長松院で行われた、平石久平次二百五十回大遠忌に参列してきました。
平石久平次時光は彦根藩士として様々な役職に就き、奉行クラスの仕事をこなした人物ですが、同時に天文学者でもあり発明家でもありました。
その発明の一つとして『新制陸舟車(陸舟奔車)があります。新制と付くようにもともとは武蔵国児玉郡(埼玉県本庄市)で作られた陸船車の噂を聞いて久平次が作った物でした。
しかし、陸船車のことは噂で聞くだけでしたので似て異なる物が完成したのです。それが三輪でハンドルがあり足でペダルを漕ぐことで動力を得る自転車の発明に繋がりました。
享保17年(1732)のことです。
欧州で自転車が発明されるのは1817年ですので、久平次は世界で最初の自転車を発明した人物となります。
設計図などを記した平石久平次の記録は、久平次の二十回忌の時に長松院に鉄塔を建て保管されましたが、大正時代に開かれて東京に運ばれほとんどは関東大震災で焼失します。しかし陸舟奔車の史料は彦根に残されていて、今は彦根市立図書館が保管しています。
令和2年の久平次250回忌に(これは後でわかったみたいです)、無縁仏になっていた墓石の本堂前移転が行われ新たな石板も設置されました。
以前に再現された陸舟奔車を彦根市立図書館から借りて12月1日まで公開が行われています。
そして、10月25日に二百五十回忌の法要が行われました。
長松院は井伊直政公が荼毘に附された地に建立されたお寺であるため、藩士である久平次がメインになる法要はご本人にとってもビックリするイベントだったかもしれませんが、近江はビワイチで自転車とも縁が深い場所ですから脈々と繋がってきたものがあったのかもしれませんね。
以前は弁天堂だった場所を「可休庵」と命名し、平石久平次資料館としてビワイチをされる方の休憩所としても提供されるとのことですので、新たなビワイチの聖地となるかもしれません。
ちなみに平石家文書を入れていた鉄塔は戦時中に供出され今は土台の石積みだけが残っています。