身体「心を元気にする文化」
「身体あってのものだね」
- 心と身体
心身問題にまともに立ち向かおうとすると、大変なことになります。心の哲学の解決不能問題の一つだからです。
それでも、心を研究する者は、心身問題には、それなりに見識が求められますから、自分なりの答え、立場はしっかりとしておく必要はあります。
自分の立場は簡潔に言うなら、「心は脳を超える」となります。
脳がなければ、心は存在しませんが、脳をとことん研究しつくしても、なお、脳では説明できない心の世界は残る、という立場です。この立場でないと、心理学の研究者としてのアイデンティティがなくなってしまうからです。
いずれにしても、心身問題、これくらいにします。
心の元気という観点から身体のことを考えてみたいと思います。その前にちょっぴり寄り道します。
- 身体の役割は多彩
身体には、心との関係から眺めると、3つの働きがあります。
一つは、認識の道具としての身体です。身体を動かすことによって世の中を知る働きです。
2つは、状況に働きかける道具としての身体です。頭で考えて動くことで状況を変えることができます。
3つは、知識の貯蔵庫としての身体です。これは比ゆ的な表現になりますが、知識は頭の中にだけあるのではなく、手足のような身体の末梢のあちこちに、あたかも埋め込まれているかのごとく存在しています。「手は脳の出店」といった人もいるくらいです。
- 心の元気にする身体の活用のコツ
- 「動かす」
身体の最大の特徴は動くことです。この特徴を生かせばいいのです。あれこれ難しいことは抜きにしてともかく動かすことです。
逆を考えてください。身体拘束です。介護の現場でこれがしばしば問題になるのも身体の自然に逆らっているからです。
動きたいときに動ける、動く、これが心の元気になります。それほど根拠があるわけではありませんが、こんなことも心がけるといいかもしれません。
心がつらいときほど激しく動く。
心が元気がないときは、のんびりゆっくり長く動く。
心が元気なときは、活き活き動く。
- 新しい喜び、楽しみを開発する
これまでやりたくてやれなかったのがダンスです。きれいな女性(である必要はないのですが)と、手と手をとり華麗にリズムにのって踊りまくる。これほど楽しくもうれしいことはないのではないでしょうか。
ダンスは一つの例に過ぎません。できれば、こうした動く楽しみをいくつか用意することをすすめます。
人間は横着ですので、動くのが自然で楽しいと言われても、ついついおっくうになってしまいます。そんな時の救いに、動く楽しみがあれば大丈夫です。
それには、上達する楽しさも伴うようにしておくことも効果的です。
ここで、ポジティブ心理学者の言説を引用しておきます。
「身体が生み出すほとんど無限の楽しみの可能性は、多くの場合、未開発のままとどまっている。(チクセントミハイ)」
これは、一時的で安易な快楽主義への導くになりがちですが、確かに、もっと身体で楽しむ、喜ぶ機会を意図的に多くしてもよいと思います。IT社会は何かとリアルな身体をおろそかにさせがちだからです。
動く喜びだけでなく、感ずる喜びもあります。
ニュース番組の定番になっている、グルメがその典型ですね。味覚の開発です。
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