湯めぐり四方山話 & 和の音

湯めぐりは 人・風物との出会い

熊野本宮大社 旧社地「大斎原」

2019-11-20 | 神社・寺

最近、サンドイッチマンのテレビ番組秘境路線バスに乗って飲食店を見つける旅 」をみた。

和歌山県の熊野地方が舞台だった。2014年11月から長く行っていない和歌山県。2011年に行って撮影した写真データーを思い出した。折角、息子が新しいパソコンに旧パソコンの写真データーを移してくれたこともあり、この際、思い切って記事にすることにした。

2011年3月末に訪れた「旧・熊野大社の跡地」

熊野本宮大社 旧社地「大斎原」・・・神が舞い降りたという大斎原

熊野本宮大社はかつて、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中洲にあった。(この写真の場所)

当時は、約1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台など、現在の数倍の規模だった。

江戸時代まで中洲への橋がかけられる事はなく、参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り、着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりだった。
音無川の冷たい水で最後の水垢離を行って身を清め、神域に訪れた。

ところが明治22年(1889年)の8月に起こった大水害が本宮大社の社殿を呑み込み、社殿の多くが流出したため、水害を免れた4社を現在の熊野本宮大社がある場所に遷座した。
かつて多くの人々の祈りを受け止めた大斎原には、流失した中四社・下四社をまつる石造の小祠が建てられている。

大斎原は、現在の熊野本宮大社から500mほど離れている。熊野本宮大社から道路を隔てて、大鳥居(高さ約34m、幅約42m)が見える。その背後のこんもりとした森が大斎原。熊野本宮大社から徒歩10分ほど。

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「ぼべ貝 」でカレーを作ったよ!!

2019-11-20 | 食事処・名物・地のもの

30年ぶりに「ぼべ・カレー」を作って食べた!!

「ぼべ」は、正式名称は「ヨメガカサ(嫁が笠)」 平たい円錐形の殻をもつ「カサガイ」の一種。

北西太平洋・日本海の海岸で普通に見られる。地域によっては呼び名が違うが、海岸の岩場に張り付いている笠形の小さいな貝。

(写真は、ぼべ貝の貝殻)・・湯がいた後で、すでに身が離れていて殻だけ

湯がいて離れた身は(下の写真)

今回、30年ぶりに「ぼべ貝」でカレーを作って食べた。

まずは、「ぼべ貝」を湯がく・・

貝殻から身が離れたら、「ぼべの身」ばかりを集める。

人参、玉ねぎ、ジャガイモを油で炒めて、肉の代わりに「ぼべ貝の身」を投入して、普通にカレーを作る。

 

 「ぼべ・カレー」の出来上がり!!

 

美味しい!!

私の郷里の島根県・石見地方では、子どもの頃「ぼべ・炊き込みご飯」をよく食していた。

この「ぼべ・カレー」は夫の発案だ。

ある時、海辺でカレーを作ることになり、うっかり肉を買ってなくて、代わりに?海で採集した「ぼべ」を入れたとめっちゃ!!美味しいカレーになった・・というのだ・・!!

確かに美味しかった!!

30年ぶりに食べた「ぼべ・カレー」

それにしても小さい貝「ぼべ」

中に一つ、別の小貝が・・

あっ!!と これも懐かしい小貝で、子どもの頃「にな」と呼んでいた巻貝が一つ混じっていた。

子どもの頃、湯がいて針で中の身を引っ張り出し、おやつ代わりに食べていた夏の風物詩の小貝「にな」

(上の3つは笠形の「ぼべ」  下は巻貝の「にな」)

 久々に懐かしい海の幸を食して、子どもの頃、海水浴の翌日の楽しみ、湯がいた「ぼべ」「にな」を思い出す!! 

※私の郷里、島根県の海岸部では、ヨメガカサ科の貝を「ぼべ」(石見)、「べべ」(出雲)、「ぼべん」(隠岐)などと称して、夏に採り、ニンジンなどの根菜類と「ぼべ飯」、「べべ飯」などと称する炊き込みご飯として食べることが一般的。 (兵庫県の豊岡地方では「ずめ」と呼ぶらしい)(ほか、地域により呼び方はそれぞれ) 

※「ぼべ貝」は、市場に流通するほどの漁獲量はなく可食部も少ないので、個人や地域レベルでの消費にとどまる。

コメント (2)
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