妻からのメールのタイトルは「着地点」でした。
先日「今のままではゴールが見えないのよ」と言ったのは、疲れ切って言葉を探せなかったからに違いありません。
>もうできることはあまり無いと言う事で週末治療に切り替わりました
>詳しくは晩にでも話しますが、麻薬も使って苦痛軽減の処置をしながら静かに見守ります
>あと少し協力お願いします
*:週末治療→「終末治療」か「終末医療」の書き間違い
主治医の書いたものを読むと最初に所見の出た腰の「圧迫骨折」がドミノ倒しの起点のようになって、身体のバランスを崩してしまったようです。
若い人なら寝ていれば治るところが、義母の老いた身ではそれが長引き、「骨折」と診断されても入院の選択肢も与えられないまま痛みに耐える毎日が、身体の何もかもを狂わせてしまったのでしょう。
最初の診断結果が出た時に入院させてもらえれば、こんなことにはならなかったと悔やまれてなりません。
しかし妻は多分そのような類の後悔をいつまでも引きずってはいないでしょう。
何故ならば妻は着地点を見極めて、それに向かって走り始めたのですから。
着地点が見えても、後どれくらい歩を進めなくてはならないかは神のみぞ知ることです。
そして私は常に妻の半歩後ろにいます。
それは妻に後ろを振り向いて欲しくないからです。
私がすぐ後ろについているという確信が、妻を前向きにさせると信じているからです。