文久3年(1863)3月4日、徳川家茂が上洛しました。
これは、三代将軍家光以来200年ぶりのことで、徳川幕府にとっては天皇にお伺いをたてに行くという意味でも大切な行事だったのですが、形の上では攘夷について何も動きがない幕府に対して天皇が将軍を呼び出し、将軍がこれに応えたものでした。同時に日本の主権が天皇にあることを示してしまった瞬間でもあったのです。
家茂は二条城に入り、京都で攘夷について迫られることになります。
ちなみに、家茂上洛の警護のために京都まで来ていた芹沢鴨や近藤勇ら浪士組は、この前日に会津藩お預かりとなったばかりで、まだ何かができる立場にはなかったのです。
これは、三代将軍家光以来200年ぶりのことで、徳川幕府にとっては天皇にお伺いをたてに行くという意味でも大切な行事だったのですが、形の上では攘夷について何も動きがない幕府に対して天皇が将軍を呼び出し、将軍がこれに応えたものでした。同時に日本の主権が天皇にあることを示してしまった瞬間でもあったのです。
家茂は二条城に入り、京都で攘夷について迫られることになります。
ちなみに、家茂上洛の警護のために京都まで来ていた芹沢鴨や近藤勇ら浪士組は、この前日に会津藩お預かりとなったばかりで、まだ何かができる立場にはなかったのです。