語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】人はなぜ自殺しないのか

2010年05月06日 | 批評・思想
 『考える日々Ⅲ』は、「サンデー毎日」に1999年12月26日号から1年間連載した「形而上時評」の集成である。
 たとえば、『そうでなければ、それまでだ』は、当時起きた少年による凶悪犯罪をとりあげ、翻って大人の側の去就を求める。

 いわく、NHKスペシャルは「理解してあげよう」「話してごらん」というが、一見ものわかりがよさそうに見えて、こんなことをいうのは大人に自信がないからだ、と池田はいう。
 少年が望んだように「死ぬこととはどういうことなのか」を知りたければ、少年自身が死んでみればよい。事実、かつて少年と同じ望みをいだいた者は、自殺を考えるか、実際に自殺した。
 しかるに、少年は自分を殺すかわりに他人を殺した。自分が悩むことと他人を殺すこととの間には、何の関係もない。自殺の代わりに他殺を選ぶのは、悩み方が足りないからであり、注目されたいからだ。自分よりも他人を見ている。それは単に甘えているだけのことだ。
 少年がほんとうに自殺すると困る、と人はいう。「しかし、なぜ自殺せずにわれわれは生きているのだろうか。この問いを私はその人に返したい。自殺の可能性と不可能性、人生の意味と無意味、それらについての徹底的な思索を経ていない人生の不安定は、その人自身がよく知っているはずである。なぜ子供にそれを拒むのか」

 在野で死について語りつづけ、自らもガンで早すぎる死(享年46)を迎えた池田晶子のことばは重い。

【参考】池田晶子『考える日々Ⅲ』(毎日新聞社、2000)
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【言葉】対話的人間

2010年05月05日 | 批評・思想
丸谷(才一) ・・・・聞く、聞き終わる、読み終わるという読解力が対談術の基本なんだと思います。

山崎(正和) それには古典的な先例がありましてね。プラトンの『ゴルギアス』という対話編の中に大変な名言がある。プラトンがいくら説得しても、ソクラテスの哲学がわからない人に対してプラトンは、「わたしが答え手になろう、あなたが語りなさい。そうするとあなたは問題を理解するであろう」というんです。つまり、よき聞き手というのは聞くことを通じて相手を開発するんですね。(中略)ギリシア哲学者の田中美知太郎さんによると、「ソクラテスの対話」では、ソクラテスが言い負かされることを通して真実が出てくる、と言うんです。つまり対話の一番理想的な場合には、どこかに神様がいて、二人の対話を通して真実を発見させる。場合によっては、一人の人間の敗北を通して真実が見えてくるというようなものであるはずなんですよ。

丸谷 そう、勝敗じゃなくて、共同作業による真実の探求みたいなものだね。いい聞き手は、相手の言わんとするところを聞くものです。どうでもいいところはあえて聞かない。大局を問題にする。つまらない間違いにこだわって、そこのところをつついていけば、論争には勝てる。でも、それではつまらない対談になっちゃう。

【出典】丸谷才一・山崎正和『対話的人間とは何か』(『半日の客一夜の友』、文芸春秋社、1995。後に文春文庫、1998、所収)
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書評:『バースデイ・ブルー』

2010年05月05日 | ミステリー・SF


 詐欺、放火、金融犯罪を専門とする私立探偵V.I.ことヴィクトリア・ウォーショースキーのシリーズ第8作めである。
 事務所が停電する場面から物語ははじまる。低家賃の、ただし老朽化したプルトニー・ビルからなかなか移転できないのだ。稼ぎがわるいせいで。事件の発端となるメッセンジャー家のカクテル・パーティで、片隅の席を与えられてヴィクは自嘲する。「仕事の上で選択をするたびに、意識的に自分を富と権力から遠ざけてきたんだもの。富と権力を持つ階級からしめだされたことに憤慨するのはばかげている」

 亭主から虐待されて身を隠す妻と子どものために奔走しても、14歳の少女を性的虐待を加えた父親から守っても、銀行の口座は増えはしない。怪しい事業所へ夜明け前に侵入するのも、罠を承知で飛行場へ忍びこむのも、もとはといえばフェミニストの同志への無償の支援に発している。
 だが、ロー・スクールの恩師マンフレッド・ヨウはいう。「わが校の卒業生の多くが正義より依頼人への請求金額を重視していることを、恥ずかしく思っている」

 わが党の士は、ヨウ一人ではない。一作ごとにヒロインに年輪が加わるこのシリーズ、大団円では40歳の誕生日をむかえるのだが、亡父の僚友マロリー警部補夫妻をはじめとする数々の友人たちがヴィクをとりまいて、共に満月が沈むまでダンスに興じるのだ。

 本書にかぎらず、このシリーズの特徴だが、事件はヒロインの血縁や地縁、学校時代の仲間といった交友圏に惹起し、またその中へ収斂していく。反面、個人的な関わりのない抽象的な社会悪には関心が薄いし、何があろうとも最後まで依頼人につくすという非情なまでのペリー・メイスン的職業倫理、契約の観念はヴィクには絵空事にすぎない、という感じだ。ヴィクの世界は狭いが、現実的といえば現実的だ。これが女性の感性だ、というと言い過ぎだろうが、まんざら間違いではないような気がする。だとすると、逆にみれば、探偵することによって広がっていく女性の世界がヴィク・シリーズだ、ということになる。

 会話の前後に情念の揺れがくどいほど書きこまれている。これも女性の感性というものか。
 軽口と情感の波が全編を埋めるから、大部な本書だが、長く感じさせない。

□サラ・パレツキー(山本やよい訳)『バースデイ・ブルー』(ハヤカワ文庫、1999)
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書評:『主語を抹殺した男 評伝三上章』

2010年05月04日 | ノンフィクション
 17世紀のフランスには文学上の一ジャンルに「ポルトレ」があった。文字をもってする肖像の意で、風貌、気質、行為まで描きだそうとするが、本格的な伝記でも人間研究でもない。そう桑原武夫は紹介し、「ポルトレ」を訳せば「人間素描」となる、という。
 桑原武夫『人間素描』(筑摩書房、1976)は、30有余人の「人間素描」をおさめる。素描された一人に、『象は鼻が長い』の三上章がいる。
 三上章に係るポルトレは、いまはなき雑誌「展望」1971年1月号に掲載された。追悼文である。「やがて現れるににちがいない彼の伝記作者のために」、「この独創的な学者の風貌を書きとめ」ている。
 ここで紹介される逸話はいずれも瞠目するべきものだが、一例は後ほど記す。
 ところで、桑原は三上章を土着主義の先駆者の一人と位置づけている。土着の進化論者、今西錦司は、「三上から深い影響を受けたと書いている」。三高で、今西と三上は同級、桑原は1級下であった。

 このポルトレ、ついに現れた伝記作者により、本書で再三引用されている。
 本書を通読すると、さほど多くの接触があったわけではない桑原が、じつによく三上の人となりを見ぬいてることに驚かされる。
 たとえば、反骨精神。三高時代、ズボンの前のボタンをかけるのを忘れて教師に注意されると、翌日ズボンのボタンを全部ちぎって登校した。西洋人の多くはマワシあるいはパンツをはいていないからボタンをかけねば陽物がみえるおそれがあるが、日本人はきっちり下帯をしているからそんな紳士づらをする必要はない、という理屈であった。三上はそれで押しとおしたらしい、と桑原は伝える。
 本書も、類似の逸話を掘り起こしている。中学校の数学の考査で、問題が容易すぎて解答する気がしない、と用紙に○を書いて早々と提出し、図書館で読書にふけった。無礼といえば無礼なふるまいだが、教師は三上少年を可愛がり、後々まで世話をやいたらしい。

 人は文化をうけ継ぎ、成長していく。反骨も独創も、型破りは、「型」を前提とする。「型」が身についていなければ、単なる放埒にすぎない。
 三上は広汎に読書し、先人の知識と知恵をうけ継いだ。本書によれば、進化論を今西錦司に伝えたのは三上である。
 三上的思考の基本的な「型」は、数学にあったらしい。
 数学にすぐれていた、と桑原ポルトレは以下のような逸話を伝える。数学の試験を解く際、教師が教室で教えたのとはちがう解き口を見いだそうと努力して、おおむねそれに成功したらしい。また、既知数をabc、未知数をxyzとするのは日本人としておかしいのではないか、と疑問をていし、イセの3乗+ロスの自乗-ハン=0のごとき数式を組み立てて教師を怒らせた。
 本書でも、80人が受けた試験において、ある難問を正解したのは三上ひとりだった、と伝える。
 三上はポール・ヴァレリーを愛したが、ヴァレリーも数学に凝った人だった。

 三上は、文学評論家として立つ野心があったらしい。これを断念し、文法ひとすじに方向転換した契機はふたつある、と本書はいう。
 ひとつは、吉田健一が主宰する『批評』誌から連載を依頼されながら、一度掲載されたのみで、不明の理由により一方的に連載中止を宣告されたこと。もうひとつは、佐久間鼎『日本語の特質』との出会いである。いずれも1941年のことで、奇しくも日本が運命が大きく変転した年でもあった。太平洋戦争の勃発である。
 この1941年、三上は母フサと妹茂子を布施(現・東大阪市)の借家に呼び寄せ、同居をはじめた。以後、茂子は、家事の能力がまったくない三上を生涯ささえつづける。三上は、ついに妻を娶らず、研究に没頭した。

 ここでは三上文法の是非には立ち入らない。評者には、その素養がない。ただ、海外で日本語を教育するにあたって三上文法が有効である理由が本書第一章に整理されている、とだけ記しておく。オーストラリアほか、海外で三上文法の評価が高いことは、桑原ポルトレにも付記されている。
 ちなみに、この伝記作者は、本書刊行当時モントリオール大学東アジア研究所日本語科長で、三上章の学問的業績について別に論文、著作をあらわしている(『日本語に主語はいらない』、講談社選書メチエ、2002、ほか)。 
 「街の語学者」(第四章のタイトル)を支持する者はいたし、国語学者の金田一春彦は「保守的閉鎖的な国語学界でまったく例外的」に三上に早くから注目し、熱心に応援した。
 しかし、国内の学者の大多数は、三上とまともに議論を交わさなかった。
 伝記作者は、学者たちから「シカト」された、という。「さすがの強靱な精神も孤立感、無力感を強めていったのである」。そして、三上60歳の年の暮、異常なふるまいにより警察に保護され、入院した。躁鬱病と診断された。

 晩年の三上は傷ましい。
 若年時の三上は、快活、洒脱なユーモアにあふれた談話の名手だったらしい。自宅に客がひきもきらず、談笑の声が別室の妹の耳にもとどいた、と妹は証言する。
 しかし、晩年の三上は、大学へ教授として招聘するという吉報の使者を、「相手の心を見透かすような眼鏡越しの冷静な視線」で迎えた。
 1965年、新設の大谷女子大学の国語科教授に推されて就任したが、三上の心身はすでに病んでいた。肺をガンがおかしつつあった。精神は硬直し、ユーモアを忘れていた。たとえば、始業時刻ちょうどになるまで廊下に立って待ちうけ、終業のチャイムが鳴るなり、発言の途中でも打ち切って、さっさと教室をあとにした。学生たちは、鐘が鳴るとすぐでていく「消防自動車」とあだ名した、という。
 ハーバード大学から招かれたが、なにも教えず、3週間で帰国した。桑原ポルトレは「大学側の用意した部屋があまり大きく立派すぎて落着かぬからというのがその理由と聞いた」と逸話ふうに記すが、本書によれば、そんな容易なものではなかった。不眠がつづき、生活面での不如意があり(妹は同行しなかった)、「精神が立った」状態になって入院。日本へ送り返された。
 帰国した三上には、1年間余の命しか残されていなかった。

 三上の生涯をたどってみると、たしかに才能のある人だったらしい。才人らしく、型にはまった行動をとらず、ある意味で自由気ままに生きた。金融恐慌の就職困難な時期にようやく得た台湾総督府の技官の「顕職」を、退屈を理由に2年で辞したのはその一例である。
 型破りはしかし、型にはまった世間から復讐される。「主語を抹殺した男」は、国語学者という世間から抹殺・・・・されかけた。
 三上文法が斯界の主流を占めなかった、というだけのことであれば、一掬の涙をながすことはあっても、それ以上の思いをいだく必要はない。学問上の正否は、学問の世界で決着をつけるしかない。
 しかし、まともな議論がおこなわれず、三上が「シカト」されたことには滂沱たる涙をながしてよい。異説をとなえる者、あるいはちょっとした変わり者に対する組織的排除は、小学校のイジメに端的にみられるように、日本社会の陰湿な側面である。三上は、その犠牲者だった。

□金谷武洋『主語を抹殺した男 評伝三上章』(講談社、2006)
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【言葉】行政マンの条件

2010年05月04日 | ●スタンダール
 彼はもともと事務の才能のない男だったが、十四年間田舎で侍僕、公証人、医師ばかり相手に暮らしていたうえに、突然現れた老人らしい不機嫌も手伝って、まったく無能な人間になっていた。しかるに、オーストリアで一つの要職を維持するのには、この古い君主国の緩慢複雑ではあるが、たいへん条(すじ)の通った行政が要求する、一種の才能なくしては不可能なのであった。デル・ドンゴ侯爵の間違いは下役どもを怒らせ事務を停滞させた。彼の過激な王党的言辞は、惰眠と無関心のうちに眠らせておかねばならないはずの人民をかえって刺激した。ある日彼は陛下がかしこくも彼の辞表を受理せられ、同時にロンバルジア・ヴェネチア王国の副大膳職に任じたもうことを知った。

【出典】スタンダール(大岡昇平訳)『パルムの僧院』(新潮文庫、2005)

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書評:『サンディエゴの十二時間』

2010年05月03日 | ミステリー・SF


 ミステリーは、思考実験的ゲームである。プレイヤーの一方が探偵、他方が犯人、というのが対戦の古典的な構図だ。
 『サンディエゴの十二時間』は、ゲーム好きな探偵と、おなじくゲーム好きな犯人が登場するミステリーである。探偵は米国国務省の捜査官ジョン・グレーブス、犯人は政治的意見の相違から大統領の暗殺をはかる大富豪ジョン・ライト。掛け金は高い。大統領の命とサンディエゴの100万人の命である。

 孫子いわく、敵を知り己を知らば百戦危うからず。
 テロリストと化したライトは、金にあかせて張りめぐらした情報網を通じて、自分を追う捜査官の存在をはやくから察知し、敵の情報を収集していた。グレーブスの心理テストの結果を手に入れ、ライトはほくそ笑む。犯罪が成就するには、グレーブスがカギになる、と。

 グレーブスは、ライトがのこした謎の言葉を知る。
 自分のことは自分がよく知っている(つもりだ)が、他人が自分をどう見ているかはわからない。そこで、自分の心理テストの結果を入手した。
 いわく、頭脳明晰、想像力豊富、保守的道徳観、強い競争意欲をもち、賭博やポーカーにすぐれた腕前を発揮する。他方、衝動的、スピードへの欲求が逆に弱点にもなり得る、なぜなら課題が半分ないし3分の2しか片づいていないのに解決したと思いこむことがあるから・・・・。

 「なんだ、こりゃ」とグレーブスは独り言ちた。
 だが、たしかにライトは敵を知ったうえで罠を二重三重にかけたのだ。

 著者マイクル・クライトンは、恐竜もので例外をつくったが、一作ごとにちがう素材に挑戦する作家だった(過去形で語らねばならないのは淋しい)。本書でも、毒ガスにうんちくをかたむけ、心理テスト、すなわちロールシャッハ、TAT、略式WAIS知能検査、クロングバーグ性格診断アンケートをいかにもそれらしく克明に記述している。
 サスペンスを楽しみ、併せて深層心理学ないし性格心理学をすこしかじりたい欲ばり向けの本だ。

□マイクル・クライトン(浅倉久志訳)『サンディエゴの十二時間』(ハヤカワ文庫、1993)
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【アランの言葉】抽象

2010年05月03日 | ●アランの言葉
 「抽象」
 これは、無限に複雑で不断に変化する具体的対象に対しておこなう単純化のことである。この単純化は、あるいは行動の必要から、あるいは悟性の要求から、われわれに課せられるもlのであって、[実際は]何ものにも分離されえないのに、分離されたものとして、何ものも休止していないのに、恒常的なものとして、対象の一つの要素を考察することである。

【出典】アラン(神谷幹夫訳)『定義集』(岩波文庫、2003)

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【旅】オーストリア ~グラーツ~  

2010年05月02日 | □旅
 この日はとくに予定はなかったので、ホテルで朝食をとった後、街をブラつくことにした。
 夏の日曜日。平日でも静かな広場は、いつもにまして閑散としている。
 歩いていくと、電車の軌道の傍らに、背を丸くかがめた等身大の人形が立っている。少し先にすすむと、また二体据えられている。
 オーストリア第二の都市とはいえ、グラーツの人口はわずか25万人である。枯木も山のにぎわい、人形も街のにぎわいである。いや、もしかすると停車位置を示す標示かもしれない。

 地図に頼って「武器庫」を訪ね歩いたが、見つからない。
 通りすがりの人に教えられて、ようやく見つけた。
 “Zeughaus”は、正確には“Landeszeughaus”であるらしい。
 入場料は25オーストリア・シリング、300円ほど。
 二階、三階の各階に小銃、短銃、槍、サーベル、鎧(装甲)、兜、鎖帷子、盾がぎっしりと並んでいる。放り込まれている、といったほうが近い。展示用に陳列されているのではない。単に置かれているのである。建物の名のとおり、倉庫なのだ。美術館でも博物館でもない。
 その数に圧倒される。じっくり鑑賞する気持ちにはとうていなれない。
 ニ階には大砲、五階には完全装備、重武装の騎士像。盾や鎧には、銃弾あるいは剣の跡らしいへこみが随所に見つかる。いくたびかの戦さで血を吸ったにちがいない刃の鈍い光。足音で舞い上がる埃。そして、かすかにのこる匂い。写真や映画では感じとれない、血と汗の匂いがする。

 ふと見やると、二十歳前後の女学生らしきがいたずらっぽい目つきで、こっちへ来い、と手招きをしている。若いころの黒木瞳のような、清楚な美貌の持ち主である。
 何ごとであろうか。
 近寄ると、兜をさして、かぶれ、という。
 かぶった。
 ウッ、重い。
 正直に感想をつげる。
 彼女、うなずいて解説する。
 「このヘルメットは3kgである。甲冑が6~10kg、防具のズボンが5kg、などなど合計30kgである」
 ちなみに、小銃は、6~10kg(最大15kg)であるよし。
 さらに、「15世紀の人々はたいへん小さかった、160cmくらい」と説明が加わる。
 こちらも、「19世紀まで、日本人も似たようなものであった。私の顎くらい」と対抗する。
 「私はまた日本にかんする映画を見た。それはたいへん興味深いものであった」と彼女。

 「ところで、きみの名は?」
 「ロマーナ」と彼女は答えた。
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書評:『キブツ その素顔 -大地に帰ったユダヤ人の記録-』

2010年05月02日 | ノンフィクション


 キブツとはなにか。本書によれば、ほぼつぎのとおりである。
 ヘブライ語で「集団・集合」を意味するキブツは、1910年、ガリラヤ湖の湖畔に建設されたデガニア・キブツを嚆矢とする。「人類史上唯一失敗しなかった実験」(マルティン・ブーバー)は、本書刊行当時約280箇所で実施されていた。その住民は合計13万人前後。イスラエル人口の3%を占めるにすぎないが、イスラエルの農業生産の40%、輸出向け工場製品の約8%を生産した。
 キブツは、集団による生産、労働、所有、サービス、消費を原則とし、共同保育、直接民主制を採用する。労働価値、男女平等、終身社会保障を旨とし、貧富の差はない。
 設備は、一般的には中央に食堂、集会場、事務所、図書館など共同の施設や居住区、庭があり、その周囲に教育施設やスポーツ施設が設置され、これらの外側を農場や工場がとりまく。
 キブツ人口はさまざまで、小は50人から大は2千人まで。平均して数百人というところ。
 各キブツは独立した自治体だが、全国的な連合を組織して、事業や活動を調整しあう。最大の連合は、キブツの約6割が属するユナイティッド・キブツ・ムーヴメント(タカム、TAKAM)であり、3割強が属するキブツ・アルツィ連合がこれにつぐ。

 本書は、心理学者である著者がキブツ・マコムの住民40人にインタビューした聞き書きである。初期、分裂期、50年後のそれぞれについて証言があり、原著刊行の1981年現在を著者が総括的する。
 本書は心理学的アプローチによる事例研究である。キブツという共同体ではなく、個々のユダヤ人を対象とする。ただし、いずれもキブツを共通の土俵とする発言だから、自ずからさまざまなキブツ観が披露される。
 ちなみに、キブツ・マコムは、エズレル平原の東部、ガリラヤ湖の南西に位置する。人口約1,200人の比較的大きなキブツで、独立前に開設された。

 共同体は、人格を画一化しない。
 個性的な人々が第12章に集中して紹介される。たとえば、モザイク絵に自己表現の手段を見出した農民アシェル、フルタイムの物書きイラン、電気装置研究家オフェルがそれだ。
 さほど個性的でなく、一見平々凡々たる生活に徹する者にも個性が見られる。たとえば、マコム創設期の17人のうち今もマコムに住む唯一の人ユダ。彼は、創設期を回想していう。・・・・親や親族からの援助を受けることなく、最初は農場などに仕事を見つけて労働に従事した。後に、古いキブツの移転にともない、テントや木造の食堂のある跡地に移った。激しい肉体労働、厳しい冬、全員がマラリアに罹患した時もある。だが、みな充実していて陽気で、「生き生きとしていた」。
 そして、50年間キブツで働いた体験(70歳に近い今も資料室で日に5時間労働する)からする哲学を披露する。・・・・キブツ外部から労働者を雇うべきではない。「キブツの根本理念の一つは、農業でも工業でも肉体を動かして初めて労働と言えるものだった。これはかつての流浪時代のユダヤ人の抱えていた問題に対する解決法じゃないですか。(中略)キブツが雇用主になるなんて、思っただけでぞっとしないかい?」
 要するに、キブツは人生哲学であって、一つの生き方だ、とユダはいう。

 キブツ的人生哲学の背後に、確固たるキブツ観がある。
 たとえば、1940年代から1950年代、キブツ連合で大分裂が起きたときにマコムへ移動してきたオーラのそれ。・・・・マコムでは仕事や経済的な目標より、労働者でいることや地に足をつけることを踏まえた人間観を育ててきた、とオーラはいう。「“個人に対して最大限の思いやりをする”--これがマコムの生き方の基本なんです」
 道で行き交うたびに挨拶をかわわすのがその一例だ。オーラの出身地モラッドでは、すれちがっても無言でとおりすぎるのが常なのであった。

 共同体なるがゆえに可能な実験がある。
 たとえば、母子分離の集団保育がそれだ。おそらくロシアから直輸入した保育理論を採用したのだろう、と思う。集団保育は、初期において厳格なほど徹底していた。しかし、親子同衾を主張する人もいて、少なくとも幾組かの家族には是認されたらしい。

 肯定的なキブツ観ばかりではない。共同生活の負の側面を指摘する人もいる。
 たとえば、マコムのゼネラル・セクレタリー(村長)のノアムはいう。キブツではメンバー同士の深い心の交流に欠ける、と。多忙なせいもあるが、キブツの外には親友がいるのだから、真の理由は時間不足ではない。
 マコムは各種委員会や生産部等が有効に機能しているが、運営にあたる「有能な人」は微々たるもので、「ほとんどの人がただの人」だ、とノアムは嘆く。必然的に少数の人に多くの役職が集中し、しかもなかなか交替させてもらえない。そして、メンバーは受け身の傾向を強め、自発的リーダーシップをとる人がいなくなってしまうのだ。
 このあたり、わが日本でも自治会やPTAなどの集団活動において、対岸の火事ではない。

 共同体は一枚岩ではない。葛藤も生じる。
 多くのキブツで、そしてマコムでも、独立前後に厳しい論争、感情的なもつれが発生した。
 第二次世界大戦中にユダヤ人に武器と弾薬を支給した最初の国ロシアへ親近感をもつ一派があり(マパム党ほか)、独立前には「広い国境」をめざしていた。これに対して、だんだんと米国寄りに政治的立場を移したベングリオンは、「狭い国境」で独立を宣言した。マコムの当時の指導者はこれを喜ばず、独立を祝おうとするグループと軋轢が生じた。加えて、ベングリオンは国防軍の一元化をはじめ、中央集権化に努めたが、これをボランタリー精神を否定するものと見なして危機感を抱いたキブツが少なくなかった。キブツ連合とベングリオンとの対立があり、キブツ内部でも政治的意見を異にするグループが対立した。これが深刻化して、大分裂となった。

 キブツは、ひとくちでいえば集産主義的共同体である。光には影があるように、キブツにも光の面と影の面がある。
 格差社会のなかで生存権が問われている今日の日本を顧みると、キブツの光の面に注意が向く。しかし、キブツはイスラエルのものであり、日本のものではない。「二人寄れば三つの政党ができる」と揶揄されるほど議論好きなのはユダヤ人であり、日本人ではないのと同様に。
 日本では、日本人に合ったコミュニティを築くしかない。ただ、あるべきコミュニティを築くにあたって、キブツの光の面から摂取できるものは摂取してさしつかえはないはずだ、と思う。

□アミア・リブリッヒ(樋口範子訳)『キブツ その素顔 -大地に帰ったユダヤ人の記録-』(ミルトス、1993)
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書評:『もうひとつの「カサブランカ」』

2010年05月01日 | ミステリー・SF
 映画『カサブランカ』はたくさんの謎をはらんでいる。たとえばイルザの夫ヴィクター・ラズロはリスボンからどこへ向かおうとしていたのか。あるいはリックはなぜ米国へ戻れないのか。
 こうした謎が残ったのは映画製作時の事情がからんでいる。

 本書は、作品としての『カサブランカ』、つまり観客が手にいれることができる唯一の情報に内在する謎にひとつづつ解を与える作業を通じて新たな物語を編みあげる。
 謎のひとつは、チェコの愛国者ラズロのその後だ。彼は、ロンドンで同志と落ち合い、英国諜報部の支援によってラインハルト・ハイドリッヒ暗殺作戦に取り組む。ハイドリッヒは、ヒトラーから自分の後継者と目された切れ者で、当時ナチス国家保安本部長官、ボヘミヤ・モラヴィア保護領総督だった。
 暗殺は史実で、映画『暁の7人』はそのいきさつを描く。
 リックもまたロンドンへ飛び、さらに、白系ロシア人に扮してハイドリッヒの司令部に入りこんだイルザを追って、ラズロとともにプラハへ潜入する。

 謎の別のひとつは、前日譚の形で明かされる。リックの生い立ちから米国脱出までが、後日譚が進行する間奏曲として適宜挿入されるのだ。この前日譚が詳しいから、本書は二つの物語が同時平行で読者の目にふれるしくみだ。

 登場人物はハンフリー・ボガードほか、俳優たちのイメージをそっくり借りている。やたらと煙草をふかす性癖や言いまわし、人間関係も映画の資産を最大限に活かしている。
 本歌取りの手法、伝説の再生である。ただし、断るまでもなく、本書は映画とは別個の作品である。
 冒険小説としては、リックたちのチェコ潜入後が荒削りで物足りなさが残るけれども、映画『カサブランカ』のファンには満足できる出来だと思う。

□マイクル・ウォルシュ(汀一弘訳)『もうひとつの「カサブランカ」』(扶桑社、2002)
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【旅】イスラエル ~ネゲブ砂漠~

2010年05月01日 | □旅
 エルサレムの周辺をとりまく衛星都市を過ぎて南下すると、荒野が広がる。ヨルダン川西岸地区である。1992年当時、ゴラン高原及びガザ地区とともに占領地区であり、私たちのバスの前部には国連の旗がくくりつけられていた。
 しかし、第一次インティファーダは下火になった頃で、運転手の顔には余裕がある。

 岩と土砂ばかりの大地に人影はなく、わずかに枯れた草木が点在するのみ。ごく稀れにベドウィンの羊を追う姿が目にはいる。
 濃い蒼色の空には雲ひとつなく、燃えさかる太陽が苛烈な熱と光を投げかける。乾季には、雨は一滴も降らない。年間降水量はわずかに20センチにすぎない。しかし、雨季には水があふれて鉄砲水となる。今は涸れ川の、その岸は鋭く険しくえぐられて、雨季の水流の激しさをしのばせる。水は蒸発して天にのぼり、あるいは地にもぐって伏流をなす。
 伏流にたっする井戸のひとつが伝アブラハムの井戸で、かたわらに蛇口が数個設置されている。水を口にふくんでみると、粘土の味がする。日本の山が産する水、澄みきったミネラル・ウォーターとはほど遠い、濁った味だ。この味が、古来、砂漠の民をささえつづけてきたのだ。 

 伏流は時として荒野に顔を出して、オアシスとなる。
 湧水のほとりには樹木が生える。大規模なオアシスがあれば町が生まれる。エリコもその一つである。荒野に奇跡のように出現した緑の町。ナツメヤシ、オレンジなどの果実が豊かにみのり、ブーゲンビリアの花が咲き乱れる。海水面下350メートルの、世界でもっとも低地に位置するこの町には、1万年前の遺跡が残っている。

 地から湧く水によるエリコに対して、天から降る水に依拠したのはマサダであった。ヘロデ王の別荘であり、岩山をくりぬいた巨大な水瓶に雨水をためて、飲料水はもとより浴場に使った。

 マサダの頂上から、眼下に青くけぶる湖がみえる。死海である。水は流れ入る一方で、ここから出ていく先はない。蒸発するのみである。
 ネゲブ砂漠のこの湖には魚影がない。ミネラル豊富で人の肌にやさしい湖水は、魚類にもプランクトンにもやさしくない。

 死海にしばし浮遊した身を西へ運び、小さな町に投宿した。旧ソ連とイスラエルとの関係が修復したとき、百万人のロシア系ユダヤ人が移民した。その移民が1970年代に新設した町のひとつが、ここアラッドである。旧約聖書にしばしば登場するベールシェバから40キロメートル・・・・ベールシェバには翌日訪れることになる。
 晩餐のあとで町を散策すると、住民たちは路上で所在なげに涼をとっていた。町に格別の娯楽はないらしい。普段着で民族舞踊を楽しむグループもいて、やはり普段着の町民がそれをとりまくのであった。
 宿でチェックインして部屋へ向うとき、エレベーターから少女が水着姿でとびだしてきた。アンネ・フランクをふっくらとさせたような顔ばせである。一瞬見交わした目に、無碍な笑いがにじむ。アンネが隠れ家で終始感じていたはずの不安は、彼女には一抹も見られない。
 ホテルにはプールが付設されている。部屋から展望するプールにたたえられた水は、青く透きとおって、その背後に広がる荒野と奇妙な対照をなしていた。

 荒野には何もない。かつて隊商が通ったにちがいない白茶けた路があり、枯れた潅木が点在するが、一面岩と砂ばかり。生きとし生けるものは灼きつくされるばかりだが、かえって激しい生への意志が感じられるのはなぜだろうか。
 闇の訪れとととも荒野は変貌する。なだらかな丘陵は乳房のかたちをした影となり、影はエジプトまで連なる。白く輝く月は、あたかも見えない一本の紐で地平線に結びつけられているかのごとく、地平を離れない。大地は頑固に沈黙しているが、月光のなかで何ものかが動きだす。
 夜明けとともに、闇の神秘は溶解していく。陽が昇りゆくにつれ、広大な空が東方から青く塗りたくられてゆく。丘陵の影は薄くなり、赤茶けた素肌をさらしだす。闇のうちに生動していた沈黙は水分を失って、みるみるうちにこわばりゆき、地に這いつくばり、凝固していく。代わって、声なき声がかしましく飛び交いだす。
 ひとたび昇った火の玉は、もはや二度と堕ちることなく、地が崩れ去るまで照りつけるかのように、断固として灼熱を地表へ注ぎつづける。
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