彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

8月11日、高瀬姫の命日

2017年08月11日 | 井伊家千年紀
寛永11年(1634)8月11日、井伊直政の姉高瀬姫が亡くなりました。
『おんな城主直虎』でいきなり登場し井伊直親の隠し子というショッキングな生い立ちを背負うことになる高瀬は、その放送の時まで実在を知らない人がほとんどだったと思います。
歴史的には余り知られていませんが、井伊直政には兄と姉が一人ずついる。兄は父直親が今川義元の追及を逃れて信濃国松源寺に逃れていた頃に現地の女性との間に生まれた子で、井伊谷から呼ばれた直親はこの母子に脇差を与えて、息子が無事成人すれば「井伊吉直」を名乗らせるように言って去ったとされている。この家は飯田井伊家として井伊姓と脇差を現在まで伝えているのです。
一方高瀬姫は、直親が井伊谷に戻って奥山朝利の娘を妻に迎えてから五年間は妊娠の兆しがなかったため、直親夫妻がたびたび龍潭寺に参詣したとの話があり、その結果六年目にして男児(虎松)が誕生。このことから高瀬姫は吉直と同じく信州で生まれた子どもだと考えられていました。しかし彦根に残る記録から高瀬姫が直政の二歳上だったとされていて、彦根藩の記録を信じるならば龍潭寺への参詣は子どもが生まれなかったからではなく男児を授かるための祈願となるか、もしくは直親にすでに側室やそれに準ずる女性がいたことになります。どちらにしても今まで伝えられてきた井伊谷に戻ってから子どもができずに苦悩していた若い夫婦というイメージが変わり、ドラマでかたられた「すけこまし」が直親生前からの評価だった可能性も出てくるのです。

今回は高瀬姫の年齢を直政の二歳年上として紹介。高瀬姫が生まれたとき井伊家当主は直盛。桶狭間の戦いで不幸があったものの高瀬姫にとって弟となる虎松の誕生が少しだけ井伊家に幸福をもたらします。直後に直親は殺されて虎松の命が狙われます。高瀬姫が井伊家受難の歳月をどのように過ごしたのかわかりませんが、女児ならば命の危険も少なく龍潭寺か母親の許で静かに暮らしていたのだとおもわれます。
 様々な出来事で逃げ続けた虎松は徳川家康に仕官して出世を重ね天正10年(1582)に元服し直政と名乗ります。ここから高瀬姫も急に記録に登場する人物になる。直政の重臣となった川手主水良則の妻となったのです。24歳で嫁いだ高瀬姫でしたが、当時としては婚期を大幅に逃している年齢であり初婚だったとは考えにくいですが、直虎も適齢期に婚礼していなかったですし、同じ頃に木俣守勝に嫁いだ新野左馬助の娘も婚期を逃しての結婚をしていますから井伊家の女性の一部になかなか婚姻が決まらない人物がいたことも不思議です。また良則もすでに元服した息子がいて年齢も51歳、高瀬姫より25歳以上も歳上という高齢だったのだのですが、いったん家が滅びかけた井伊家にとっては信頼がおける身内の家臣という存在が少なく、良則は直政にとって大切な身内となり良則も才能を充分に発揮するのでした。関ヶ原の戦いのとき、直政の居城高崎城の留守を任されたのも良則であり一説にはこの時に二人が結婚したとの話もありますが、高瀬姫には娘が誕生していますので関ヶ原の時期になると結婚が遅すぎるようにも思います。
 直政が佐和山城に入り、その死後彦根城が築城されると現在の玄宮園辺りに川手屋敷が建てられましたが、良則の後を継いだ良利が大坂夏の陣で討死、川手家は滅びてしまうのです。そんな川手家のすべてを見定めてなお高瀬姫は最低でも75歳以上の長命を保ち寛永11年(1634)に亡くなったのでいた。
弟と夫の縁を結び続けた女性の痕跡は南川瀬町の川手家墓所と長純寺の供養碑でわずかに知ることができます。

〇南川瀬町の川手主水親子の墓




〇長純寺の高瀬姫の供養墓

そして高瀬姫を演じた高橋ひかるさん

…と、ひこにゃん


川手家は江戸後期になり再興されますが、それまでも彦根では直政の姉のことは少し伝わっていたようで天保年間に作成された『近江古説』には
「川瀬村川手屋敷」
川手主水ハ四千石にて川瀬村に居住す墓今にやしき跡に大きなる五輪有之也妻ハ直政公姫君馬瀬姫と被下候而主水妻敵に渡さす不残家臣取締り京鳥辺野にもむるとなり

と記されています。馬瀬姫で直政の姫となっていますが江戸後期に井伊家の関係者が川手家に嫁いでいたことが知られていたことを示す例でもあります。

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