明日もまた九州北部には大雨との予報が、地盤の緩んでいる
地域もあり、更なる被害がおきぬように願うばかりです。
昨日は「茶の湯の書」講座に京都まで出かけ、目から鱗状態で
表に出て歩いていると、京都は奈良以上に蒸し暑く大変です。
近くの水火天満宮では「棚機祭」?
何て読むの?ああーたなばたですね。

忘れないうちに「茶道資料館」、前期から多数入れ替わるとの
ことで「やきもの巡り」京都滋賀編の後期展へお邪魔しました。
はじめにきれいな水差しが登場
【信楽写輪花水指】久左衛門作、栗田焼 17世紀
【色絵冊子形兎紐香炉】古清水焼、江戸時代元禄年間

前期でもあった【色絵虫籠形香炉】古清水焼
【鷺の山,黒飴釉長茶入】野々村仁清作、御室焼17世紀 今日庵
大きさにびっくり!
鷺の山
前期でも展示されていた
【腰白茶壺】信楽焼 18世紀 上林記念館
【古染付写山水文扇形向付】永楽保全作19世紀 滋賀県立陶芸の森蔵
滋賀県立陶芸の森
【三彩茄子形徳利】梅林焼 18-19世紀 滋賀県立陶芸の森
【赤絵金彩捻文向付】弥平絵付 湖東焼19世紀前半
井伊家伝来になり関東大震災の被災品で、彦根城博物館所蔵に
彦根城博物館
【大宮人 横糸目茶入】膳所焼 17世紀 膳所焼美術館
【青苔 檜垣文蹲花入】信楽焼 17世紀
青苔
掛物として15点の作品が展示されており、目についたのが、
【黄瀬戸写不識(しらず)形香合】楽家9代了入作で、
算盤玉のように腰が張った形が、達磨大師の面壁座禅姿に由来し、
達磨大師と梁の武帝との禅問答に使われた言葉です。
『碧巌録』第一則の問答
舉梁武帝問達磨大師。如何是聖諦第一義。
磨云。廓然無聖。
帝曰。對朕者誰。
磨云。不識。
なお忘れてならない水指に「不識(ふしき)水指」があります。
千宗旦が名付られたとされる南蛮水指になります。
【南極老人画賛】裏千家11代玄々斎画、
大網宗彦賛:対朕者誰
南極老人は、道教の神で、
日本では七福神の福禄寿と寿老人のモデルだとされます。
また賛の『対朕者誰』は先ほどの『碧巌録』にも登場し、
道元禅師が、法を伝えた達磨大師とその門下の修行実践を説く
正法眼蔵 行持 下 第十六には
梁武初見達磨之時、即問、如何是聖諦第一義。
(梁武初めて達磨を見し時、即ち問ふ、
如何ならんか是れ聖諦第一義)
答曰、廓然無聖。
進曰、対朕者誰
(朕に対する者は誰そ)
又曰、不識。
使達磨不通方言、則何於是時、使能爾耶。
(使達磨方言に不通ならんには、則ち何ぞ是の時に於て、
能くしかあらしむるにいたらんや)
不識(しらず、ふしき)は、識(しっている)、
不識(知らない)を超越したものとしての不識なのだそうで
一つ勉強させていただきました。
地域もあり、更なる被害がおきぬように願うばかりです。
昨日は「茶の湯の書」講座に京都まで出かけ、目から鱗状態で
表に出て歩いていると、京都は奈良以上に蒸し暑く大変です。
近くの水火天満宮では「棚機祭」?
何て読むの?ああーたなばたですね。



忘れないうちに「茶道資料館」、前期から多数入れ替わるとの
ことで「やきもの巡り」京都滋賀編の後期展へお邪魔しました。
はじめにきれいな水差しが登場
【信楽写輪花水指】久左衛門作、栗田焼 17世紀

【色絵冊子形兎紐香炉】古清水焼、江戸時代元禄年間

前期でもあった【色絵虫籠形香炉】古清水焼
【鷺の山,黒飴釉長茶入】野々村仁清作、御室焼17世紀 今日庵
大きさにびっくり!

前期でも展示されていた
【腰白茶壺】信楽焼 18世紀 上林記念館
【古染付写山水文扇形向付】永楽保全作19世紀 滋賀県立陶芸の森蔵

【三彩茄子形徳利】梅林焼 18-19世紀 滋賀県立陶芸の森
【赤絵金彩捻文向付】弥平絵付 湖東焼19世紀前半
井伊家伝来になり関東大震災の被災品で、彦根城博物館所蔵に

【大宮人 横糸目茶入】膳所焼 17世紀 膳所焼美術館
【青苔 檜垣文蹲花入】信楽焼 17世紀

掛物として15点の作品が展示されており、目についたのが、
【黄瀬戸写不識(しらず)形香合】楽家9代了入作で、
算盤玉のように腰が張った形が、達磨大師の面壁座禅姿に由来し、
達磨大師と梁の武帝との禅問答に使われた言葉です。
『碧巌録』第一則の問答
舉梁武帝問達磨大師。如何是聖諦第一義。
磨云。廓然無聖。
帝曰。對朕者誰。
磨云。不識。
なお忘れてならない水指に「不識(ふしき)水指」があります。
千宗旦が名付られたとされる南蛮水指になります。
【南極老人画賛】裏千家11代玄々斎画、
大網宗彦賛:対朕者誰
南極老人は、道教の神で、
日本では七福神の福禄寿と寿老人のモデルだとされます。
また賛の『対朕者誰』は先ほどの『碧巌録』にも登場し、
道元禅師が、法を伝えた達磨大師とその門下の修行実践を説く
正法眼蔵 行持 下 第十六には
梁武初見達磨之時、即問、如何是聖諦第一義。
(梁武初めて達磨を見し時、即ち問ふ、
如何ならんか是れ聖諦第一義)
答曰、廓然無聖。
進曰、対朕者誰
(朕に対する者は誰そ)
又曰、不識。
使達磨不通方言、則何於是時、使能爾耶。
(使達磨方言に不通ならんには、則ち何ぞ是の時に於て、
能くしかあらしむるにいたらんや)
不識(しらず、ふしき)は、識(しっている)、
不識(知らない)を超越したものとしての不識なのだそうで
一つ勉強させていただきました。