『安土のほんまもんツアー』は、安土ならではの本物の魅力を体験してもらうツアーとして企画されたものだそうです。
第一弾として安土城と観音正寺のツアーが2日にわたって行われることとなり、時間の都合で両方は行けませんでしたので、安土城のツアーに参加しました。
小和田哲男先生の案内で回る安土城址のツアーです。
それも、インカム無線機を使うことで、少し離れていても先生の説明が聞けるという参加者に嬉しい内容でした。
まずは安土駅すぐの安土城郭資料館に集合します。
ここには、内藤先生が描かれた物に基づいた1/20スケールの安土城天主が再現されています。
中も見れるのですが、管理人がい行くときはだいたい閉じていました(もちろん言えば開けてくれるのですが…)
それが今回は説明のために開いていました。
すごく細部までこだわって作られています。
映画『火天の城』でこだわっていた吹き抜けもあります。
瓦は金拍がされていたであろう為に、この金が栄えるように壁が下見黒板であったのではないかとのことでした。
確かに、この模型の瓦が金で壁が黒だった時の美しさはもっとすごいものだったでしょうね。
これから、安土城まで徒歩で向かいました。
途中の城下では、朝鮮人街道を通り
セミナリオ址も通ります。
セミナリオがこの位置だとされているのは、この付近の字名が「大臼」で、これが「デウス」が変化したものだろうと考えられたからなのだそうです。
こうして、百々橋から安土城の麓を進み
大手道まで到着しました。
ここからが登城になります。
先ほども書きました通り、参加者はインカムで先生のお話を聞くので、先生は常にマイクを口の近くに持ってこられている状態です。
では登城
石段には石仏も含まれています。
これらは、たとえば葬儀の時に棺を持った人の草鞋を使ったような、呪術的な意味がこめられていて、信長が石集めのために石仏まで持ってこさせたというのとは少し違うのではないか?とのことでした。
家臣の屋敷跡もありますが、「伝○○邸」という推測でしかなく、史料があまりないそうです。
二の丸には信長墓所
安土城には蛇石の伝説があり、なかなか登らなかったのが、信長が指揮をとると簡単に山を登るようになったと『信長公記』には書かれているのですが、ルイス・フロイスの記録では事故があり150人くらいが亡くなったと記されていて、ここはやはり信長に遠慮がいらないフロイスの記録が正しく、それくらいの死亡事故があったのではないか? とのことでした。
ここから本丸を経て天主へ登ります。
本丸には御所の清涼殿と全く正反対で同じつくりの建物があり、これが安土行幸を目的としたものか、安土遷都を目指したものかの説がわかれるところだといわれているそうです。
このことについては、ツアーの後半に、小和田先生と安土の観光ガイドさんと管理人でいろいろ意見を出し合ってみましたが、その中でも面白かったのが、安土城大手道から、今は新幹線のために崩されてしまった中山道に通じる峠道がまっすぐに繋がるとのガイドさんのお話で、もし遷都ならここが都大路のようになったのではないか。とのことでした。
管理人は、信長は石山本願寺跡地の大坂に拠点を移す予定があった(と、小和田先生がこのツアーの前半で言っておられた)ので、大坂遷都ではなく安土遷都は可能性が低いのではないかとも思いますが、史料がないからこそ夢が語れますね。
と、少し話がそれましたが、ここから天主へ…
天主や天守に「閣」を付けるのは明治以降のことなので、先生の著書は「閣」を消すようにしているとのことです。
このように赤くなっているのは石が燃えた様子ではないかとガイドさんが教えてくれました。
また天主の礎石が、真ん中の部分に無いことから、ここに宗教的なものが置かれていたのではないかと小和田先生のお話でした。
すでに建物がない天主だけでもいろんな見方ができるのですね。
今回登ると、天主の周りの木が切られていて周りがよく見えるようになっていました。
山の麓まで湖が迫ってきていたはずですが、これが信長が天主から見た風景です。
見寺まで行くと、今度は西の湖の絶景が見れました。
三重塔は昨日の雪が残っています。
こうして、安土城を巡り、続いて県立安土考古博物館で昼食。
内容は安土の食『安土献立』
近江米・ワカサギと地場野菜の揚げ物・老蘇産玉子の出し巻・豊浦ねぎと地鶏の串焼き・赤こんにゃく・常楽寺産黒豆煮・丁字麩などなど、近江とくに安土の産物がたくさんでした。
この日、県立考古博物館では、『女性のための近江戦国山城マップ』完成の歴女さんによる座談会が行われていました。
『女性のための近江戦国山城マップ』はここでダウンロードできます。
次の集合時間まで少し見学して…
考古博物館内の展示も見学。
ここから安土城郭資料館に戻りました。この道中で先ほどの安土城本丸の建物についてお話していました。
そしてツアー終了。
小和田先生とコーヒーをご一緒させていただき、先生が信長の西洋甲冑を着られる姿を見学しました。
バックはもちろん安土城の模型
先生にブログに載せていいですか?と、お訊ねし了承を頂きましたので掲載しますね。
2日目は、観音正寺での安土らしい本物の体験ができたとのことです。興味あるのに行けなくて残念。。。
第一弾として安土城と観音正寺のツアーが2日にわたって行われることとなり、時間の都合で両方は行けませんでしたので、安土城のツアーに参加しました。
小和田哲男先生の案内で回る安土城址のツアーです。
それも、インカム無線機を使うことで、少し離れていても先生の説明が聞けるという参加者に嬉しい内容でした。
まずは安土駅すぐの安土城郭資料館に集合します。
ここには、内藤先生が描かれた物に基づいた1/20スケールの安土城天主が再現されています。
中も見れるのですが、管理人がい行くときはだいたい閉じていました(もちろん言えば開けてくれるのですが…)
それが今回は説明のために開いていました。
すごく細部までこだわって作られています。
映画『火天の城』でこだわっていた吹き抜けもあります。
瓦は金拍がされていたであろう為に、この金が栄えるように壁が下見黒板であったのではないかとのことでした。
確かに、この模型の瓦が金で壁が黒だった時の美しさはもっとすごいものだったでしょうね。
これから、安土城まで徒歩で向かいました。
途中の城下では、朝鮮人街道を通り
セミナリオ址も通ります。
セミナリオがこの位置だとされているのは、この付近の字名が「大臼」で、これが「デウス」が変化したものだろうと考えられたからなのだそうです。
こうして、百々橋から安土城の麓を進み
大手道まで到着しました。
ここからが登城になります。
先ほども書きました通り、参加者はインカムで先生のお話を聞くので、先生は常にマイクを口の近くに持ってこられている状態です。
では登城
石段には石仏も含まれています。
これらは、たとえば葬儀の時に棺を持った人の草鞋を使ったような、呪術的な意味がこめられていて、信長が石集めのために石仏まで持ってこさせたというのとは少し違うのではないか?とのことでした。
家臣の屋敷跡もありますが、「伝○○邸」という推測でしかなく、史料があまりないそうです。
二の丸には信長墓所
安土城には蛇石の伝説があり、なかなか登らなかったのが、信長が指揮をとると簡単に山を登るようになったと『信長公記』には書かれているのですが、ルイス・フロイスの記録では事故があり150人くらいが亡くなったと記されていて、ここはやはり信長に遠慮がいらないフロイスの記録が正しく、それくらいの死亡事故があったのではないか? とのことでした。
ここから本丸を経て天主へ登ります。
本丸には御所の清涼殿と全く正反対で同じつくりの建物があり、これが安土行幸を目的としたものか、安土遷都を目指したものかの説がわかれるところだといわれているそうです。
このことについては、ツアーの後半に、小和田先生と安土の観光ガイドさんと管理人でいろいろ意見を出し合ってみましたが、その中でも面白かったのが、安土城大手道から、今は新幹線のために崩されてしまった中山道に通じる峠道がまっすぐに繋がるとのガイドさんのお話で、もし遷都ならここが都大路のようになったのではないか。とのことでした。
管理人は、信長は石山本願寺跡地の大坂に拠点を移す予定があった(と、小和田先生がこのツアーの前半で言っておられた)ので、大坂遷都ではなく安土遷都は可能性が低いのではないかとも思いますが、史料がないからこそ夢が語れますね。
と、少し話がそれましたが、ここから天主へ…
天主や天守に「閣」を付けるのは明治以降のことなので、先生の著書は「閣」を消すようにしているとのことです。
このように赤くなっているのは石が燃えた様子ではないかとガイドさんが教えてくれました。
また天主の礎石が、真ん中の部分に無いことから、ここに宗教的なものが置かれていたのではないかと小和田先生のお話でした。
すでに建物がない天主だけでもいろんな見方ができるのですね。
今回登ると、天主の周りの木が切られていて周りがよく見えるようになっていました。
山の麓まで湖が迫ってきていたはずですが、これが信長が天主から見た風景です。
見寺まで行くと、今度は西の湖の絶景が見れました。
三重塔は昨日の雪が残っています。
こうして、安土城を巡り、続いて県立安土考古博物館で昼食。
内容は安土の食『安土献立』
近江米・ワカサギと地場野菜の揚げ物・老蘇産玉子の出し巻・豊浦ねぎと地鶏の串焼き・赤こんにゃく・常楽寺産黒豆煮・丁字麩などなど、近江とくに安土の産物がたくさんでした。
この日、県立考古博物館では、『女性のための近江戦国山城マップ』完成の歴女さんによる座談会が行われていました。
『女性のための近江戦国山城マップ』はここでダウンロードできます。
次の集合時間まで少し見学して…
考古博物館内の展示も見学。
ここから安土城郭資料館に戻りました。この道中で先ほどの安土城本丸の建物についてお話していました。
そしてツアー終了。
小和田先生とコーヒーをご一緒させていただき、先生が信長の西洋甲冑を着られる姿を見学しました。
バックはもちろん安土城の模型
先生にブログに載せていいですか?と、お訊ねし了承を頂きましたので掲載しますね。
2日目は、観音正寺での安土らしい本物の体験ができたとのことです。興味あるのに行けなくて残念。。。