安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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3度目の正直

2007-05-05 23:38:51 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
鉄道全線完乗を目指している私は、どんなに忙しくとも、年間何日かは必ず乗り潰しの旅に出かける。
これまで乗ってきた路線の中には、簡単に制覇できるもの、ある程度の困難を伴うものなど色々あった。仕事や出張で乗っているうちに、意識せず全線乗り終えてしまった路線もある。
だが、乗り潰しの旅の歴史も18年目に入ろうとする中、ひとつの路線を乗車することの難しさを私に教えてくれた路線がある。

只見線である。

前置きが長くなったが、私はこの路線に乗ろうとするたび、いつも困難に直面し、泣かされてきた。
2004年秋にこの路線の走破を計画したときは、新潟県中越地震という不幸があり、計画段階で挫折した。
2005秋にはいったん現地に向かって出発しながら、直前で台風のため、只見線は不通になり、涙をのんで引き返した。
2006年7月には、リバイバル急行「奥只見」運転に合わせて完乗しようと出かけたが、あろうことか、現地に到着してから大雨による土砂崩れで不通。この時も涙をのんだ。

それまでにも、地理的条件の厳しい大糸線は不通になることが多く、泣かされてきた。が、それでも出発前に不通がわかっているから対策の立てようもあった。だが、只見線に限っては、元気に走っているのを確認して出発しても、現地に着いてから何かが起こり、不通になっては引き返すということを繰り返してきた。現地入りしてから2度も引き返しになったのは、私の長い鉄道ファン人生の中でもこの只見線だけである。

もともとこの路線は自然条件の厳しいところである。名だたる豪雪地帯であり、急行「奥只見」は冬の間、運休となる唯一の急行列車として鉄道ファンに知られてきた。1963(昭38)年1月、北陸4県に災害救助法が適用され、北陸・上信越地方の鉄道がまる半月間不通となった歴史的な「サンパチ豪雪」の時には、入広瀬駅が屋根まで雪の中に埋没して完全に姿を消してしまった。いまでも長期にわたって不通になることが珍しくない。

そんな只見線に、性懲りもなくまたやってきた。夏は集中豪雨でダメ、秋は台風でダメ、そして冬は雪でダメとなると、もはや只見線を走破できる可能性があるのはこの時期しかない。今回も成功しなかったら只見線は当分先に延期せざるを得ない。文字通り背水の陣である。日頃の行いが悪い自分が単独で行けば、また現地で何か起きるかもしれないと思った私は、鉄道ファン仲間内でも屈指の晴れ男として知られる友人に同行してもらうことにした。

5月5日、こどもの日。朝から快晴の空模様である。日本の子供たちは日頃の行いが良いようだ。浦佐駅前のホテルを出て勇躍、駅へ向かった私たち一行は9時11分発の電車で六日町まで戻った後、お目当ての臨時快速「只見新緑号」に乗り込む。3両編成のうち1両は物産品販売専用車になっていて、地元産の農産物がずらりと並べられている。全国各地で地域おこしがかけ声倒れになる中、地元だけで自己満足して終わりではなく、臨時列車運転に合わせて遠方からやってくる観光客の中に飛び込んでいこうとしているこの移動物産展のアイデアは新鮮だ。地元・魚沼産の「大力納豆」(写真参照。メーカー「(株)大力納豆」サイト)を買い込んでいるうちに、列車は快調に只見線を進む。12時2分、何事もなく「只見新緑号」は只見に着いた。

只見では約1時間の小休止。駅前には商店のひとつもないので、「移動物産展」で買ったおにぎりを昼食とする。友人たちはここで再び「新緑号」で折り返すので、全席指定席の臨時列車「風っこ会津只見号」で会津若松へ抜けるのは私ひとり。
とたんに気が気でなくなった。抜けるような青空は変わりそうにないが、また地震が来ないだろうか。人身事故は起こらないだろうか。いままでどんな路線に乗る時でも、身を委ねている鉄路に信頼を寄せていたのに、ことこの路線に関しては悪いことばかり考えてしまう。

トンネル、絶景、トンネル、絶景…車窓はひたすらその繰り返しだった。いつまでも終わることなく続く絶景。こんなに長時間絶景が続く路線は滅多にない。只見線は偉大なローカル線である。五能線、山陰本線に匹敵する。トロッコ列車なので、トンネルを通るときのヒヤリ感がたまらない。

会津坂下を過ぎてからは平地に下り、車窓は普通の田園風景になった。あと少し。あともう少し。何も起きませんように…。祈るような気持ちだった。
午後4時。小出で只見線に分け入ってから約6時間。「風っこ会津只見号」乗車から3時間。西若松についた列車は行き違いのため停車する。この時、私はついに全線完乗が成ったことに気づいた。西若松~会津若松間は、すでに1度会津鉄道の列車で芦ノ牧温泉へ行ったときに乗っているからだ! 待ちに待った只見線完乗の瞬間だった。
小躍りしたい気分になった。ひとつの路線の完乗がかつてこれほど嬉しかったことはない。何しろ2度も現地に来て涙をのんでいるのだ。エベレスト登頂に過去2度失敗した後、3度目にしてようやく征服した登山家の気持ち、と言えばわかってもらえるだろうか。

鉄道完全乗車というのは簡単なようで意外に難しいことがある。時には闘いの様相さえ帯びることもある。私にとっての只見線は、まさに闘いだった。倒すか倒されるか。それは世界最高峰に挑む登山家の闘いに似ている。かつて登山家マロリーは、なぜ山に登るのかと問われて「そこに山があるからだ」と答えた。私もまた、そこに鉄道があるから乗車に挑む。ひとつひとつ着実に、ストイックに結果を積み上げていく営みの中からでなければ全線完乗の偉業は生まれない。

しかし、残り路線が少なくなるにつれて次第に寂しい気持ちに襲われることもまた事実である。全線完乗を達成したとき、私の目にはいったいなにが見えるのだろうか…?

(追伸:「大力納豆」は糀入りの大粒納豆。味付なので醤油・たれ・辛子は不要。翌朝、妻と2人で食べてみたが、大豆そのものの味が絶妙でおいしかった。この納豆の味に慣れてしまうと、スーパーで売っているカップ入りの納豆など偽物に思えてしまうおいしさである。メーカーWEBサイトによれば、地元・新潟はもちろん、東京や名古屋(星ヶ丘)の三越でも買えるので、興味を持った方はぜひ購入してほしい。)

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