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「おくりびと」アカデミー外国語映画賞を日本映画初受賞

2009-02-25 22:08:42 | 芸能・スポーツ
「おくりびと」大逆転!アカデミー外国語映画賞を日本映画初受賞

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 [eiga.com 映画ニュース] 2月22日に行われた第81回アカデミー賞授賞式で、滝田洋二郎監督の「おくりびと」が日本映画初の外国語映画賞を受賞した。

 滝田監督、続いて主演の本木雅弘、広末涼子、余貴美子がステージに上がったのち、滝田監督が「アイム・ベリー・ハッピー」と第一声。さらに「新たな出発点となりました。私たちはまたここに戻ってきたい」と英語でスピーチした。

 下馬評では、昨年末からの映画賞をほぼ二分してきたイスラエル製アニメ「戦場でワルツを」(東京フィルメックスのグランプリ作品)と、カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作「クラス」の2本が他に比べて優勢と伝えられていたため、同作の受賞に関し、海外のメディアは“逆転”や“意外”“番狂わせ”といった表現を使った。

 特に「戦場でワルツを」の前評判が高かったが、アニメ形式だったので敬遠された模様だ。また、アカデミー会員は今年からDVD視聴で投票できず、会員向け試写会で見た人のみが投票できるルールになった。世界的に普遍的なテーマである死を題材とした「おくりびと」は、試写会で会員の投票を一気にかき集めたようだ。

 そもそも同作は9月1日にモントリオール世界映画祭グランプリを受賞。日本公開(9月13日)と同時に米アカデミー賞の日本代表に選ばれ、あれよあれよと最終ノミネートの5本に入った。先週の日本アカデミー賞でも10冠を達成している。

 受賞後の会見で滝田監督は、自分が呼ばれた時の心境について「信じられなかった。これまでアカデミー賞でノミネートされた日本映画はほとんが時代劇だった。その意味で、現代ものが認められたことはうれしい」と語った。

 「日本人は、いや世界中どこでも同じだが、死を忌み嫌う傾向がある。企画をいただいた時は不安だった。しかし、実際に納棺師の仕事を見て、これはやらなければいけないと感じた。主演の本木雅弘さんが本当にのめり込んで演じてくれた。今日の賞の半分は本木さんのものだ」と、現在の気持ちとして主演の名演を称えた。
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「これまでアカデミー賞でノミネートされた日本映画はほとんが時代劇」という滝田監督の発言が、アカデミーの日本に対する見方を端的に表しているような気がする。アカデミーと米国にとって日本は未だにフジヤマ、サムライ、ゲイシャだったのではないか。その意味で、現代物の受賞は確かに従来の枠を打ち破る快挙とは言える。

これまで、生きること、「生」をテーマにした作品は数知れずあったが、死というネガティブなテーマ、それも戦争や殺人や天変地異による非業の死ではなく、天寿を全うした人間が迎える病気や老衰による普通の死をテーマにした作品は皆無に近かったのではないか。

今、日本は75歳以上が人口の1割を占めており、60歳以上に至っては人口の実に4分の1にも達するという、人類が歴史上経験したことのない超高齢社会の中にいる。国民の4人に1人が高齢者ということは、1家族に1人は高齢者がいるという程度の比率になる。日本人であれば老若男女にかかわらず、間近に迫った死と向き合わなければならない人間が家族に1人はいるという計算になるわけだ。

誰にとっても「死」が身近なところに位置している…「死」を違和感なく1本の映画としてテーマ化できた背景には、滝田監督の非凡な才能もさることながら、このような社会事情も背景にあるのではないかという気がする。

もうひとつ。このような映画が作られ、興行的にもヒットするようになった背景に、日本人の死生観の変化があるような気がする。

武家時代から太平洋戦争の敗戦まで、日本人にとっては「良く生きる」ことよりも「良く死ぬ」ことが美徳とされた。「おめおめと生き恥をさらすくらいなら腹を切る」が武士道精神だった。佐賀・鍋島藩の心得書「葉隠」にある「もののふとは死ぬことと見つけたり」という言葉は、まさにこうした精神の有り様を武士に指南したものと言えるだろう。

こうした「良く生きるよりも良く死ぬことが美徳」という日本人の精神の有り様は、近代まで引き続くが、昭和に入ると国民を戦争に総動員しようとする軍部によって利用され「国のために死ぬ」に変質させられた(沖縄で起きた集団自決もこの延長にある)。しかし、「もののふとは死ぬことと見つけたり」の本来的意味は、決して「生とは仮の姿」なのだから生を粗末にして良いということではなく、むしろ、「いつ訪れるかわからない死をいつ迎えてもいいように毎日を精一杯、恥ずかしくないように生きよ」という意味だったのだと想像する。生が限りあるものであり、死が避けられないものだと自覚することによって、人間は動物と違う倫理的な生き方ができるようになったのだと私は思う。

ところが、戦後に入ると、医学の進歩によって平均寿命が大幅に伸びたこととも相まって、あたかも生が永遠のものであるかのような風潮が生まれた。「死」について公然と語ることはタブーとなり、「いかに良く生きるか」だけが大手を振って語られた。その結果、死を迎える精神的準備ができないまま死を迎える日本人が多くなっていったと考えられる。

ようやく結論に入るが、「おくりびと」ヒットの背景に日本人の死生観の変化があるのではないか、という本エントリーの主張の趣旨はこうである。すなわち、上述したような戦後的価値観(良く生きることだけが問題とされ、誰もが避けて通れないものであるにもかかわらず「死」をタブー視する)が再び戦前的な「避けて通れない死が明日来てもいいように死と前向きに対峙する」という価値観へと転換しつつあるのではないかということである。物質主義から精神主義への回帰とか、そこまで大げさなことを言うつもりはないが、戦争のためにやりたいことも我慢せざるを得なかった上の世代と、希望も夢も掘り尽くされて無関心の海に沈んだ下の世代との間に挟まれてさんざんやりたい放題やってきた「団塊」世代が、残り少なくなった人生を省みて、死を意識し始めたのだろうか。

「おくりびと」の英語の題名が“Departure”(出発、旅立ち)という前向きなイメージのものになっているのも、そうした精神構造の変化を物語っているのかもしれない。

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