じゃがいもを植えていた場所にはサツマイモが4列植わっています。
この場所は砂地なのでイモ類には向いていますが、まだ畑にして2年は経過していません。
砂地は草が少ないのでとても助かります。
ここには種採り用大根を一本残してあったのですが、種は殆どが鳥に食べられてしまっていました。
それでも何とか残って枝についていたこれだけを摘み取りました。
これでも市販の一袋分くらいはあるでしょう。
ん~、やっぱり食べ残しですね~。
家から一番近い場所ですが、最後のソラマメの収穫の後で二ヶ月近くも放置してしまいました。
ここは1アールを自分の畑にして、残りの半アールをご近所の方に使ってもらっていましたが、私が放置してしまった結果でこの通りです。
ソラマメの茎も枯れて残っていますし、背の高い草も生えています。
やっかいなスギナもありますが、他の草に埋もれていますので、現状維持程度でしょうか。
ソラマメの茎はスイカの蔓の下に敷くために集めて利用します。
本来なら三角ホーの出番ですが・・・。
刈った草を利用しやすくするために、ダルマ鎌を使った絨毯剥ぎ取り方式に切り替えました。
―途中経過―
今日のところはここまです。
主にまだ半分くらい残っている箇所を写しています。
ここは1アールを自分の畑にして、残りの半アールをご近所の方に使ってもらっていましたが、私が放置してしまった結果でこの通りです。
ソラマメの茎も枯れて残っていますし、背の高い草も生えています。
やっかいなスギナもありますが、他の草に埋もれていますので、現状維持程度でしょうか。
ソラマメの茎はスイカの蔓の下に敷くために集めて利用します。
本来なら三角ホーの出番ですが・・・。
刈った草を利用しやすくするために、ダルマ鎌を使った絨毯剥ぎ取り方式に切り替えました。
―途中経過―
今日のところはここまです。
主にまだ半分くらい残っている箇所を写しています。
先日の7月8日にカラス対策のために防鳥糸のミヤラインを張り巡らした畑です。
のくらいの大きさのが10個くらいありましたが、ここで新たな食害を見ていません。
買い物に出たついでに防鳥糸のミヤラインを追加で購入しました。
最初に使っている無色透明の糸だけでは、カラスの眼が慣れてしまうのではないかと思い、今日は赤いミヤラインにしました。
のくらいの大きさのが10個くらいありましたが、ここで新たな食害を見ていません。
買い物に出たついでに防鳥糸のミヤラインを追加で購入しました。
最初に使っている無色透明の糸だけでは、カラスの眼が慣れてしまうのではないかと思い、今日は赤いミヤラインにしました。
もくもく村の専務様に初めてお会いしたのは、2006年3月25日だったと記憶しています。
その当日の日記にもくもく村のことはありませんが、その日に撮った写真を使って2011年3月5日に記事を書いています。
ボランティアとして初めてもくもく村のイベントに参加したのは、2008年10月5日(前日は準備で参加)のことでしたので、もくもく村との関わりはまだ4年も経っていないことに驚きます。
何故ならば私にとってのその4年間は、それ以上に長く感じるほど沢山の思い出深いことがあったからです。
私のもくもく村での活動は、私のやりたいことを専務様に受け入れてもらうことから始りました。
あの頃私は確かに自分の夢と専務様が見る夢とを重ね合わせていたのです。
しかしある時期からもくもく村は変わってしまいました。
それでも私は、もくもく村でしか出来ないパフォーマンスを望みに、先日までずっとしがみついていたのですが、ここ2年くらいの間の堪えていたものを、ついに母親の死をきっかけに爆発させてしまいました。
それは、専務が私と私の大嫌いな母親の間のことに干渉したことと、私の夢をもくもく村の未来に重ねることが出来ないと分かったことからです。
私を受け入れて下さったのは、もくもく村の専務様でしたが、私を現実に引き戻したのも専務様でした。
そして・・・先日のもくもく村でのパフォーマンスで、自分のミスではありながらも負傷してしまったことがきっかけだったかも知れません。
この傷(突き指)はずっと疼いて、私に警告を発してくれていたのです。
『あそことはもう止めにしよう』と。。。
その当日の日記にもくもく村のことはありませんが、その日に撮った写真を使って2011年3月5日に記事を書いています。
ボランティアとして初めてもくもく村のイベントに参加したのは、2008年10月5日(前日は準備で参加)のことでしたので、もくもく村との関わりはまだ4年も経っていないことに驚きます。
何故ならば私にとってのその4年間は、それ以上に長く感じるほど沢山の思い出深いことがあったからです。
私のもくもく村での活動は、私のやりたいことを専務様に受け入れてもらうことから始りました。
あの頃私は確かに自分の夢と専務様が見る夢とを重ね合わせていたのです。
しかしある時期からもくもく村は変わってしまいました。
それでも私は、もくもく村でしか出来ないパフォーマンスを望みに、先日までずっとしがみついていたのですが、ここ2年くらいの間の堪えていたものを、ついに母親の死をきっかけに爆発させてしまいました。
それは、専務が私と私の大嫌いな母親の間のことに干渉したことと、私の夢をもくもく村の未来に重ねることが出来ないと分かったことからです。
私を受け入れて下さったのは、もくもく村の専務様でしたが、私を現実に引き戻したのも専務様でした。
そして・・・先日のもくもく村でのパフォーマンスで、自分のミスではありながらも負傷してしまったことがきっかけだったかも知れません。
この傷(突き指)はずっと疼いて、私に警告を発してくれていたのです。
『あそことはもう止めにしよう』と。。。
別に妄想で南米の遺跡で出会った美少女の思い出ではありません。
私のブログですから、当然じゃがいものインカのひとみのことです。
昨年北海道から10キロ購入し、その半分以上を種イモにして今シーズン初めて栽培を試みました。
-今年5月16日の様子-
手前の黄色くなり始めたのがインカのめざめで、奥がインカのひとみです。
-今日の様子-
インカのひとみの地上部が枯れた後で、掘り上げている途中のインカのめざめの畑です。
インカのめざめと同じ場所に植えて、インカのめざめより生育が良かったので私としては大いに期待したのですが、私の管理不行き届きで多くのイモが地表に顔を出してしまい、緑化イモとなってしまいました。
それでも掘り上げてみると地中に留まって緑化していないイモが沢山出て来て、明らかにインカのめざめより単位当たりの収量が多いことを確認出来たのですが、見込み違いのことがあって困惑しています。
それは・・・
ここで書くべきか書かざるべきか・・・(苦悩)
私のブログですから、当然じゃがいものインカのひとみのことです。
昨年北海道から10キロ購入し、その半分以上を種イモにして今シーズン初めて栽培を試みました。
-今年5月16日の様子-
手前の黄色くなり始めたのがインカのめざめで、奥がインカのひとみです。
-今日の様子-
インカのひとみの地上部が枯れた後で、掘り上げている途中のインカのめざめの畑です。
インカのめざめと同じ場所に植えて、インカのめざめより生育が良かったので私としては大いに期待したのですが、私の管理不行き届きで多くのイモが地表に顔を出してしまい、緑化イモとなってしまいました。
それでも掘り上げてみると地中に留まって緑化していないイモが沢山出て来て、明らかにインカのめざめより単位当たりの収量が多いことを確認出来たのですが、見込み違いのことがあって困惑しています。
それは・・・
ここで書くべきか書かざるべきか・・・(苦悩)