承久の乱で北条義時追討の院宣を出し敗れて隠岐に流された後鳥羽院が離宮としていたのが、水無瀬でした。
隠岐で生涯を終えることになった後鳥羽院は、崩御の14日前に水無瀬信成と親成親子に自らの手型を押した置文(国宝『後鳥羽天皇宸翰御手印置文』)を書き、水無瀬離宮跡で後生を弔うように願ったのです。
これを受けた水無瀬親子は藤原信実が描いた後鳥羽院の御影を祀った水無瀬御影堂を離宮跡に建立したのが水無瀬神宮の始まりとされています。
本殿は、明正天皇の内侍所を移築した物
客殿は、豊臣秀吉献納、福島正則造営
神門は、安土桃山時代の建築
茶室「燈心席」は、御水尾上皇の遺構
神宮の周囲は土塁や堀
そして、手水舎の水は大阪府下唯一の名水「離宮の水」
という、見所に恵まれた場所です。
御朱印は、自ら装飾を加える事も可能です。
また、最寄り駅であるJR島本駅前の島本町立歴史文化資料館では、後鳥羽天皇宸翰御手印置文の複製が展示されていて、手の大きさを比べることもできました。
これで、大きさを比べられます。
同館に展示されている後鳥羽院御影の複製
時代は少し変わりますが、同館に展示されていた戊辰戦争で樟葉台場から放たれた砲弾は興味深い物でした。