安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

当ブログのご案内

当サイトは列車の旅と温泉をメインに鉄道・旅行を楽しみ、また社会を考えるサイトです。

「あなたがすることのほとんどは無意味でも、あなたはそれをしなくてはなりません。それは世界を変えるためではなく、あなたが世界によって変えられないようにするためです」(マハトマ・ガンジーの言葉)を活動上の支えにしています。

<利用上のご注意>

当ブログの基本的な運営方針

●当ブログまたは当ブログ付属サイトのコンテンツの利用については、こちらをご覧ください。

●その他、当サイトにおける個人情報保護方針をご覧ください。

●当ブログ管理人に原稿執筆依頼をする場合は、masa710224*goo.jp(*を@に変えて送信してください)までお願いします。

●当ブログに記載している公共交通機関や観光・宿泊施設等のメニュー・料金等は、当ブログ管理人が利用した時点でのものです。ご利用の際は必ず運営事業者のサイト等でご確認ください。当ブログ記載の情報が元で損害を被った場合でも、当ブログはその責を負いかねます。

●管理人の著作(いずれも共著)
次世代へつなぐ地域の鉄道——国交省検討会提言を批判する(緑風出版)
地域における鉄道の復権─持続可能な社会への展望(緑風出版)
原発を止める55の方法(宝島社)

●管理人の寄稿
規制緩和が生んだJR事故(国鉄闘争共闘会議パンフレット「国鉄分割民営化20年の検証」掲載)
ローカル鉄道に国・自治体・住民はどう向き合うべきか(月刊『住民と自治』 2022年8月号掲載)
核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

ベルリンの壁崩壊から20年

2009-11-09 22:40:37 | その他(海外・日本と世界の関係)
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

●唐突な「壁解放」の真相
 1989年11月9日、ドイツ民主共和国(東独)の首都ベルリンからやって来たその発表は世界に大きな衝撃を与えた。「(東独国民は)直ちに、全ての国境通過地点から出国が認められる」…後の歴史を大きく塗り替えることになる、ベルリンの壁解放の瞬間だった。

 1989年、世界人口の3分の1を占め、共産圏と呼ばれていた世界は大きな動揺の渦中にあった。中国ではこの年6月、民主化を求めて天安門に集まった学生らを人民解放軍が無差別殺傷する天安門事件が起きたばかりだった。1985年、ソ連共産党書記長に就任したゴルバチョフが「ペレストロイカ」(刷新)、「グラスノスチ」(情報公開)を掲げ、改革を初めて4年あまり。改革の波は東欧社会主義圏全体を揺るがすものになりつつあったが、多くの社会主義国ではいまだに改革は道半ばで、共産党・労働者党が一党支配原則を放棄する決心もつかず逡巡していた時期だった。

 しかも、ちょうどその1ヶ月前の10月9日、東独建国40周年記念式典で、ホーネッカー国家評議会議長兼社会主義統一党書記長が「壁は今後とも数十年間、いや100年にもわたり存続するであろう」と演説したばかりだった。社会主義体制を放棄しても生き残れる可能性がある他の国と違って東独は社会主義を放棄すれば西独に吸収されるのみであり、他の国が社会主義を放棄しても最後まで社会主義を固守するに違いないと信じられていたから、私にはその発表があまりにも唐突なもののように思えたのである。

 それから20年経った今日、謎めいた「壁解放」の真相は担当者の誤発表だったというのが定説になっている。実際には、社会主義友好国にしか自由な旅行が認められていなかった東独国民に対する外国旅行の全面自由化が指導部によって決定され、その自由化が1989年11月10日から発効することになっていた。しかもその外国旅行自由化は「ベルリンの壁を除く」ことになっていたにもかかわらず、社会主義統一党のシャボウスキー政治局員が決定内容を正しく理解しないまま、冒頭のような誤った発表をしてしまったのである。

 シャボウスキー政治局員の発表を「正しく理解」した東ベルリン市民は、大挙して壁に押し寄せ、わずか数日間のうちに東独国民700万人が西独へ出国を申請したといわれる。それは東独国民の4割にも及ぶ恐るべき数字である。東独は翌90年、西独に吸収される形で消滅し、第二次世界大戦の敗戦以来分断されていたドイツはあっけなく統一を達成してしまった。

●壁崩壊の光と影
 ソ連・東欧の社会主義が崩壊して以来20年、社会主義に対する資本主義陣営の勝利が大々的に喧伝されるとともに、資本主義陣営のトップである米国の一極支配が始まった。だが、資本家が労働者を搾取することによって成立する資本主義の一極支配で良い時代が来るなんて、どうしても私には思えなかった。世界経済の教科書が再びマルクスやケインズからアダム・スミスに戻ってしまうのではないかという漠然とした不安に襲われた。

 そうした不安は、今、最悪の形で現実となってしまった。共産圏崩壊の引き金を引くことになるゴルバチョフが登場した1985年はまた労働者派遣法制定の年だが、この法律によって企業の使用者責任はなし崩しとなり、労働者保護の精神を定めた職業安定法は解体させられた。派遣労働者を初めとする非正規雇用は1700万人に上り、20歳代に限れば全体の4割を占めるとも言われる。貧富の格差は拡大し、社会保障は崩壊、彼らはみんな低賃金とピンハネ、理不尽な首切りに怯えながら日々を過ごしている。国鉄改革によって解雇された1047名は、いまだ解雇のまま復職も実現していない。

 自由が抑圧され、錆び付いた「労働者の王国」でも、それが資本主義陣営に対抗できる形で存在していれば、各国の労働者はここまで追い詰められなかったであろうし、ましてやそれが政治的自由を大幅に認める改革を成功させていれば、歴史は大きく変わったであろう。改めて、共産圏崩壊が世界の労働者に与えた負の影響の大きさを実感させられる。

●「レーガンになんて誰も感謝していない」
 ところで、ソ連と共産圏が崩壊したのは、レーガン米政権がSDI(戦略防衛構想:現在のMD=ミサイル防衛構想の原型)を初めとする軍拡競争を仕掛けながらソ連を経済的に追い詰めていったからであるとして、レーガンを冷戦勝利の英雄視する空気が米国にはいまだにあるといわれる。しかし、今年11月のニューヨークタイムズは、東西冷戦の主戦場であったヨーロッパでは必ずしもそうした見方はされていないとして、次のように解説している。

 『ベルリンの壁が崩れて冷戦が終わったのは米国と特にレーガン政権のおかげだ、米国の勝利だと自慢するのが米国側の認識だが、欧州では特にレーガンに感謝していないし、むしろドイツの東方政策と衛星テレビで西ドイツの番組を東に向けて流し続けたおかげ、いわゆる「ソフトパワー」のおかげだと思っている。そしてロシアでは、別にソ連が負けたわけではなく「弱腰ゴルバチョフがぐずぐずして、勝手にソ連を崩壊させただけだ」と未だにゴルバチョフ氏を唾棄している』

 筆者はこの見解に全面的賛同はしない(というより、賛否を表明できるだけの資料を持ち合わせていないと言ったほうが正しい)が、ソ連の社会主義体制が当時の指導部によって人為的に解体されたとする説は一定の説得力があると今でも思っている。歴史的に考えれば、ソ連の社会主義体制は、マルクスやエンゲルスの古典に書かれていたような「生産手段の社会的性質とその資本主義的所有形態との矛盾」が爆発するような形で起きたというよりは、ボルシェヴィキによって上から政治的に移植されたというのが実態だったからだ。革命の第一人者であったトロツキーでさえ、ロシアが「資本主義の鎖の最も弱い環」しか存在していない国だという事実を、なかば公式に認めていた。

 人為的に移植された政治体制は、解体も人為的に行うことができる。ペレストロイカについて、ああでもない、こうでもないといろいろ試してみた挙げ句、大爆発を起こしてしまったゴルバチョフという人物は、研究者には向いているが国家の指導者には向いていなかったということなのかもしれない。

●映画「グッバイ・レーニン」が語る希望
 今から5年ほど前の2004年に、「グッバイ・レーニン」という映画が公開され、東西統一後のドイツでは600万人の観客を動員するほどのヒットになった。

 主人公のアレックスは東独のテレビ修理店に勤める青年だが、社会主義体制に辟易していた。一方、彼の母、クリスティアーネは、社会主義の祖国を捨てて西側へ亡命した夫の反動で、社会主義体制への傾倒を強めていく。ある日、クリスティアーネは、息子アレックスが反社会主義デモに参加し警官隊と衝突しているのを見て、ショックで心臓発作を起こしてしまう。昏睡状態となった彼女は、医師から「二度と覚醒しない」と宣告されるが、奇跡的に意識が回復する。だが、彼女の長い昏睡状態の間に、ベルリンの壁は崩壊し、東独は資本主義の波に洗われていた。

 アレックスは医師から「クリスティアーネが再び大きな精神的ショックを受けて心臓発作が起きたら、今度は助からない」と宣告されたため、映像制作会社に勤める友人の協力を経て、社会主義体制崩壊の事実を母から隠そうとする。社会主義時代と変わらないニュース番組を作って自宅のテレビだけに流したり、キッチンにある外国製ピクルスの瓶のラベルを東独の国営企業のものに貼り替えるなどの工作を行う。初めのうち工作はうまくいくが、やがてクリスティアーネが散歩に出かけた先で外国企業の看板を見つけるなどするうち、彼女は疑いを抱くようになる。母が再び心臓発作を起こすのではないかと案じたアレックスは、そこで母に対し、最後の宣伝工作を打つのである。

 『壁が解放されたベルリンでは、西側資本主義の競争社会に疲れた労働者たちが、続々と社会主義の東独に押し寄せてきています』

 クリスティアーネは、そのニュース映像を見て満足そうにうなずく。これが大まかなあらすじである。

 筆者は、このシーンが、冷戦後の世界を席巻した新自由主義に対する強烈なアンチテーゼであると考えている。広がる一方の格差、下がり続ける生活水準の一方で肥え太っていく資本家たち。ドイツ国民はこの映画の中にユートピアの再興を夢見たのではないか。

 2008年末に起きた金融危機と全世界的規模での雇用・生活崩壊は資本主義が長い歴史の過程をたどりながらも死滅に向かっていることをはっきりと示した。このままではいけないという認識は多くの人々の共有するところとなり、半世紀間、政治的惰眠をむさぼっていた日本でもついに政権交代が実現した。

 「グッバイ・レーニン」は資本主義に代わる新たなユートピアの正体を示すことまではできなかった。しかし、ソ連より民主的で労働者の自主裁量性の高い新たな社会主義を実現させる環境が整いつつあるのではないだろうか。壁崩壊から20年を経た2000年代最後の年の暮れ、ふと筆者はそんなことを思うのである。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする