王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

片岡球子さん 逝去

2008-01-22 07:02:00 | 社会
片岡球子さん死去=武将ら描いた「面構」の日本画家 (時事通信) - goo ニュース

16日に日本画家の片岡球子さんがお亡くなりになったそうです。
103歳との事ですからほとんど大往生と思いますが近親のお気持ちは又別であろうと思います。 謹んでご冥福をお祈りします。       合掌

これがご婦人の書いた日本画なのかと言う感じの構図と色使いの富士山や武将の絵を見た覚えがあります。
爺が今朝書きたかったのは片岡画伯の作風や表現力についてではありません。

実は爺が横浜市立大岡小学校に入学した時、片岡画伯は1年9組(書き間違えではありません。9組です)の担任教員でした。爺は5組でした。新入生の編成が終わった翌日であったか各学級の中から数人つつ間引かれて10組が出来ました。
10組の先生は藤岡先生と言って学校を出たての若い女の先生でしたので(子供心にも)羨ましく思ったくらいでしたよ。
今思えば当時1クラス53-55人位いたと思いますがその基準でも児童数が多すぎたのでしょうね。

さて片岡先生の履歴をみると大岡尋常小学校(現在の大岡小学校)に奉職とあります。戦前の話ですからそれで正しいのでしょう。朝日新聞の記事では26年尋常小学校に奉職とありました。昭和20年過ぎには尋常小学校との名称はなくなった筈です。それと26年以前に爺たちは入学していましたから記者の勘違い

と思いました。他の記述とつき合わせると当たり前のように西暦紀元の下2桁を書いた様です。但し書きなく80年も前の出来事を数字だけで表現する悪風。誤解を招きやすい表現です。

でも新聞の影響力は強いですね。ひょっとして爺の思い違いかよと思った位でした。
話は変わって片岡先生の顔写真には昔の面影が残っています。
爺のクラスの先生は早く亡くなられクラス会は自然消滅しました。
片岡先生の生徒達は弘明寺商店街の周辺に残っています。片岡クラスは盛り上がっていたのでしょうかね。
もう60年程昔の話になりました。
改めて片岡先生のご冥福をお祈りします。

時事通信:
「面構(つらがまえ)」など大胆で個性的な画風で知られた日本画家の長老で、文化勲章受章者の片岡球子(かたおか・たまこ)さんが16日午後9時55分、急性心不全のため神奈川県藤沢市の病院で亡くなった。103歳だった。葬儀は近親者で済ませた。喪主は弟邦三(くにぞう)氏。

 1905年、札幌市生まれ。女子美術専門学校(現女子美術大学)卒業後、小学校の教師をしながら絵筆を握った。画家志望に反対だった両親から勘当され、作品は30年、33年と院展に入選した後は落選が続き、「落選の神様」と呼ばれた。あくが強く色遣いも多彩で、日本画としては異色だった。

 30代半ばから頭角を現し、50歳代になって「渇仰」などで芸術選奨文部大臣賞を受けるなど天分が大きく開花。61歳で愛知県立芸術大学客員教授に迎えられてから、「面構」の連作を始めた。足利尊氏をはじめ義満、義政、徳川家康らの武将や北斎ら浮世絵師たちを描いたこのシリーズは、深い人物考証と豊かな想像力によって、歴史上の人物を現代に再構築してみせた。「面構 鳥文斎栄之」で75年に日本芸術院恩賜賞を受けている。(引用終わり) 
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