えば御破算になるんです。
 乗せてもらっても『臭いから降りろ』と降ろされたりもするんですが、次また良い人に乗せてもらえれば『あっ、あの人に降ろされたからこの人に会えたんや』と思うようにしてるのです。そうすれば苦でも何でも無いのです。考え方の違いなのですけどね。
 そうすると雨が降ったりしても旅を休んで『雨が降ったから休めた』と思うようにしています。みんなが『雨が降って嫌だね』と言っても『雨が降ったから体力が温存できて、お百姓さんも喜ぶんじゃないかな』と発想を変えてしまえば、何でも“良い”やんかと思います」
小田先生「なるほど」
管理人「僕も結構変で、昨年母親が大腸癌で入院する事になり、母親と僕の二人でお医者さんの宣告を受けた時に、『癌です』と言われると二人で笑顔で『そうですか(笑)』と答えてしまいまして、(お医者さんが)『転移がないかどうか、首から下を全部検査させてもらいます』と言われたので(僕は)『良かったね、全部診てもらえるね、安心できるね、ラッキーやね~』と言ってしまったのです(笑)
 そんな意味ではちょっと変な組織がやっているのが“どんつき瓦版”なのです。『起こった事は起こってしまうので、それをどう自分の中に良くできるかな?』というのが僕や家族の考え方です。それが先生の“陽転思考”にも似てるかな?と思い陽転思考にも興味を持っているのです。
 それでいながらイメージができていないのは、小田先生の話が全部理解できていないのかも知れませんね」
小田先生「それはそれの話ですね。でも人間のあるがままがあるでしょ?あるがままとはいったい何なのか?というのは非常に難しい問題なのです。
 例えば登校拒否をしているお子さんがいたとして、『あるがままでいいじゃないか、行かないのは行かないでいいじゃないか、それが自然だ』と言うのが正しいのかどうか?『勉強なんかできなくていいじゃないか』というのでいいのかどうか?
 僕は全然違うあるがままなのです。
 僕の考え方は、その人は“ひまわりの種”でしたとすると、その“ひまわり”を“チューリップ”にする事はできない、もし“ひまわりの種”があるならそれを地中に蒔いて花を咲かせる義務があるのです。
 だから登校拒否の子どもが『行かなくていいじゃないか』とは言わないのです。僕の考え方で行くと『行かなければいけない』という事は無いけど、もしその子の中で『行きたいけれども行けない』というものがあるとすれば、それを取ってあげれば『行けるものなら行ったほうが良い』という考えなのです。
 人間は二十歳を過ぎれば脳細胞が減っていくのです、実際に減っているとは思いますよ。トレーニングをしていると10代から24・5歳くらいまでは海綿体のようなものです。
 今、“大脳生理学”の大学の先生でもこんなに毎日脳のトレーニングをしている先生は少ないでしょうから、おそらく僕が一番トレーニングをしてるのではないでしょうか?“おそらく”ですが(笑)
 そうすると30代は大丈夫ですが、段々と(脳に)入らなくなっていくわけです。それを『歳をとっているからいいじゃないか』と思い老化防止などをするのは不自然だという考え方もあります。
 でも50代60代70代の人でも、トレーニングをすると開くのです、トレーニングをしている時はしんどいですよ。でも、そうするとこれからそうするか?と考えるわけです。
 僕はみんながみんな大金持ちになる必要はないと思います。健康で周りの人が喜んでくれる状況があればそれで良いと思います。その時に『私なんて』と言ってしまえば、もう『私なんて』なのです。
 できるようになれば、例えば『100mを10秒で走れるように信じろ』というのは信じられないですが走れたらその人は“走れた”なのです。颯爽と走ろうとドタバタと走ろうと走れたら“走れた”でしょ。
 そんな事をやってあげると、人間はマイナスな物が取れてくるのです」
編集長「例えば幕末や井伊直弼の頃などの昔の人は今みたいに情報がありませんが、情報がある事が頭が固まっていく理由なのですか?」
小田先生「情報があるから固まるわけではないのです。情報が入った時に自分が過去に蓄積された情報をどういう化学反応を起こすか?なのです。
 ただ置いておくだけならパソコン上のWikipediaの情報と同じですよ。入った瞬間に十分の中で変化して次の物が生まれてくるというのが情報というものです。情報が入った瞬間に自分の中でどう“感じるか”なのです。ですから僕のトレーニングは“人間の記憶”といえば無味乾燥になりますが何のトレーニングか?といえば“感じる”トレーニングなのです。
 情報は文字からもありますし、『今日は暑いな』というのも情報です。『真っ青だな』『緑が深くなってきたな』とかも情報です。
 道を歩けば色々な情報が無限にあります。でも脳は情報を全部受け止めるのは無くてその中で見たい物を見ているだけなのです」
管理人「選択をしている。とうことですね?」
小田先生「無意識に篩いにかかっているんです。ですから“花屋さんが道を歩いていて見えるもの”と“不動産屋さんが見えるもの”などは同じ道を歩いていても全然違います」
管理人「そんな情報の中から“自分がどう理解するか”という事になってくるわけですね」
小田先生「感じる事です」
編集長「全部見るというのは?」
小田先生「無理です。人間は自分の見たいものだけを見ます。その為に人間はできるだけ色んなものに好奇心を持って感じる心があれば、情報が入り易くなる。というだけの話しなのです」
管理人「僕もよく『マイナス思考を持っている人は何でも悪い所に目が行き、良い所は見えない』と聞きます。
 逆に僕の母親ではありませんが『癌だ』と言われても検査に目が行ってしまう。という感じ方の違いがありますね。それが未来を作っていったりとかするのですね?
 そんな人格が昔も今も揃ってきて、小田先生のおっしゃる直弼公や吉田松陰などの“無私の精神”に育つ人もいれば、それを弾圧する人になっていく場合もあるのですね。
 それは環境になるのでしょうか?」
小田先生「環境と人間の心構えの組み合わせですね」
管理人「僕が歴史を勉強していて特に思うのは、攘夷が当たり前の時代に直弼のような海外の情報が入る人物が開国を唱えるのは当然のように思うのですが、そうではない民間からも開国の声が聞こえるのは何か理由があるのでしょうか?」
小田先生「それはやはり何かの情報です、Oではありません。人間は何かの行動を起こすとき必ず情報があります。それは論理的なこともあれば、例えば“AさんがBさんの事を嫌い”という時にBさんの中身に反対する時もあれば、『Bさんが嫌いだから反対』という事もあるのです。
 はっきり言えば色々なのです、幕末なんてみんなグチャグチャです」
編集長「あの当時は決めればそれを曲げない人が多かったのでしょうね、今は仲良くするために切り替えてしまいますが、昔はこうと決めれば真っ直ぐですよね」
管理人「それを考えれば坂本龍馬は凄かったのですね」
小田先生「天才です」
管理人「今回のインタビューの前に会津若松にも行って来たのですが、あちらでは尊王の方たちというのはあまり良い扱いを受けていませんね、坂本龍馬でも『軽いだけの男だ』とか言われてますし」
小田先生「それは仕方ないね」

管理人「やはり場所によって見かたが違う事を感じます。直弼公についても彦根の人ですら『悪人だから』と話もしないですね」
小田先生「非常に可哀相な人です、今回の『篤姫』でも微妙な扱いでしたね」
編集長「でも面白いですよね」
小田先生「微妙に面白い。決して超悪人でもなく」
編集長「ですね。また最後にお茶を飲みながら篤姫と対話するというシーンは直弼の“一期一会”をよく表していて、『敵対するあなたに美味しいと言われたのは・・・』のシーンなどは凄く勉強しておられますね」
小田先生「かなりのものです」
管理人「桜田門外の変の回が放送された後は、彦根城のお客さんが多かったと聞いています。あぁ描いていただいて多少は直弼公のイメージが変わったとは思うのですが、そのままいてくれれば良いのですが、2年後の大河ドラマは坂本龍馬ですから、もしかしたら・・・」
小田先生「坂本龍馬的には井伊直弼とはそれほど絡まないのですよ、篤姫の場合はからみますがね」
管理人「少し調べましたら水戸浪士たちが仲間を募った時に、浪士の一人が龍馬と会っていると言う話も聞いています。土佐の国境辺りらしいです。その時は反井伊派だったのかな?と・・・」
小田先生「そんな事はないのです、おそらく坂本龍馬も勝海舟の門弟ですから『しょうもない事に関わってられん』と言うのではないですか?始めの内は馬鹿ですからね(笑)」
管理人「そうですね、そして途中で学問に目覚めて誰も思いつかないような事をするのでうから・・・」
小田先生「それはその人の持って生まれた天賦もありますね」
編集長「今回の『篤姫』で井伊直弼を中村梅雀さんがされると決まった時に、『どんつき瓦版』では号外を出して市内で話をしていると、『直弼を悪く描かないように言っておいて』という意見をたくさん聞きました。そんな時に『直弼は悪役だから、それも第一級の悪役。ヒーローが居れば悪役も居るわけで、その悪役は“助演男優賞”を獲るくらいの悪役なわけなので思いっきり悪役にすればいいじゃないか』と言っていたのです。
 かといって『悪役にせんといて』と言っている人に言わしても直弼が何をやったのかはよく知っていないという人が多いのです。
 その点、萩の吉田松陰の時間や会津若松の歴史を見たり、鹿児島でもそうだとは思いますが、それに比べると直弼は外だけではなく中からも『知らん』いうものがありますね。
 しかも、彦根城があり井伊家は譜代大名筆頭だという割には直政・直弼しか知らないというのはどうなのでしょうかね」
小田先生「そんなものですね」

管理人「僕は、小田先生に彦根で先日の講演をしていただいて良かったと思います。150年祭の企画であのようなお話を聴く事ができたので、これから彦根の人間が作る新しい直弼像を瓦版でも作っていきたいと思っています。
 小田先生にもまた来ていただいてお話をいただければ嬉しいと思います」
小田先生「直弼は実際安政の大獄もしていますので決して100と0ではありませんが、非常に悪い奴で血も涙もないだけではないです。大変な文化人で施策を持っていた人物ですから、変な奴ではないです。
 吉田松陰を殺さなかったらどうか?という事もありますが、吉田松陰もどう考えても殺されますよね」
管理人「講演の後に興味を持って松陰の『留魂録』を全文読んだのですが、最初は別件で捕まったのに老中暗殺を自分で言った。と書かれていましたね」
小田先生「そうですよ、松陰は強情で『こんなのいかん!老中を殺せ!』とい言うわけですよ。もう何を考えてるの?ですよね」
編集長「牢で大人しくしてれば良かったのに」
小田先生「そうですよ、牢内でも弟子に向かって『立ち上がらんか、腰抜け』と言って血気盛んな高杉晋作が止めても『うるさい馬鹿ヤロ!』です」
管理人「確かに役人の立場なら、いきなり要人殺すと言われたら『こらアカン』と思いますね」
小田先生「そうですよ、でも唯一の幸いは、このおかげで吉田松陰は『留魂録』を残し、刑場の露と消えたので魂は受け継がれて行くわけです。歴史とはそういうものです。
 でもそれをもって『松陰は殺されて良かったやん』といえば萩の人に怒られますがね。でも深い意味において吉田松陰は殺されてある種の神になり、それが一つの運命の巡りあいになったという気もしますね」
編集長「歴史の話をする時に『坂本龍馬が死ななければ良かったのに』との話も聞くのですが、僕に言わせるとあの時に坂本龍馬が死んだから新しい時代が来たのではないかと思います」
小田先生「とも言えますね。あのままほっておけば坂本龍馬は大海運時代の中で一発儲けて会社を設立して変な事をやっていた可能性もありますから」
編集長「三菱財閥は無かったかもしれませんね」
小田先生「その辺りの表現は難しいところがあります」
編集長「会津に行った時に会津の人に言われたのですが『彦根藩がもっと頑張ってやってくれたらウチらはああならなかったのに・・・』と。もし彦根藩がしっかりしていて直弼が生き残っていたら京都守護は彦根藩で、京都守護職の役職はできなかった。との事なのですが、もしそうなっていたら、幕末の戦争は会津戦争もあったかもしれませんが、その前に彦根戦争があったかもしれないのす。
 もし、彦根戦争で彦根藩が敗れていたら『戦っても仕方が無い』と奥羽越列藩同盟も無かったかもしれませんね。それは『彦根がそうなってくれたらこっちはならなかった』ということ?とも思いますね(笑)」
小田先生「どこに視点を置くかですね、歴史は同じ事を見ていても全然違うことになってきますね」
編集長・管理人「本日はお忙しいところをありがとうございました、歴史の話だけではなく脳のお話も聞けて充実した時間となりました」
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