はるにれ
作・絵(写真): 姉崎 一馬
出版社: 福音館書店
税込価格: 945
(本体価格:900)
発行日: 1981年11月10日
はるにれ(ハルニレ)について、あるサイトからの引用です。
■北日本の山地に多い落葉広葉樹の高木で、高さ25メートル、直径50センチ以上になる。一般にニレとして親しまれ、単にニレといった時はハルニレをさす。洋名、エルムも知られている
絵本の中の物語は秋から始まりました。
黄色く枯れた草原の真ん中に、やはり葉を黄色く染めたハルニレの木が立っています。
ハルニレの葉は秋の斜光を受けて、金色に輝いています。青い空にはすじ雲が広がっています。
ハルニレはまだ葉をつけています。
朝でしょうか?夕でしょうか?
ハルニレの木にかかるように太陽が覗いています。
薄暗がりに遠く牧場のサイロが見えます。空気が澄み切っています。
吹雪です。ハルニレはもう葉を落してしまいました。
大きく写し出されたハルニレの耐える姿に、私たちは息をのみます。
そして心のどこかで「がんばれ!」と叫んでいます。
北海道の草原に立つ一本のハルニレの木の、季節の移り変わりの中での写真集です。
その季節の移り変わりは、光と影の奏でるシンフォニーのようであり、ドラマチックでもあります。
この写真集では、半分以上の写真が葉を落としたハルニレの姿で、最初と最後のページを除いて全てが見開きの構成です。
そしてこの中でハルニレが大きく葉を広げた写真は、たったの3枚しかありません。
とすれば、この写真集で伝わることは何だったのでしょうか?
それはハルニレの耐える姿だったと思います。
ハルニレは、寒さに耐え、風に耐え、そして孤独にも耐えていました。
私たちは、そのハルニレの晩秋から冬にかけての美しい姿に、いつの間にか孤高であることの美しさを重ね合わせていたのです。
この本の最後の写真の一枚は、1ページだけ額縁の切り抜きのように載っていましたが、この小さな1枚に著者(写真家)のハルニレへの思いの全てが凝縮されていました。
そこには、ハルニレをバックに、初夏の草原の賑やかさが写し出されています。
ハルニレは草原のわき役になりましたが、もう孤独ではなくなったのです。
作・絵(写真): 姉崎 一馬
出版社: 福音館書店
税込価格: 945
(本体価格:900)
発行日: 1981年11月10日
はるにれ(ハルニレ)について、あるサイトからの引用です。
■北日本の山地に多い落葉広葉樹の高木で、高さ25メートル、直径50センチ以上になる。一般にニレとして親しまれ、単にニレといった時はハルニレをさす。洋名、エルムも知られている
絵本の中の物語は秋から始まりました。
黄色く枯れた草原の真ん中に、やはり葉を黄色く染めたハルニレの木が立っています。
ハルニレの葉は秋の斜光を受けて、金色に輝いています。青い空にはすじ雲が広がっています。
ハルニレはまだ葉をつけています。
朝でしょうか?夕でしょうか?
ハルニレの木にかかるように太陽が覗いています。
薄暗がりに遠く牧場のサイロが見えます。空気が澄み切っています。
吹雪です。ハルニレはもう葉を落してしまいました。
大きく写し出されたハルニレの耐える姿に、私たちは息をのみます。
そして心のどこかで「がんばれ!」と叫んでいます。
北海道の草原に立つ一本のハルニレの木の、季節の移り変わりの中での写真集です。
その季節の移り変わりは、光と影の奏でるシンフォニーのようであり、ドラマチックでもあります。
この写真集では、半分以上の写真が葉を落としたハルニレの姿で、最初と最後のページを除いて全てが見開きの構成です。
そしてこの中でハルニレが大きく葉を広げた写真は、たったの3枚しかありません。
とすれば、この写真集で伝わることは何だったのでしょうか?
それはハルニレの耐える姿だったと思います。
ハルニレは、寒さに耐え、風に耐え、そして孤独にも耐えていました。
私たちは、そのハルニレの晩秋から冬にかけての美しい姿に、いつの間にか孤高であることの美しさを重ね合わせていたのです。
この本の最後の写真の一枚は、1ページだけ額縁の切り抜きのように載っていましたが、この小さな1枚に著者(写真家)のハルニレへの思いの全てが凝縮されていました。
そこには、ハルニレをバックに、初夏の草原の賑やかさが写し出されています。
ハルニレは草原のわき役になりましたが、もう孤独ではなくなったのです。
今日はこの他にご近所から大きな「文旦」を三つもいただきました。
包装紙の中身は、職場の女性陣からいただいた二日遅れのバレンタインのお菓子詰め合わせですが、どう見ても1,000円はしそうです。
バレンタインの当日が休みの日でラッキーと思ったのですが、甘かったですね。
どうやら今年も5倍返しを覚悟しないといけないようです。
包装紙の中身は、職場の女性陣からいただいた二日遅れのバレンタインのお菓子詰め合わせですが、どう見ても1,000円はしそうです。
バレンタインの当日が休みの日でラッキーと思ったのですが、甘かったですね。
どうやら今年も5倍返しを覚悟しないといけないようです。
これは最初に播種したソラマメです。
昨年の最初の開花は3月12日ですから、何と一か月も早いことになります。
ソラマメの開花は、実は昨日少し山の方に向かう道の途中で見ましたので、私の畑だけのことではないようです。
今年はあまり寒くないとは思っていたのですが、やはり地球温暖化の影響でしょうか?
昨年の最初の開花は3月12日ですから、何と一か月も早いことになります。
ソラマメの開花は、実は昨日少し山の方に向かう道の途中で見ましたので、私の畑だけのことではないようです。
今年はあまり寒くないとは思っていたのですが、やはり地球温暖化の影響でしょうか?
購入済のジャガイモを、既に準備を終えた場所に植え付けました。
・種イモの切り分けと灰付け
・切り終えた種イモ
・切った種イモの配置
・同上(畑の全景)
・土かけ後
・同上(畑の全景)
結局用意した種イモでは、ひと畝分足りなかったので、その分(キタアカリ2キロ、メークイン1キロ)を求めましたが、いつもの癖で少し余計に買ってしまいました。
また植え付け場所を用意しなくてはなりません。これではエンドレスですね。
・種イモの切り分けと灰付け
・切り終えた種イモ
・切った種イモの配置
・同上(畑の全景)
・土かけ後
・同上(畑の全景)
結局用意した種イモでは、ひと畝分足りなかったので、その分(キタアカリ2キロ、メークイン1キロ)を求めましたが、いつもの癖で少し余計に買ってしまいました。
また植え付け場所を用意しなくてはなりません。これではエンドレスですね。
けんかのきもち作: 柴田 愛子
絵: 伊藤 秀男
出版社: ポプラ社
税込価格: 1,260
(本体価格:1,200)
発行日: 2001年12月11日
-絵本のカバーからの引用-
*けんかは 素手でやる。
*けんかは 1対1でやる。
*喧嘩は どちらかが
*やめたくなったら やめる。
*これが けんかのやくそく。
*けんかすると、
*まえより もっと
*なかよくなる。
-まえがきからの引用-
*これは、こどもたちのあそびば、「あそび島」のおはなしです。
*「あそび島」には せんせいもいて、まいにち たくさんのこどもたちが あそんでいます。
主人公の「たい」は、小学校の男の子で、毎日家の隣の「あそび島」で遊んでいます。
そのたいの一番の友達は「こうた」ですが、こうたとはよく取っ組み合いのけんかをします。
今日のケンカは、こうたの負けでした。
*「もう いやだ」
*ぼくが いうと、
*「おわりにする!」
*そういって、こうたが ぼくのかたをどついた。
たいは、悔しくて家に帰るとお母さんにくっついて泣きました。
いくらでも、いくらでも泣きました。
お母さんはひざの上に突っ伏したたいに手を置いて、にこにこと笑っています。
そこへあそび島の先生が、やって来ました。
先生は、子供たちと一緒に作ったおやつ(餃子)を一緒に食べないかと言うのです。
お母さんは先生と出て行きましたが、たいは家で大の字になってむくれたままです。
しかしひとりぼっちでいると、よけいに悔しくて仕方がありません。
たいが、家の玄関を開けてお母さんを呼ぼうとしたら、[あそび島]のみんなが見えました。
おやつを一緒に食べようと、たいを誘っているのです。
たいが、*「やだ! いくもんか。」と思った時、こうたがでっかい声で「ごめんな!」と謝りました。
*なんでだよ! なんでだよ! なんでだよ!
*なんで あやまるんだよ!
たいは、玄関の戸を閉めて泣きました。
たいの中で「けんかのきもち」は、まだ終わっていないからです。
そこへお母さんが、おやつの餃子を20個持って帰って来ました。
たいは、こうたとみんなが作った餃子を、ばくばくと全部食べてしまいます。
食べ終わると、たいの「けんかのきもち」は終わっていました。
たいは、お母さんに餃子の皿を洗ってもらうと、「あそび島」に返しに行きました。
たいは、どきどきしながら「あそび島」への階段を上ります。
2階の窓に、こうたが見えました。
二人になって、こうたは、たいに謝ります。
*「ごめんな さっきは ごめんな!」
*こうたが いった。
*「へへへ・・・」
*ぼくは ちょっと てれた。
*でも こんどは きっと ぼくが かつ。
けんかの理由は、ここには書いてありません。
でも子供のけんかは、実に些細ななことから始まるものなのです。
このお話は、男の子の心の成長をライバルとの関係を通して描いたものです。
腕力にものを言わせる男の子のケンカは、勝敗が明確です。
その時の勝者と敗者の心の中の揺れが、プライドの芽生えと絡み合いながら子供を成長させると思うのです。
たいにとっての「けんかのきもち」は、裏を返せばこうたにとっての「けんかのきもち」です。
こうたにとっては、たいに謝ることで「けんかのきもち」を終わらせることが出来たのです。
ここで大切なのは、子供を取り巻く環境であり、大人達の対応でしょう。
どんな状況であっても、どんなに些細なことであっても、子供(達)を育む心を忘れてはなりません。
けんかの相手や内容を見極めて、その時の気持ちの子供を受け入れたり、導いたりすることが必要だと思うからです。
絵: 伊藤 秀男
出版社: ポプラ社
税込価格: 1,260
(本体価格:1,200)
発行日: 2001年12月11日
-絵本のカバーからの引用-
*けんかは 素手でやる。
*けんかは 1対1でやる。
*喧嘩は どちらかが
*やめたくなったら やめる。
*これが けんかのやくそく。
*けんかすると、
*まえより もっと
*なかよくなる。
-まえがきからの引用-
*これは、こどもたちのあそびば、「あそび島」のおはなしです。
*「あそび島」には せんせいもいて、まいにち たくさんのこどもたちが あそんでいます。
主人公の「たい」は、小学校の男の子で、毎日家の隣の「あそび島」で遊んでいます。
そのたいの一番の友達は「こうた」ですが、こうたとはよく取っ組み合いのけんかをします。
今日のケンカは、こうたの負けでした。
*「もう いやだ」
*ぼくが いうと、
*「おわりにする!」
*そういって、こうたが ぼくのかたをどついた。
たいは、悔しくて家に帰るとお母さんにくっついて泣きました。
いくらでも、いくらでも泣きました。
お母さんはひざの上に突っ伏したたいに手を置いて、にこにこと笑っています。
そこへあそび島の先生が、やって来ました。
先生は、子供たちと一緒に作ったおやつ(餃子)を一緒に食べないかと言うのです。
お母さんは先生と出て行きましたが、たいは家で大の字になってむくれたままです。
しかしひとりぼっちでいると、よけいに悔しくて仕方がありません。
たいが、家の玄関を開けてお母さんを呼ぼうとしたら、[あそび島]のみんなが見えました。
おやつを一緒に食べようと、たいを誘っているのです。
たいが、*「やだ! いくもんか。」と思った時、こうたがでっかい声で「ごめんな!」と謝りました。
*なんでだよ! なんでだよ! なんでだよ!
*なんで あやまるんだよ!
たいは、玄関の戸を閉めて泣きました。
たいの中で「けんかのきもち」は、まだ終わっていないからです。
そこへお母さんが、おやつの餃子を20個持って帰って来ました。
たいは、こうたとみんなが作った餃子を、ばくばくと全部食べてしまいます。
食べ終わると、たいの「けんかのきもち」は終わっていました。
たいは、お母さんに餃子の皿を洗ってもらうと、「あそび島」に返しに行きました。
たいは、どきどきしながら「あそび島」への階段を上ります。
2階の窓に、こうたが見えました。
二人になって、こうたは、たいに謝ります。
*「ごめんな さっきは ごめんな!」
*こうたが いった。
*「へへへ・・・」
*ぼくは ちょっと てれた。
*でも こんどは きっと ぼくが かつ。
けんかの理由は、ここには書いてありません。
でも子供のけんかは、実に些細ななことから始まるものなのです。
このお話は、男の子の心の成長をライバルとの関係を通して描いたものです。
腕力にものを言わせる男の子のケンカは、勝敗が明確です。
その時の勝者と敗者の心の中の揺れが、プライドの芽生えと絡み合いながら子供を成長させると思うのです。
たいにとっての「けんかのきもち」は、裏を返せばこうたにとっての「けんかのきもち」です。
こうたにとっては、たいに謝ることで「けんかのきもち」を終わらせることが出来たのです。
ここで大切なのは、子供を取り巻く環境であり、大人達の対応でしょう。
どんな状況であっても、どんなに些細なことであっても、子供(達)を育む心を忘れてはなりません。
けんかの相手や内容を見極めて、その時の気持ちの子供を受け入れたり、導いたりすることが必要だと思うからです。
強い風は朝もまだ残っていて、ソラマメを揺らします。
お向かいのブロッコリーは、鳥避けで被せたホットキャップが取れてしまいました。
夕方まで仕事で他所にいましたが、戻って来たら昨日収穫した紅苔菜が、もう次の収穫を待っていました。
春一番が春の暖かさを連れて来たので、明日はジャガイモを植え付けることにします。
・紅苔菜のトウ立ち
・ソラマメの生育状態
・畑の全景
お向かいのブロッコリーは、鳥避けで被せたホットキャップが取れてしまいました。
夕方まで仕事で他所にいましたが、戻って来たら昨日収穫した紅苔菜が、もう次の収穫を待っていました。
春一番が春の暖かさを連れて来たので、明日はジャガイモを植え付けることにします。
・紅苔菜のトウ立ち
・ソラマメの生育状態
・畑の全景
となりのせきのますだくん
作・絵: 武田 美穂
出版社: ポプラ社
税込価格: \1,260
(本体価格:\1,200)
発行日: 1991年11月
今日の朝、みほちゃんは学校へ行きたくないんだ。
*あたし きょう がっこうへ いけない きがする。
*だって
*あたまが いたい きがする。
*おなかが いたい きがする。
*ねつが あるような きがする。
*あたまが いたく なれば いいのに。
*おながか いたく なれば いいのに。
*ねつが でれば いいのに。
みほちゃんの隣の席のますだくんは、とてもいじわるな男の子で、机の上に境界線を引いて、みほちゃんが、線から出たらぶつと言うんです。
みほちゃんが苦手な授業を笑って、みほちゃんが給食で残すと言いつけて、みほちゃんの苦手な運動が得意なんです。
そのますだくんが、帰る時間にみほちゃんのお気に入りの鉛筆を折っちゃった。
みほちゃんが泣きながら消しゴム投げたら、ますだくんはびっくりしてたけど睨んでいた。
だからみほちゃんは、もう学校へ行きたくないんだ。
みほちゃんが校門の前につくと、ますだくんが門扉の陰に隠れていた。
みほちゃんが、そうっと通ろうとしたら、ますだくんに捕まった。
その手には、みほちゃんの折れた鉛筆があって、テープでぐるぐる巻きにしてあった。
ますだくんは
*「ごめんよ」
と言ってみほちゃんをぶった。
登場の最初から怪獣みたいに描かれていたますだくんは、最後のワンカットで、普通の男の子の姿に戻っていました。
みほちゃんの手には、テープでぐるぐる巻きにした鉛筆が握られていて、二人の仲直りへの希望を持たせるラストです。
さて、この作品を振り返ってみましょう。
みほちゃんは、意地悪なますだくんが嫌いだけど、そのますだくんをしっかりみつめています。
その場を離れることはあっても、決して目を伏せたり逃げたりしません。
意地悪には付き合いませんし、消しゴムを投げたことで意地も見せてくれます。
だから、ますだくんは、そんなみほちゃんが好きなのだと思います。
ますだくんは、きっとやり過ぎたことを謝りたいのです。
ますだくんは、みほちゃんの感心をひきたかったのです。
実はますだくんは、みほちゃんが好きなのです。
でもそれが素直に口に出せないのです。
お互いに魅力を感じないもの同士でなら、きっとこうはならないでしょう。
しかし、みほちゃんのその日の朝の心は限界でした。
この絵本は、みほちゃんの朝の部屋の場面から始まります。
「あたし きょう がっこうへ いけない きがする」とみほちゃんが心の中でつぶやいているところです。
カバーの裏には、やはり同じショットで、カーテンの陰から覗いている怪獣の姿をしたますだくんがいます。
この画面は、みほちゃんが常にますだくんの存在に脅かされていた気持ちをよく表しています。
みほちゃんは、いつ本当におなかが痛くなったり、頭が痛くなっても当たり前の状態であって、『希望を持たせるラスト』などと書きましたが、その瞬間まではぎりぎりの精神状態だったのです。
ラストでみほちゃんは、テープでぐるぐる巻きにされた鉛筆に救いを求めました。
即ち、意地悪だったますだくんを見直すきっかけとしてです。
一方でますだくんは、やり過ぎたことを反省する機会を、みほちゃんが投げた消しゴムに見出しました。
人間関係は、お互いの発見と歩み寄りの連続が積み上げた結果だと思います。
お互いの良い所や、好意を寄せるチャンスを見逃さないことが、良い結果を導くのだと思います。
この本は多くの賞をもらって、課題図書にもなっていますが、この私のように読んだ後で考えるきっかけになる作品だからでしょう。
月並みなコメントではありますが、読後に学級内で話しあったり、親子で一緒になって読んで欲しい本だと思います。
作・絵: 武田 美穂
出版社: ポプラ社
税込価格: \1,260
(本体価格:\1,200)
発行日: 1991年11月
今日の朝、みほちゃんは学校へ行きたくないんだ。
*あたし きょう がっこうへ いけない きがする。
*だって
*あたまが いたい きがする。
*おなかが いたい きがする。
*ねつが あるような きがする。
*あたまが いたく なれば いいのに。
*おながか いたく なれば いいのに。
*ねつが でれば いいのに。
みほちゃんの隣の席のますだくんは、とてもいじわるな男の子で、机の上に境界線を引いて、みほちゃんが、線から出たらぶつと言うんです。
みほちゃんが苦手な授業を笑って、みほちゃんが給食で残すと言いつけて、みほちゃんの苦手な運動が得意なんです。
そのますだくんが、帰る時間にみほちゃんのお気に入りの鉛筆を折っちゃった。
みほちゃんが泣きながら消しゴム投げたら、ますだくんはびっくりしてたけど睨んでいた。
だからみほちゃんは、もう学校へ行きたくないんだ。
みほちゃんが校門の前につくと、ますだくんが門扉の陰に隠れていた。
みほちゃんが、そうっと通ろうとしたら、ますだくんに捕まった。
その手には、みほちゃんの折れた鉛筆があって、テープでぐるぐる巻きにしてあった。
ますだくんは
*「ごめんよ」
と言ってみほちゃんをぶった。
登場の最初から怪獣みたいに描かれていたますだくんは、最後のワンカットで、普通の男の子の姿に戻っていました。
みほちゃんの手には、テープでぐるぐる巻きにした鉛筆が握られていて、二人の仲直りへの希望を持たせるラストです。
さて、この作品を振り返ってみましょう。
みほちゃんは、意地悪なますだくんが嫌いだけど、そのますだくんをしっかりみつめています。
その場を離れることはあっても、決して目を伏せたり逃げたりしません。
意地悪には付き合いませんし、消しゴムを投げたことで意地も見せてくれます。
だから、ますだくんは、そんなみほちゃんが好きなのだと思います。
ますだくんは、きっとやり過ぎたことを謝りたいのです。
ますだくんは、みほちゃんの感心をひきたかったのです。
実はますだくんは、みほちゃんが好きなのです。
でもそれが素直に口に出せないのです。
お互いに魅力を感じないもの同士でなら、きっとこうはならないでしょう。
しかし、みほちゃんのその日の朝の心は限界でした。
この絵本は、みほちゃんの朝の部屋の場面から始まります。
「あたし きょう がっこうへ いけない きがする」とみほちゃんが心の中でつぶやいているところです。
カバーの裏には、やはり同じショットで、カーテンの陰から覗いている怪獣の姿をしたますだくんがいます。
この画面は、みほちゃんが常にますだくんの存在に脅かされていた気持ちをよく表しています。
みほちゃんは、いつ本当におなかが痛くなったり、頭が痛くなっても当たり前の状態であって、『希望を持たせるラスト』などと書きましたが、その瞬間まではぎりぎりの精神状態だったのです。
ラストでみほちゃんは、テープでぐるぐる巻きにされた鉛筆に救いを求めました。
即ち、意地悪だったますだくんを見直すきっかけとしてです。
一方でますだくんは、やり過ぎたことを反省する機会を、みほちゃんが投げた消しゴムに見出しました。
人間関係は、お互いの発見と歩み寄りの連続が積み上げた結果だと思います。
お互いの良い所や、好意を寄せるチャンスを見逃さないことが、良い結果を導くのだと思います。
この本は多くの賞をもらって、課題図書にもなっていますが、この私のように読んだ後で考えるきっかけになる作品だからでしょう。
月並みなコメントではありますが、読後に学級内で話しあったり、親子で一緒になって読んで欲しい本だと思います。