昔懐かしい、だんご庄のだんごです。
米粉のだんごに、きな粉と特製の蜜のみ
本当にシンプルで、癖になる味です。
高野長谷街道の茶店が元だなんて知りませんでした。
訪れたのは、15日の3時過ぎ
お盆の帰省でお土産にされる方などが、
次から次へと、
お店の中でも、だんごを串にさす人、まぶす人
詰める人、手渡す人、忙しく立ち回っておられますが、
注文に追いついていません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/67/ad/a8b63e15a085e9aeb3610df61d9aaec5_s.jpg)
予約客もおられ、待つこと30分、頂いて帰りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0a/57/bf778ce7cd80b2df2169e20d70006faa_s.jpg)
頂きながらですみません。
”おだんご”は茶菓子にも使わせていただいておりますが、
この歴史は、・・・と聞かれると、?
*縄文時代の”どんぐり”を用いたものからで、名前の由来は
奈良時代に遣唐使が「団喜(だんき)」を持ち帰っており、
米の粉をこねて丸め、茹でて甘味料を塗ったものと、
神饌の1つである粢(しとぎ)を丸くしたものが団子の原型で
後に団喜をあてられたという柳田國男先生のご意見も。
一方お米をついた餅を丸めた「だんご」は、
平安時代の「新猿楽記」に見ることができ、
そして室町時代にはすでに串ざしの団子があったようで、
1600年代、団子は串に5つさすのが普通になりました。
このころから「花よりだんご」と
江戸末期は逆に、串に刺さず、きれいに丸めた団子に
黒もじを添えて出されるようになりました。
値段も高くなっており、茶道で使われていたことを
ヒントにされたのではないでしょうか。
なお黒もじは千利休居士、または古田織部が用いたのが
始まりとされております。
だんご庄のだんごを頂きながら、
食文化について、いろいろと考えさせられましたが、
おいしいさについ、もう一本。
米粉のだんごに、きな粉と特製の蜜のみ
本当にシンプルで、癖になる味です。
高野長谷街道の茶店が元だなんて知りませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/02/a4/314e7edb3251895b5edffea86621f719_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/51/9e/23ec989b65ef43e17fc10c1ce23e619c_s.jpg)
訪れたのは、15日の3時過ぎ
お盆の帰省でお土産にされる方などが、
次から次へと、
お店の中でも、だんごを串にさす人、まぶす人
詰める人、手渡す人、忙しく立ち回っておられますが、
注文に追いついていません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/67/ad/a8b63e15a085e9aeb3610df61d9aaec5_s.jpg)
予約客もおられ、待つこと30分、頂いて帰りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/44/fb/0e79755716fa27afd42ebeeb7b9d9974_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0a/57/bf778ce7cd80b2df2169e20d70006faa_s.jpg)
頂きながらですみません。
”おだんご”は茶菓子にも使わせていただいておりますが、
この歴史は、・・・と聞かれると、?
*縄文時代の”どんぐり”を用いたものからで、名前の由来は
奈良時代に遣唐使が「団喜(だんき)」を持ち帰っており、
米の粉をこねて丸め、茹でて甘味料を塗ったものと、
神饌の1つである粢(しとぎ)を丸くしたものが団子の原型で
後に団喜をあてられたという柳田國男先生のご意見も。
一方お米をついた餅を丸めた「だんご」は、
平安時代の「新猿楽記」に見ることができ、
そして室町時代にはすでに串ざしの団子があったようで、
1600年代、団子は串に5つさすのが普通になりました。
このころから「花よりだんご」と
江戸末期は逆に、串に刺さず、きれいに丸めた団子に
黒もじを添えて出されるようになりました。
値段も高くなっており、茶道で使われていたことを
ヒントにされたのではないでしょうか。
なお黒もじは千利休居士、または古田織部が用いたのが
始まりとされております。
だんご庄のだんごを頂きながら、
食文化について、いろいろと考えさせられましたが、
おいしいさについ、もう一本。