彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

脇本遺跡現地説明会

2012年09月29日 | 史跡
三輪山の麓伊勢街道にある脇本遺跡は、泊瀬朝倉宮があった場所ではないかといわれています。泊瀬朝倉宮は雄略天皇の都として『日本書紀』に伝わっているのです。

その発掘はもう18次になるのですが、今回初めて現地説明会に行ってみました。

今回発見された遺構は、護岸設備です。
池状遺構の南側の護岸設備で石が積まれています。

高さは1.1m今回の発掘では東西に30mの長さが検出されたそうです。
しっかりと底を決めていてその基準となる基底石が並べられていますし、ところどころに目地が縦に並べられていて、積む為にずれが生じない基準にもなっていたそうです。



また、弥生時代の土抗やそれを埋めた後に建てた竪穴建物の跡も見つかりました。


 

(全体俯瞰)


(発掘された土器)
赤は土抗から

青は池状遺構から
  

ちなみに池状遺構は、しっかり高さが揃えられた整地された場所なのだそうですが、ここに水が溜まっていた形跡は無いそうです。
環濠集落を囲った空濠のような役目があるのか、それとも水を入れる予定で中止になったのか、謎は広がります。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 会津若松と平泉訪問記 その7... | トップ | 筒井順慶墓訪問 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。