彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

『平清盛』関連地巡り4~福原~

2012年04月12日 | 史跡
須磨から忠度塚を越えて兵庫区に入ると、平清盛が一時期都を置かせた福原になります。
この為に、清盛に関する遺跡が多く紹介されています。
そんな兵庫区の清盛遺跡のメインになるのが清盛塚です。


 
以前は、清盛の墓ではないカと考えられていたのですが、塚を移動させるときに調査が行われてその説は間違いであることが示されました。ただし何らかの意図で清盛や平家のために築かれたものであるようです。
同じ場所に琵琶塚があります。敦盛の兄で琵琶の名手だった平経正の墓ではないかともいわれているのです。

清盛塚の近くにある3つのお寺には、それぞれ清盛にまつわる遺跡があり、それを見てきました。


まずは阿弥陀寺
  
境内の池の中に魚の御堂礎石という大きな石があります。

魚の御堂は、湊川の戦いのときに足利義直が陣を置いた場所で、元々は清盛が魚供養のために建てた場所だったそうです。そこに在った礎石に楠木正成の首を置いて首実験をしたそうで、この石自体が楠木正成の供養石にもなっています。


そして、次は真光寺



この寺は、鎌倉時代に時宗の開祖である一遍が亡くなった寺としての歴史があり、一遍の墓所があります。
  
もうすぐウド鈴木さん主演の『一遍上人』が映画上映されるので、ある意味では話題のお寺ですね。
真光寺の清盛遺跡は井戸です。清盛はここに弁財天を勧請したのですが、その際に寺の僧がこの井戸から汲んだ水でお茶を点てたとされています。つまりは清盛が飲んだ水なんです。



そしてメインとなるのが能福寺です。

奈良・鎌倉と並び称される兵庫大仏があるお寺です。

管理人が訪れた時は、大仏様の下で劇が演じられていました。

ここが、清盛遺跡である最大の理由は、清盛の墓所があることです。

清盛の墓所は諸説ありますが、福原に遺骨が埋葬された可能性が高く、その場所は能福寺になるそうでうが、鎌倉時代に寺が全焼し、再建されたのは安土時代とのことで昭和55年に清盛800回忌を契機に作られたそうです。
また清盛の墓の隣りには、平家の供養塔もあります。

これは清盛には関係ありませんが、ここには神戸事件で自害した瀧善三郎の顕彰碑があったことも、歴史の重要な1ページとして注目したいです。
 


これにて、神戸清盛関連地巡りはいったん終了。竹田城を含めて一日で回るにはなかなか激しい日程でした(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする