9月18日は、佐和山城落城の日なので一本松供養塔を紹介。
佐和山城址の琵琶湖側、線路を越えると建っているのが一本松供養塔です。
関ヶ原の合戦の時に、佐和山城留守居だった福島次郎作が奮戦し自害した地とされています。
最初は一本の松がひっそりと植えられて、次郎作の死を悼んでいましたが、元禄12年(1699)に大坂の陣の犠牲者の供養(武士も民衆も供養した)を兼ねて供養塔が作られました。
この時の藩主は四代井伊直興であり、この四年前に直興が院主となって藩の領民全員や領内の古城主を供養する大洞弁財天(長寿院)を建立していることを考えると、領内懐古の過程でこの地を知り、供養塔を建てさせたとも考えられます。
余談ですが、花しょうぶ通り商店街では、供養塔のレプリカを見ることもできます。
関連地 彦根市 大洞弁財天の鳥居近く
佐和山城址の琵琶湖側、線路を越えると建っているのが一本松供養塔です。
関ヶ原の合戦の時に、佐和山城留守居だった福島次郎作が奮戦し自害した地とされています。
最初は一本の松がひっそりと植えられて、次郎作の死を悼んでいましたが、元禄12年(1699)に大坂の陣の犠牲者の供養(武士も民衆も供養した)を兼ねて供養塔が作られました。
この時の藩主は四代井伊直興であり、この四年前に直興が院主となって藩の領民全員や領内の古城主を供養する大洞弁財天(長寿院)を建立していることを考えると、領内懐古の過程でこの地を知り、供養塔を建てさせたとも考えられます。
余談ですが、花しょうぶ通り商店街では、供養塔のレプリカを見ることもできます。
関連地 彦根市 大洞弁財天の鳥居近く