安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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JR西3社長起訴問題と国鉄分割民営化

2009-11-04 22:17:50 | 鉄道・公共交通/安全問題
JR西歴代3社長の起訴申し入れ 脱線事故遺族ら(朝日新聞) - goo ニュース

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 JR宝塚線(福知山線)脱線事故で、業務上過失致死傷容疑で告訴され不起訴処分になったJR西日本の歴代社長3人について、遺族らでつくる「4・25ネットワーク」は4日、起訴するよう神戸地検に申し入れた。

 3人は、井手正敬(74)、南谷昌二郎(68)、垣内剛(65)の各氏。神戸地検は7月、事故現場を急カーブに付け替えた際に鉄道本部長だった山崎正夫・前社長(66)のみ在宅起訴し、3人は「山崎氏に安全対策を委ねていた」と不起訴処分にした。だが、遺族らから不服申し立てを受けた神戸第一検察審査会が10月、「3人は安全対策の最高責任者だった」と起訴相当の議決をし、神戸地検が再捜査している。

 この日、遺族と負傷者計9人が検事に面会し、「安全対策をとらないままダイヤを余裕のないものにしたことが、事故にどうつながり、3人に責任はなかったのか改めて捜査してほしい」と求めた。申し入れ後、取材に応じた兵庫県三田市の木下広史さん(51)は「3人を起訴して、事故の真相を裁判で明らかにしてほしい」と話した。(千種辰弥)
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「4.25ネットワーク」の神戸地検への申し入れについては8月にも行われており、当ブログの感想も8月21日付エントリで既に述べたとおりだから、特段付け加えるべきこともない。

当ブログとしても、いつも同じことを繰り返していても仕方がないので、今日は波紋を承知の上で、思い切ったことを書いてみる。

過去、当ブログでは尼崎事故のほか羽越線事故問題、JR東日本による信濃川からの不正取水問題、国労バッジ着用社員に対する不当処分問題、テナント商店「ベルク」追い出し問題などを取り上げてきた。そして、昨日のエントリでは、JR東海による名松線廃止計画に反対を表明した。

これらの事実を検証してきて思うのは、国鉄分割民営化政策によって生まれたJR体制が、完全に破綻したということである。そしてそれは、国鉄分割民営化政策の破綻という評価に直接的に結びつく。

しかし、考えてみればそれは当然だ。国鉄分割民営化というのは、端的に言えば、国民のための鉄道であるものをビジネスのための鉄道に変えるということにほかならなかった。公共性を捨て、安全を捨て、地方を切り捨てることを通じて利潤のために奉仕する、それこそがこの「改革」の本質だった。

国鉄分割民営化が国会で審議されていた1985~86年頃、分割民営化反対派を中心にこうした事態を危惧する声はあったが、圧倒的な「国鉄職員怠け者論」の前にその声はかき消されていった。そして、労働組合までが公共性・安全・ローカル線を切り捨てようとする勢力の前に膝を屈していった。「国鉄がどのような事業体になろうと、黒字でなければならない。タクシーの運転手さんが、呼ばれればどんどん出ていって仕事をする。それはそれによって利益があがるからです」(1986年7月9日、鉄労大会に来賓として出席した松崎明・動労委員長の挨拶)--国鉄職員が、呼ばれればどんどん出ていって仕事をすることに異論はないが、労働組合自身が黒字であることを要求した瞬間、鉄道の安全と公共性は解体したのである。

それから20年が過ぎ、無残でボロボロになったJRの姿は、かき消されていった危惧の声が正しかったことを余すところなく証明した。JRは目的(利潤)のためなら手段を選ばない脱法企業として国民の上に君臨し、今やその存在、そして経営形態それ自身が、日本社会発展のための桎梏となるに至った。

私たちは今こそ物事の表層ではなく本質に迫らなければならない。JR各社を取り巻くこれら恥ずべき事件の大部分は、それが国鉄であったならば発生しなかったであろうと思われるものばかりである。安全のために声を上げる国鉄職員が健在なら福知山線にATS-Pが早期設置されていたに違いないし、車両軽量化も起こりえなかった。羽越線の風速規制が科学的根拠もなく緩和されることもおそらくなかったであろうし、国鉄時代は駅ビル経営をはじめ一切の副業が禁じられていたから、テナント商店「ベルク」への追い出し以前に国鉄が関与するエキナカビジネス自体、存立する余地がなかった。駅ビルは純粋な民間資本によって経営され、テナント商店を入れ換えるにしても、もう少し民間的でスマートな手法が採用されたはずである。

このように考えていくと、現在起きている恥ずべき事件のほとんどは、職員に対してだけ民間流の厳しい働き方を強制しながら、自分たちだけは例外としてきたJRの経営手法に発しているということが理解できるはずである。民間であるという理由で政府からの統制も受けず、かといって民間並みのガバナンス=企業統治も行われないまま、JRの経営者は治外法権の無法状態に置かれてきた。そのことが、こうした害悪の原因になっているのである。

半世紀ぶりの政権交代により、日本国民は2回目の「新日本建設の礎」を勝ち取った。この千載一遇の機会を捉え、社会の公器である鉄道を治外法権から私たちの統制下に取り戻さなければならない。JR各社に対する当ブログの「告発」は、こうした目的のために行っているものだが、気の遠くなるようなこの事業が当ブログだけで達成されることはもちろんあり得ないのであって、当ブログの読者、JRの事故で大切な人を失ったご家族、その他JRおかしいじゃないかと思っている皆さんの協力が不可欠である。安全も公共性もローカル線も二の次、利潤第一で行動するふざけたJRからの根本的転換を望む人は、今こそ当ブログに続いてほしいと思っている。

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