島根県で有名な神社といえば、多くの人が「出雲大社」と即座に答えるであろう。
だが、「出雲大社」は 正確に言うと島根の「出雲国の一宮」なのだ。
島根県は、明治になるまでは「出雲、石見、隠岐」の3つの地域に分かれていた。
今回、紹介する「物部神社」は「石見国の一宮」だ。
場所は大田市にある。
「石見国一宮・物部神社」
古来より
文武両道の神・鎮魂の神・勝運の神として崇敬されてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/ee/3ca40c67747171f91080028ebab7c1bb.jpg)
最初に
御祭神の「宇摩志麻遅命」が、鎮魂祈祷を行った言い伝えから、
神職の始めを為す神として占い・まじない・祈祷の神の信仰も厚いことでも知られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/6f/9e9716220786c269e81f2e787187e117.jpg)
また
「戦国時代」には
「石見銀山争奪戦の舞台」ともなり、
「大内氏・毛利氏」の戦勝祈願の記録や武具の奉納、天領歴代代官の赴任に伴う報告祈願
さらに文芸・武道の上達祈願、氏族繁栄・雨乞い祈願・戦中の砲弾避け等、多種多様の祈祷が為された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/16/0a01aaf8d13de5a6838b23c9a455e4c5.jpg)
現在では、
鎮魂祈願を中心に病気平癒・交通安全・社業繁栄・厄除け・初宮詣で等、
全ての祈願依頼に対応している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/a0/d7b4c8304c410c922a749a0e23381f5b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/c9/f484a55eb0c92ae301c09b3e88923138.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/37/7534158d860b33b69e71745e33f41b85.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/db/265c772cb188fc861230883f7de07ca4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/f3/2ffcd7bbb86f60b60a88a3ae24234ebb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/e1/adb8380ebc9fc06da2bb09b16fa051a2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/7e/4cfa1a42584f008cd2f0ee904b3076dc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/50/456ae43eb1e08e8194b064df3abba368.jpg)
「物部神社」の社殿創建について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最初は神体山である八百山を崇めていた。
後に、天皇の勅命により継体天皇八年(513年)社殿を創建し、
その後、石見銀山争奪の兵火などで三度消失した。
宝暦三年(1753年)再建され、文政元年(1818年)の修理を経て、
安政三年(1856年)宝暦時の規模で改修され現在に至っている。
(現在は県指定文化財の建物)
★春日造では全国一の規模の神社★
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
作家の「司馬遼太郎」は、この神社を訪れていた。
(司馬遼太郎を紹介した本に、彼が「物部神社」に行った写真ほか記述されていた)
だが、「出雲大社」は 正確に言うと島根の「出雲国の一宮」なのだ。
島根県は、明治になるまでは「出雲、石見、隠岐」の3つの地域に分かれていた。
今回、紹介する「物部神社」は「石見国の一宮」だ。
場所は大田市にある。
「石見国一宮・物部神社」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/bc/5edbc675af8f8feb222c839363ae0d1b.jpg)
古来より
文武両道の神・鎮魂の神・勝運の神として崇敬されてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/ee/3ca40c67747171f91080028ebab7c1bb.jpg)
最初に
御祭神の「宇摩志麻遅命」が、鎮魂祈祷を行った言い伝えから、
神職の始めを為す神として占い・まじない・祈祷の神の信仰も厚いことでも知られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/6f/9e9716220786c269e81f2e787187e117.jpg)
また
「戦国時代」には
「石見銀山争奪戦の舞台」ともなり、
「大内氏・毛利氏」の戦勝祈願の記録や武具の奉納、天領歴代代官の赴任に伴う報告祈願
さらに文芸・武道の上達祈願、氏族繁栄・雨乞い祈願・戦中の砲弾避け等、多種多様の祈祷が為された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/16/0a01aaf8d13de5a6838b23c9a455e4c5.jpg)
現在では、
鎮魂祈願を中心に病気平癒・交通安全・社業繁栄・厄除け・初宮詣で等、
全ての祈願依頼に対応している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/a0/d7b4c8304c410c922a749a0e23381f5b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/c9/f484a55eb0c92ae301c09b3e88923138.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/f3/2ffcd7bbb86f60b60a88a3ae24234ebb.jpg)
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「物部神社」の社殿創建について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最初は神体山である八百山を崇めていた。
後に、天皇の勅命により継体天皇八年(513年)社殿を創建し、
その後、石見銀山争奪の兵火などで三度消失した。
宝暦三年(1753年)再建され、文政元年(1818年)の修理を経て、
安政三年(1856年)宝暦時の規模で改修され現在に至っている。
(現在は県指定文化財の建物)
★春日造では全国一の規模の神社★
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作家の「司馬遼太郎」は、この神社を訪れていた。
(司馬遼太郎を紹介した本に、彼が「物部神社」に行った写真ほか記述されていた)