彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

蛭子田遺跡現地説明会

2011年07月16日 | 史跡
古墳時代後半に乗馬文化があったことを示す、壺鐙が出土したニュースが駆け巡り、現地説明会があるとの話を聴きつけて参加しました。

行ったのは、東近江市木村町。
名神の八日市と竜王のちょうど真ん中辺りで蒲生あかね古墳付近です。

発掘された壺鐙は、国内最古級の5世紀後半から六世紀初めの物で、しかも近畿では初めての発見になるそうです。

この時の馬の規模を訊ねると、今の木曽馬くらいではないかとのことでした。

他にも、発掘された物を見ることができました。
平安時代の墨書の土器なんかもあります。


蛭子田遺跡には4世紀から6世紀の集落が発見されたり、上の写真のような平安時代の墨書土器が見つかるそうです。また近くには古墳時代前中後期のそれぞれを示す古墳や、渡来人系と思われる古墳群、そして木村古墳群などが密集している地域なので、長い期間の集落形成があったことが示されているようです。


その遺跡には、壊されてしまったと思われる木村古墳群の端になると思われる20mほどの規模の円墳の跡

竪穴式住居

方形周溝墓の跡も見つかっています。

面白いところでは、布掘り建物

本来の柱は、一つ一つ穴を空けて立てるのですが、布掘り建物の場合は、まるで反物の布を伸ばしたようにまっすぐに掘って、そこに柱穴を空けていたそうです。
そして、礎板を敷いたのだとか…

今回の発掘で、この様式が出ているのはここだけで、その意味は何なのかわからないですし、本来は東日本で見る例なのだそうです。
以前、宮田遺跡の現地説明化の時に「今で言う中日新聞圏と京都新聞圏のように彦根の八坂辺りで文化圏が分れる」との話でしたので、東国の文化圏様式が東近江にあるのも不思議ですね。
また、何世紀にもわたって住居などの跡がありながらも、木村古墳群が創られていた時期だけは何の以降も出ていないそうです。
壺鐙が出ても馬を飼育したような施設は出ていないとも聞きました。

布掘り建物、木村古墳群建造時期の空白、そして壺鐙…

色んな妄想を掻き立てる遺跡です。