語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【旅】スイス ~モントルー~

2010年05月15日 | □旅
 レマン湖の湖盆は三日月の形で、面積は琵琶湖よりもやや小さめの9割弱である。
 湖の東端、ジュネーブから東へ車を約1時間走らせるとモントルーに到着する。人口2万人足らずの小さな町だが、保養地として知られる。1967年に始まるジャズ・フェスティバルは世界的に名高い。少なくとも宿に置いてあった「リヴィエラ・ニュース」によれば「モントルーはジャズのメッカだ」と鼻息があらい。
 ただし、「町ぐるみのカーニバル」が始まる時には、私たちはモントルーを去っていた。

 日中は町の中心部にあるコングレス・ホールに顔を出し、夕されば散策し、闇の訪れとともにワインの栓を抜く、といった日々だった。
 ワインはこの地、ヴォー州産のものである。ヴォー州はヴァレー州とならんでワインをおおく生産する。ジュネーブからの道中、山の斜面に海のようにうねる葡萄畑をいたるところに見かけた。緑の海に点在する農家は瀟洒で、こうした住居で生涯をすごすことができるなら至福というものではあるまいか。葡萄は陽あたりのよい土地にできる。当然、人間が住まうにも適しているはずだ。

 日本を発つ前、モントルーの近くの山ロシェ・ド・ネ登山をもくろんだが、まとまった時間がとれなくて果たせなかった。
 そのかわりに湖畔を散策した。
 湖岸には散歩道がある。路傍には白赤黄の花々が色鮮やかに咲き乱れる。老人夫婦が仲むつまじく散歩する。哲学的な風貌の髭の青年がジョギングする。
 「スイス人の船長」は形容矛盾としてよく引合に出されるが、実際にいる。湖面を走る船をあやつるのだ。
 湖にはヨットの白い帆の群。水鳥がのどかに浮きつつ沈みつつ、折ふし水面を蹴って飛翔する。

 メイン・ストリートは勾配があるから、疲れたらカフェの道にはりだしたテラスでコーヒーを喫するのだ。さわやかな風が吹きつけてくる。
 2輌連結のトロリー・バスに乗ってもよい。トロリー・バスは鈍重な見かけによらず軽やかに疾駆して乗客を湖を眺めわたせる高みへ連れていく。
 投宿したホテル「ボニファード」は、バス停からさらに坂道を上がってようやくたどり着くから眺望はよい。眼下にはバイロンの詩で知られるション城、湖をへだてて対岸には切り立つ屏風のような山塊。ミネラル・ウォーターを産するエヴィアンの地は対岸にある。そのはるか彼方にはモン・ブランを含むシャモニー地方の山々、白い嶺・・・・。

 自然は光の加減でその表情を変える。ベランダから眺めると、ことに宵には刻々その相貌が変化する。
 夏とはいえ、ヨーロッパの、しかも山国の夜は急速に冷えこむ。閉ざした窓の向こうはまさに大木実の短詩「山の湖」の光景である。

  山の湖に
  昼は山が映っていた
  夜は湖畔の村々の燈火が映った
  燈火は風に揺れながら夜更けにひとつづつ消えていった
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【言葉】自分だけの小さな世界

2010年05月14日 | 小説・戯曲
 自分だけの小さな世界は、たいせつにしなければいけないと思います。同時に、他人にもそういう世界があるのだということを、よく知って、できるだけ、たいせつにしてやらなければいけないでしょう。

【出典】佐藤さとる『だれも知らない小さな国』(講談社文庫、1973)

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書評:『珍姓奇名』

2010年05月13日 | エッセイ
 日本人の名字は、十万種もあるよし。宇宙という名字もあって、気宇壮大だが、いくぶん眉唾的な印象を与えて、命名された者も災難だ。
 本書は、簡単には読めない名字や珍しい名字を3千種も紹介し、併せて珍しい地名もとりあげる。
 3部構成である。第1部では、全国的に多い名字2百傑(1位鈴木、2位佐藤、3位田中)をあげ、さらに地域ごとに多い名字を列挙する。出典は電話帳らしい。ちなみに、旅人の本名は37番目に多い名字である。

 第2部が本書の核をなし、珍姓奇名をこれでもか、というほど枚挙する。
 たとえば数字だけの名字。五六(ふのほり)、九(いちじく)、十(もぎき)、百百(どど)、萬(よろず)、エトセトラ。一二三(ひふみ)一二(かつじ)という姓名の方もいらっしゃる。
 かにかくに判じ物めいた名字がずらりと並んで壮観である。
 四月一日(わたぬき)、八月十五日(なかあき)あたりは説明されると納得いくが、小鳥遊(たかなし)、栗花落(ついり)、月見里(やまなし)となると謎々である。鷹がいないがゆえに安心して小鳥が遊ぶ、よってタカナシ。いっせいに栗の花が落ちると梅雨入りする、よってツイリ。山がないから月見ができる、よってヤマナシ。

 第3部は、珍姓、難姓、奇姓をひたすら列挙する。
 軽く書き流しているから、興味半分で読んでも面白いが、じっと眺めつづけていると、言葉に対するいとおしさみたいなものが湧いてくるから不思議だ。日本の各地で伝統ある地名が地名変更されて次第に消滅していく今日、言霊はかろうじて姓に宿って生き延びているのかもしれない。

□佐久間英『珍姓奇名』(ハヤカワ文庫、1981)
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コメント (2)
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【旅】スイス ~ユングフラウ~

2010年05月13日 | □旅
 インターラーケンは、二つの湖の間を意味する。ブリエンツ湖とトゥーン湖である。
 とある夏の一夕、湖畔で食事をとった。午後7時半をすぎても空には残照が残り、対岸に闇が忍びよっても、湖面はなお蒼く光を残していた。緯度が日本より高いから、日没は日本より遅い。

 この夜、雨が窓辺に滝をなして私たちの気をもませたが、翌朝はやく目覚めると、雲間に青空が見えた。遠くユングフラウ付近には雲が渦巻き、その奥から白い峰が肌をのぞかせている。処女の名にふさわしい。

 ラウターブルンネンで登山鉄道WABに乗りこんだ。クリームと濃緑の車輌である。窓を押し下げると、冷気が車内に流れこむ。シュタウプバッハの滝が目に入る。
 ゴッホの郵便配達夫のように見事な髭の車掌が改札にまわってきた。モタモタとバッグを探し、切符が見つからないというそぶりをした乗客に、山羊髭氏はおどけて、改札鋏で彼女の耳をパンチするそぶりをするのであった。

 電車はどんどん昇りつづける。
 眼下の村が遠ざかっていく。村には廃屋が散在する。木造建築は30年しかもたない。線路ぎわには高山植物、遠方に氷河。古きよき時代の歌「高原列車」のような、振るハンカチに応える牧場の乙女は見あたらない。

 クライデ・シャイデック駅で下車した。乗り換えである。待ち時間に煙草をふかすとめまいがした。空気がうすい。駅の屋根の上に牛が二頭、所在なげに突っ立っている。これはそも何であろうか。
 ここからユングフラウ鉄道となる。クリームと煉瓦色の車輌は上昇をつづけ、白銀の世界を入った。トンネルは長い、ながい。全長7キロあまり。
 車輌に寒気がしのび寄る。私たちはすでにセーターを着こみ、防寒は万全である。

 二か所の駅でそれぞれ5分間停車した。
 最初のアイガーヴァント駅では、岩をくりぬいた大きなガラス窓から下界が展望できる。
 二つ目のアイスメーア駅では、四方はすでに山岳ばかり。

 終点に着いた。ヨッホ駅である。「世界で一番高い駅」と表示にある。暗いトンネルの中だから、ピンとこない。駅員が、模型の時計の針をぐるぐるまわしていた。何となくのどかである。
 ホームを出たところに、日本の古風な赤い円筒形ポストが立っていた。ちゃんと「郵便」と日本語で表示してある。このポストに絵葉書を投函したら、宛先にJapanの一語を記さずとも日本まで届きそうだ。

 エレベータで4層上にあがると、氷の宮殿が待ち受けていた。床も壁も氷である。氷の彫刻が随所に展示されていて、スモウ・レスラーが突きをポーズしていた。日本の国技は世界にとどろいているらしい。当時まだ琴欧洲も把瑠都も登場していなかった。
 「宮殿」の狭い回廊を抜けると、テニス・コート大の展望台(プラトー)に出た。光がまぶしく散乱する一面の銀世界である。前夜、インターラーケンに降った雨は、ユングフラウでは雪となった。私たちが踏むのは、新雪である。
 曇空に騙されてサングラスを宿に置き忘れてきたため、目が痛い。帰国してから私が写っている写真を見ると、目が点になり、行方不明寸前なのであった。

 指呼の先にユングフラウの山頂が見える。槍ケ岳山荘から山頂を見あげるほどの距離感である。しかし、標高3,454mの展望台から登頂すると、槍ケ岳の何倍もの時間を要するにちがいない。振り向けばメンヒの山塊、見おろせばアレッチ氷河。
 雄大の一語に尽きる。

 ロープの柵を乗り越え、ゆったりとなだれる氷河を見おろす。と、手を伸ばせばふれそうな岩角に、一羽の鳥が舞い降りてきた。雷鳥ほどの大きさで羽根が黒く、くちばしが黄色い。キョロキョロと見まわしている。人類を観察しているのであろう。
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【読書余滴】難しくて読めそうもない姓、奇妙な姓

2010年05月12日 | ノンフィクション
 篠崎晃雄『実用 難読奇姓辞典』(日本法令加除出版株式会社)によれば、難読奇姓は12万種類。

 一物(いちもつ)、陰能(いんのう)、金玉(かねたま・きんだま・きんぎょく)、 毛穴(けあな・けな)、毛所(ねんじょ・めんじょ)、禿(はげ・かぶる・かぶろ・かむる・かむろ)、 珍竹林(ちんちくりん)、穴無(あなし)、大面(おおつら)、鳥膚(とりはだ)、黒目(くろめ)、 大耳(だいに)、生首(なまくび)、胃袋(いぶくろ)、腰(こし)、股(また)、助平(すけひら)、 色魔(いろま・しかま)、十六女(いろつき)、十八女(さかり・わかいろ・わかいそ・そやきみ)、 十八娘(ねごろ)、娘々(にゃんにゃん)、愛人(あいと)、浮名(うけな)、新妻(にいづま・にいつま)、白肌(しらはだ)、男女重(おめしげ)、薄衣(うすぎ・うすぎぬ)、男心(なじみ)、交楽(まずら)、百姓(ひゃくしょう・ひゃくせい)、左官(さかん・さがた)、子守(こもり)、先生(せんじょう・せんぶ)、豆腐(とうふ)、芋(いくも)、黒豆(くろまめ)、番茶(ばんちゃ)、素麺(そうめん)、我慢(がまん)、下駄(げた・しもだ)、小包(こづつみ・ことずみ)、盗品(?:現在は廃姓)、青空(あおぞら)、無名(むみょう)、老後(ろうご)、娑婆(さば・さま・さわ)、悪霊(あくりょう)、冥途(めいど)、達磨(たつま)、仁王(におう)、釈迦如来(しゃかにょらい)、原子(はらこ)、爆弾(?:現在は廃姓)、物理(もとろい・もどろい)、牛久十(うしくそ)、春夏秋冬(ひととせ)、留置(とめおき)、骨皮(ほねかわ)、猿股(さるまた)、腹帯(はらおび・はらたい)、黒股(くろと・くまた・すのまた)、珍宝(ちんぽう)、亀頭(きとう・かめがしら)、乙立(おつたち・おとたち・おとたて)、鼻毛(はなげ)、毛剃(けぞり)、女遊部(おなつべい)、女郎(じょろう)、生理(いくり)、魚屋(ととや・なや)、八百屋(やおや)、大工(だいく・おおえ・おおく・だいこう)、日当(にっとう)、稼(かせぎ)、汗(ふざかし)、酒場(さかば)、幹事(かんじ)、食堂(しょくどう)、立喰(たちばみ)、接待(せったい・せつまち)、出納(すいとう・すいのう・でのう・てんのう)、宝船(ほうせん)、阿片(あがた)、鉄砲(てっぽう)、刑部(ぎょうぶ・おさかべ)、冷飯(れいはん)、年増(とします)、立膝(たちひざ)、平和(ひらわ)、本望(ほんもう)、無学(むがく)、博士(はかせ)、物干(もざき)、入道(にゅうどう)、子宝(こだから)・・・・。

【参考】夏目房之助+週刊朝日『夏目房之助の学問』(朝日新聞社、1987)
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書評:『加藤周一自選集8 1987-1993』

2010年05月11日 | ●加藤周一
 「自選集」全10巻は、主題別の『加藤周一著作集』全24巻(平凡社)と異なり、発表年代順に編集されている。
 時代(の一部)を共有する作家の作品を発表年代順を読む楽しみは、ことに加藤周一のように文学のみならず政治や社会の動きに敏感な作家のそれを読む楽しみは、単に自分が生きた時代を回顧する作業を超えて、自分が生きた時代に加える別の解釈・・・・自分よりも深く、より広い解釈に出会う点にある。それは、自分の過去を再構成する作業に等しい。この楽しみは、自分が出会った芸術作品についてもいえるだろう。
 たとえば、本書の冒頭におかれた「『中村稔詩集』の余白に」。

 これは、1944年から1987年までの詩業をおさめる『中村稔詩集』(私家版、1987)【注】の読後感で、加藤は「一つの魂の戦後史である」と評する。かけ換えのない大切なものだけをうたってきた、と。そして詩の数行を引き、「これは私の同時代の歌である」と共感する。海辺の風景にはじまり、都会のビルの谷間に終わるこの詩集は、うたわれた素材も詩人の思いも、ほとんどを加藤が共有できるものだったらしい。
 本書には「海」と「ビル」が交互にあらわれるが、一方は他方を呑みこまないし、一方は他方に還元されない、と加藤はいう。詩人はビルの谷間で、つまり歴史的時間と社会的空間のなかで生き、かつ詩人は歴史的社会的に条件づけられる。人は「世界」の中の存在であり、「世界」は意識を超越する。・・・・そう断じたうえで、しかし逆に、と加藤はいう。「意識もまた世界に超越する。一個の具体的な生命の、個別性と一回性、『人ひとりの心の奥に 一杯の湧き立つ海』は、いわば世界の時空間に対して垂直な次元に、展開し、決して世界に包みこまれない」

 つまり、一方に条件づけれらた人間という存在があり(弁護士という中村稔の職業は多々の「条件」を意識せざるを得なかっただろう)、他方に条件の特殊性を超えようとする意思がある(「人ひとりの心の奥に 一杯の湧き立つ海」)。
 この「意思」は、病弱なため旅する余力がなく、追分の村で野草の写生にいそしんだ晩年の福永武彦にも見いだされる。
 「苛酷な条件のもとで、最後に残るのは、デカルトの『自由』である。なぜなら目標の実現は自由でなくても、目標の形成は自由であり得るからだ。人は世界をその目標との関連において意味づける。したがって目標の形成において自由だということは、世界の意味づけにおいて自由だということであろう。環境を変えることはできないが、環境の意味を変えることはできる。世界を変えるよりも、自分自身を変えよ。しかし自分自身を変えるのは、当人の意志の問題である。/福永には目標と意志があった。あるいは実現し得ない目標があったから、抜き難い意志があったというべきだろう。追分村から出ることのできなかった彼は、その環境の意味を変えた」(「福永武彦の『百花譜』」、「自選集」第6巻所収)。

 人間の歴史的社会的条件を説く者は数多くいるが、条件の特殊性を超えようとする意思を説く者はそう多くない。多くない一人が加藤周一である。
 そして、死せる孔明は生ける仲達を走らせ、死せる加藤周一は「苛酷な条件」のもとにある者を鼓舞する。

 【注】私家版は150部刊行され、中村の知友に配布された。後に、『中村稔詩集 1944-1986』(青土社、1988)として広く入手が可能になった。

□『加藤周一自選集8 1987-1993』(岩波書店、2010)
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【読書余滴】会社の怪談、深夜の悲鳴

2010年05月10日 | ノンフィクション
 東京都世田谷区在住、さるメーカーの営業職、26歳のH恵さん(26)はがんばり屋。毎日夜遅くまで得意先をまわっていた。しかし、絶対に夜の会社に一人きりで残らないようにしていた。
 というのは、この会社、自社ビルに幽霊話が絶えないのであった。無人のはずのフロアで話し声が聞こえたり、机やイスが急にガタガタ揺れたり。夜中に残業していた社員が視線を感じ、天井を見上げると、フロアをへだてる衝立の上に女性の顔があって、ダラリと両腕をたらして見下ろしていたり。過去なんどもお祓いをしてもらい、常に数カ所に塩が盛られていた。
 ある日、出張先から自宅に帰る途中で、H恵さんは気づいた。書類を会社に忘れていた、どうしても今日中に片づけなければならない書類を・・・・。
 午後11時を過ぎていたが、残業している人がいることを祈りつつビルのなかに入った。
 フロアの電気は消えていた。
 H恵さんは、まず電気をつけた。書類は見つかった。早く外に出よう・・・・そのとき、奥の部屋からボソボソ話し声がするではないか。
 H恵さんは凍りついた。足が動かなくなった。
 声はだんだん大きくなり、
 「へぇ、OLなんだ」
 不気味な男の声だった。
 「じゃあ、けっこう遊んでいるんでしょう・・・・ふふふふふ」
 たまらず、H恵さんは叫んだ。
 「ギャー!」
 すると、奥の部屋からも悲鳴が聞こえた。
 「ギャー!」
 飛び出してきたのは上司の男性であった。
 社の電話でテレクラにかけていたのである。

【参考】週刊朝日編『デキゴトロジー 愛のRED CARD』(朝日新聞文庫、1996)
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書評:『桑原武夫 -その文学と未来構想-』

2010年05月10日 | 批評・思想
 桑原武夫の7回忌に、後輩や弟子が集って講演および対談を行った。
 その記録に、御大のエッセイ2編と講演録1本を加えたものが本書である。

 開会挨拶は河野健二、閉会挨拶は上山春平、司会は樋口謹一および多田道太郎という錚々たる陣容だ。
 講演で、たとえば山田稔は、文章の極意を学んだ、という。「容易に翻訳するな。それよりもすぐれた要約を簡潔明瞭な文章で書く練習をせよ」
 あるいは鶴見俊輔はいう。「対立するものを畏れないというのが桑原先生の学風ですね」

 このほか、杉本秀太郎、松田道雄、水上勉、岩坪五郎および高橋千鶴子の7人が、持ち時間25分間で各自にとっての桑原武夫を伝える。
 対談は、梅棹忠夫と梅原猛の梅梅対談だ。当時の勤務地、国際日本文化研究センターを会場としたせいか、あるいは後輩のせいか、梅原はホスト的受容的な発言になって、いつもの奇想が不発、やや物足りない。が、梅棹は常とかわらず、ズバリという。「非常にバランス感覚の優れた方」、非常に鋭い観察眼と判断、「人物鑑定は第一級ですな」、相手をとっちめるような「包囲殲滅戦をやるな」(と諭されて以来自分は人間が穏やかになった)、プラグマティックな忠告、「平明にして論理的な文章を書く指導を徹底的に受けております」、そして卓抜な組織運営術。この運営術、桑原武夫のリーダーシップによって、京大人文研の共同研究は多大な成果をあげた、うんぬん。

 桑原武夫が主導した共同研究は、ルソー研究、フランス百科全書の研究、フランス革命の研究、ブルジョア革命の比較研究、中江兆民の研究、文学理論の研究の6件である。専門分野を異にする延べ110人の研究者が参加した。
 共同研究は、本書に収録の退官記念講演の主題をなす。1968年のこの講演で語られる学際的研究の要諦は、今なお有効だ、と思う。

□杉本秀太郎・編『桑原武夫 -その文学と未来構想-』(淡交社、1996)
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書評:『ふるほん文庫やさんの奇跡』

2010年05月09日 | ノンフィクション
 もうからない、とされる業界の常識にさからって、文庫専門の古本屋を開業した谷口雅男の自伝的事業報告。
 採算ベースにもちこむために、あの手この手の販売戦略を編みだした。
 最初は11万冊、やがて40万冊の品揃え。通信販売(後にインターネットにも参入する)。チケットを1冊買えばもう1冊おまけする添付販売。日本語に飢えている海外の日本人への出荷。ミニ店舗、つまりJRの駅や病院やコンビニにおける委託販売。

 谷口は凝り性である。
 メナード化粧品のセールスマン時代には「一軒残らず飛び込み販売を繰り返し、一つの街を完全制覇する事を生き甲斐とした」。27歳で販売日本一になり、独立する。
 好事魔多し。メーカーの倒産で連鎖倒産する。離婚。
 再出発、再婚、そしてまた倒産、離婚。
 パチンコ店従業員となり、午前8時から午後12時まで「フル通し」を完璧にやり、まもなく店長となって腕をふるう。だが、胃潰瘍が発症した。

 塞翁が馬。入院中に、凝り性ぶりを発揮して『新潮文庫の100冊』を読破して、文庫専門店を構想する。
 ときに、谷口、42歳。
 パチンコ店の平従業員として再就職後、同僚との付き合いをいっさい絶って、1日1冊の読破を誓う。食費はわずか1日240円。7年4か月後、1,500万円の資金を貯め、半分を文庫本の仕入れに使った。

 平成6年、愛知県三河豊田駅前に開店。
 ここでも凝り性ぶりを発揮して、文字どおり寝食を忘れて事業にうちこんだ。
 平成8年、再々婚にともなって北九州市へ店舗を移すが、プロポーズも畸人の面目躍如である。相手の顔も齢もろくに知らないまま、1時間電話で話をかわしただけで翌日には速達で申し込んだのである。
 決断の速さも、事業成功の要素にちがいない。

 株式会社「ふるほん文庫やさん」でリサイクル事業と文化事業をむすびつけ、文化事業を財団法人「としょかん文庫やさん」で展開させた。「愚行も徹底すれば偉大にいたる」(ショーペンハウエル)を地でいく人生である。

 本日ホームページにアクセスしたら、本社は広島県三原市久井町羽倉1455-1に移転していた。「タニグチマサオの週間寸記(毎週火曜日発表)」は健在。
 とにかく忙しい人である。

□谷口雅男『ふるほん文庫やさんの奇跡』(ダイヤモンド社、1998)
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書評:『スケーターワルツ』

2010年05月08日 | ●加賀乙彦


 主人公町井美也子は京都出身、東京の大学で心理学を学ぶ女学生だ。幼児期からスケートになじみ、大学の部活とPクラブで練習に励む。
 身長158センチ、体重48キロ、ジャンプがいまいちの体を脂肪の塊、豚、鉛、とコーチに罵られ、絶食すること10日、体重を37.5キロに減らした。
 東日本選手権大会で、Pクラブのエース曾根岡チコが試合中に骨折。結果として優勝したため、チコの取り巻きからいじめに合う。ますます痩せ細る。
 アノレキシア・ネルヴォーザ(神経性食思不振症)と診断された。体重が27キロになり、強制的に入院させられた。点滴、鼻腔栄養、体重増加。

 退院してPクラブに戻ると、ロッカーはこじ開けられていて、スケート靴はガタガタに加工され、コスチュームは赤や緑のスプレーで汚されていた。
 美也子はスケート仲間のフランス人少年ジルベールの勧めで、いっしょにOクラブに移った。このクラブの玉木コーチは、Pクラブの板東コーチと正反対に、最小限の助言しか与えない。手取り足取りの過保護な方法は選手の自主性と研究心を奪ってしまう、という方針なのだ。体重についても口だしせず、ジャンプは脚でするものだから脚を鍛えるのが先決だ、と助言する。美也子の体重は37キロで安定した。

 心理学科の先輩、やたらと本を読み、食欲旺盛で太りじしの長坂夏彦から求愛されていたが、退院直後はスケート部の先輩、有田務と同棲する。有田は美也子の手料理を好み、就職して以来、ぶくぶくと太った。
 長いブランクの後、3年生に進学した5月末、大学へ戻って講義を受ける気になった。まず受講したのが精神医学。たまたま神経性食思不振症が講義された。自分の過去を顧み、「それにしても悔やまれるのは、あの口髭医者がただの一度もわたしに神経性食思不振症の診断と症状解説をしてくれなかったことだ」

 美也子は有田務に別れを告げ、常変わらず見守ってくれていた長坂夏彦の胸に飛び込む。「“愛する”とはどういうことか、やっと了解し始めたようだ。そう、“了解”したのだ。了解心理学の用語の了解とは、頭で考えたり、理論をこねまわしたり、知識をひらけかしたりするのと全く逆の作用だ。人は、心の奥底から一気に了解する。暖かい心が、理論という氷を融かし知識を水没させると、了解という風が吹き渡る」
 スケートに専念する美也子は夏彦と滅多に会わなかったが、「自然に任せ」ることを二人は確認しあった。

 借り物と玉木コーチに断じられた「火の鳥」を捨てて自分に合う曲を選びだした美也子は、全日本選手権大会で優勝した。
 しかし、その場で、世界選手権には出ない、と宣言する。自分に何をしてくれたわけでもない日本の代表になるのは嫌だ、と。玉木コーチも母親も嘆くが、「何かが決定的に終わった」
 美也子と夏彦は、心中しよう、と語り合う。この世の名残りにリンクで滑ってダンスをした。
 薬を飲みますか、という夏彦の問いに、「その前にどこかで、何か食べましょう。わたし、猛烈にお腹がすいちゃった」

   *

 三部構成で、第1部及び第3部は三人称だが、焦点は美也子にあてられる。第2部は美也子の一人称で語は進行する。すなわち、第1部及び第3部では美也子にやや距離を置きつつ彼女を取り巻く人々の中の主人公を描き、第2部つまりアノレキシア・ネルヴォーザと診断された時点から、美也子の内面に即して描く。余人には伺えない心理の襞に切りこむと同時に、本人に見えていないものは描かない。
 結末は、、鮮やかだ。美也子と夏彦は、死をひとたび決意しながら、人間の生理、食欲を優先させる。これは、神経性食思不振症が快癒した合図であった。全日本選手権での勝利からくる達成感と、心身ともに相和する恋人の存在が、美也子に精神的安定がもたらされたからだろう。
 食後も二人はやはり死を選ぶ可能性はあるとも読めるが、「浮々と笑」う美也子の口調は、死は不定の未来に伸ばされたのことを暗示している。
 バンクーバー・オリンピックに出場した鈴木明子は摂食障害の病歴で知られるが、刊行年からして、本書のモデルでは、むろん、ない。
 
□加賀乙彦『スケーターワルツ』(筑摩書房、1987)
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【旅】フランス ~モン・ブラン~

2010年05月07日 | □旅
 道中、変化する山容を楽しんでいるうちにシャモニーの町(1,037m)に到着した。いたるところに優雅な山荘が、緑に囲まれて建っている。アルヴ川の北側にはホテルが林立している。この町の人口は1万人程度だが、夏季には3倍にも4倍にもふくらむらしい。
 モン・ブランに初登頂したソシュールとバルマの銅像を横目で見て過ぎる。銅像の指さす先がモン・ブランの山頂である。

 まずは、ロープ・ウェイに乗りこむ。
 60人乗りの鉄の箱がおもむろに動きはじめ、大地を離れた。地を舐めるように這い、急上昇していくにつれて、丘陵から緑がうせて岩肌の灰褐色が、そしてさらに灰褐色から氷雪の白色に変わっていく。町はどんどん小さくなり、掌くらいの大きさになると、盆地を囲む連山が全貌をあらわす。

 中間駅(2,310m)に降りた。寒気が身を包み、もはや半袖の軽装ではしのげない。セーターを着る。
 ナップ・ザックを背負った数人が駅を出て、下界へむかって歩き出す。

 呼吸をととのえたのも束の間、ふたたび鉄の箱の人となる。
 こんどは、刻一刻急速に眺望が開けていく。
 先ほどからキャピキャピ騒いでいた若い女族も鳴りを静め、窓の外に見いっていた。
 沈みゆく尾根に山頂。その向こうの、波うつ山岳が目にはいる。
 ロープ・ウェイは険しい絶壁に近づき、また遠ざかる。

 北の峰ことピトン・ノール(3,777m)の駅に降り立ち、トンネルを歩みだすと、不覚にも体がぐらりと傾いた。希薄な空気に一瞬貧血状態になったらしい。
 展望台に立つや、絶景が目を奪った。見上げれば、エギーユ・デュ・ミディの山頂(3,842m)が指呼の先にある。正面の高みにモン・ブラン(4,807m)の白くたおやかな、ほとんど優雅といってよい稜線が、青空をくぎって輝いている。
 見わたすかぎり、峻険な山また山。
 ノコギリの歯のように連なるシャモニー針峰群、剣のように屹立するベルト針峰。重畳する山なみ。陽を受けて赤く燃える岩屏風のような山塊は、いくたりかのアルピニストが北壁で命を落としたグランド・ジョラスか。そして、足元から下方になだれ落ちるボソン氷河。

 人類が登場する以前の世界である。人間の存在を必要としない自然がそこにある。
 頭をめぐらせば、遥かかなたに、孤影が見える。天をめざして雄壮にそそり立つマッターホルン(4,477m)である。
 雪片が頬をうった。古代から堆積した雪のひとカケラであろう。
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【読書余滴】勝海舟

2010年05月07日 | 歴史
 『海舟余波 -わが読史余滴-』は、咸臨丸船長として渡米した38歳から、明治32年(1899年)77歳で生涯を閉じるまでの半生を追う評伝である。
 江戸城明け渡しに多くの紙数を割く。このとき、海舟の立場は幕府側に立つネゴシエーターであった。抗戦する軍事力は幕府に残っていた。鎧袖一触、江戸は火に包まれるか。仮に無血開城しても慶喜は刑死、徳川家の財産は没収される可能性があった。
 海舟は、英仏をはじめとする列国の圧力を利用して、敵将西郷隆盛を相手に有利に交渉をすすめた。このへんの筆は冴え、海舟の内面に踏みこんで描くから、ほとんど小説を読むがごときである。

 しかし、官軍は、西郷を手玉にとった海舟を信頼しなくなり、その後の政治情勢はおしなべて海舟に不利な方向へ推移した。
 将軍慶喜も、海舟を信頼しなかったらしい。その才能ゆえに、あるいは幕府における人材不足ゆえに登用されたにすぎなかった。江戸城明け渡しの前日、打つべき手を打ったと満足して上野の寛永寺に赴き、ことの次第を報告したとたん、慶喜から面罵された。その後も慶喜は海舟に対して冷ややかだった。

 かかる仕打ちを受けながらも、前将軍と幕臣の生活維持に終始気をくばり続けた。
 その結果、亡くなるまで明治政府内に隠然たる影響力を保ち続けることになる。

 江藤淳は、海舟は幕府と官軍の双方から理解されなかった孤独な政治的人間としてとらえている。そして、海舟のもつ新しい国家観がその孤独を支えていた、という。
 だが、その国家観がいかなるものであったかは、本書では詳述されていない。ために、海舟の行動がいまひとつわかりにくい。
 そのいわゆる新しい国家観は、米国における見聞に着想を得たらしいが、海舟は将軍と幕府に終始忠実だったから、トクヴィルが見た民主主義国家とは別のものだにちがいない。

【参考】江藤淳『海舟余波 -わが読史余滴-』(文藝春秋社、1974。後に文春文庫、1984)
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書評:『魔王の島』

2010年05月07日 | 小説・戯曲
 柘植久慶は、じつに多産な作家だ。その作品が国会図書館に2009年末までに394件納本されている。ちなみに、同様に量産している作家、佐伯泰英でさえ、国会図書館には243件しか納本していない。

 柘植作品の特徴は、文章が明快なことだ。行動を綴るからだ。そして、主人公の行動は果断、考えは断定的で、誤読の余地はない(深読みの余地もない)。
 むかし鶴見俊輔は大藪春彦の文体に賛辞を贈ったが、いまなら柘植久慶の文体を賛嘆するのではあるまいか。柘植久慶には従軍経験があるから、大藪春彦のような武器フェティシズムがなく、この点でも賞賛が増すと思う。

 文章が明快だから、読後感は爽快である。
 ストーリーは類型的だから、現代の混沌たる小説を読むときのように頭を悩ます必要がなく、ますます爽快である。
 柘植作品のどの主人公も精神的にも肉体的にもタフで、戦士として優秀、じじつ戦闘すればかならず勝利するから、爽快にしんにょうが付く。
 かててくわえて、殊にハルキ・ノヴェルズのシリーズでは常に美人がかたわらに侍るから、読者はハードボイルド的主人公に代わって鼻の下を伸ばすことができる。西にジョームズ・ボンドあり、東に柘植久慶(作品の主人公)あり。

 人は誰しも怒り、攻撃的になることがある。
 かの高名な免疫学者、多田富雄さえ、ときの政府による診療報酬改定に直面して怒髪天を衝いた。「なおも君は忿怒佛として/怒らねばならぬ/怒れ 戦え 泣き叫べ」(『わたしのリハビリ闘争』、青土社、2007)。

 ましてや多田ほど紳士ではない私たちなら、怒りくるう事態にいくたびも直面する。
 ただ、怒りをもろにぶつけても、あまり好ましい結果は生まれないものだ(モラリスト的考察)。
 こうしたとき、柘植作品を読めば降圧剤の効果を得られる。主人公が自分に代わって悪党を成敗してくれるからである。

 さて、本書。
 柘植久慶には、『獅子たる一日を』(飛鳥新社、1988)や『獅子たちの時代』(集英社,、1990)のような佳作があるのだが、本書はあくまでハルキ・ノヴェルズの書き下ろしシリーズの一冊である。著者は、四月一日(わたぬき)とか鬼(きさらぎ)とかいった妙な、しかし実在する姓の主人公を登場させ、遊んでいる。読者は著者の遊びにとことん付き合い、登場人物とともにゲームするしかない。
 そう、ハルキ・ノヴェルズの柘植作品はいずれもゲームである。本書の場合、無人島サヴァバルの要素もあるので、降圧剤的効果は倍増する。

□柘植久慶『魔王の島』(角川春樹事務所、2010)
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【言葉】小泉改革、診療報酬改定

2010年05月06日 | 医療・保健・福祉・介護
 鶴見和子さんは1995年12月24日に脳出血で倒れました。左半身の運動能力は失われたが、言語能力と認識能力は完全に残された。一年も過ぎた1997年に、日本のリハビリの草分け、東大元教授上田敏氏に出会い、茨城県にあったリハビリ病院で、上田氏の主張する「目的志向型のリハビリ」の訓練に精を出しました。一言で言えば、一人ひとりの患者の自己決定権に基づいて行うオーダーメイドのリハビリです。
 この療法のおかげで、1997年には適当な補助具を使えば、何十メートルか歩けるようになったのです。(中略)
 それが2002年に床に転倒して大腿骨を骨折し手術を受けたために、歩くのが無理になっても、月二回派遣されてくる理学療法士について、リハビリの訓練をたゆまず続けました。
 ところが今まで月二回理学療法士を派遣していた二つの整形外科病院から、突然制度がかわり、あと三ヶ月だけは、月一回は派遣できるが、その後は打ち切りになると宣言されました。後は自主トレーニングに励んでくださいといってきたのです。ついでに、これは小泉さんの政策ですと告げられたといいます。
 それから三ヶ月もたたないうちに、それまでベッドから楽に起き上がって、車椅子に移動できたのに、急に背中が痛くなって起き上がるのが困難となったのです、そして日増しに痛みは強くなり日常生活が不自由になりました。(中略)
 彼女は大腸癌でまもなく亡くなりましたが、その前にリハビリを打ち切られ、とうとう起き上がれなくなった現実が深く影を落としています。直接の死因は癌でも、間接的にはリハビリ打ち切りがこの碩学を殺したのです。
 彼女も生前しきりに「小泉に殺される」といっていたそうです。

【出典】多田富雄『わたしのリハビリ闘争』(青土社、2007)
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【大岡昇平ノート】『愛について』

2010年05月06日 | ●大岡昇平
 本書は、風俗としての愛の諸相を描く連作小説である。
 愛はもっぱら男女の恋愛だが、家庭をもった夫婦の愛情も勿論あるし、親が子に子が親に対する愛がある。恋愛まで展開しない友情があり、アイドルへの憧れがあり、年上の同性に対する慕情がある。不倫もあれば、火遊びもあり、ありとあらゆる愛がすくいとられていて、無いのは人類愛くらいだ。昇天してなお愛に悶える魂魄を描く、SF的な一章さえある(第九章「地球光」)。
 本書で記される愛は、いずれも不安定だ。相互に愛し合う堅固な夫婦関係のように見えて、いや、たしかに愛し合ってはいるのだが、妻が夫に隠していた過去があって、それが亡霊のように甦ることで新たな秘密が生まれ、結果として二人が引き裂かれるケースもある。

 再三登場し、全体の主人公の位置をしめる織部春夫は、二つの愛を経験する。路傍で話しかけられたのをきっかけに結婚し、2年間、幸福を味わう。これが第一の愛。その妻を交通事故で失い、亡妻の面影を求めて別の少女と出会って、同棲する。これが第二の愛。
 妻には過去があって、その過去は別の物語をなす。
 少女には最初の男がいて、これまた別の物語が展開する。少女も交通事故に合うが、命は助かる。しかし・・・・。

 小説の至るところで、愛についての考察が入る。
 たとえば、「ロミオとジュリエットの悲劇は、突然知った恋の情熱に、若い恋人達が適応を誤った例といわれる。/二人がかいま見たのはまさしく人生を美しく楽しく、生きるに値するものとする感情だった。しかし二人はあまりに若く、ものを知らなかったので、モンタギュ、カピュレット両家の争いという現実を前にして、どうしてその恋を実現してよいかわからなかった。二人は、自分の恋を実現するために、何の努力もしなかった。/悲劇の本質は、主人公が何事かをなし遂げようとし、神や運命にはばまれて、破滅するところにあるとすれば、『ロミオとジュリエット』は悲劇とはいえない」
 著者の愛したスタンダールによれば、小説のなかに政治をもちこむのは音楽会で発砲するようなものだが、小説の中に批評が挿入されるのも似たようなものではあるまいか。ただし、スタンダールはかく言うものの、平然と政治を持ちこんでいるし、『愛について』の作者もまた批評は小説の一部と心得ているらしい。

 毎日出版文化賞、新潮社文学賞 を受賞した『花影』では、磨きあげた文体でヒロインの死にいたるまでの緊迫した刻々を謳いあげた。しかし、その後大岡昇平の文体は変わった。どうやらモデル問題でいろいろ言われて嫌気がさしたらしい。
 『野火』にせよ『武蔵野夫人』にせよ、初期の作品では作者は、いわば登場人物とともに作品のなかを生きていた。だから、ストーリーがどう展開するのか、作者自身にも予想がつかない、とでもいうべき緊張感が全編に漲っていた。しかし、『花影』以後、作者は作品の外側に位置し、初期作品のようには作品のなかに没入しない。構成は安定するのだが、作品は小粒になった印象をぬぐいがたい。作者の厳格なコントロール下におかれた登場人物は、しばしばあやつり人形のように動き、なまじ作者が先を見とおし過ぎているため意外性を欠いた。
 作者が作品のなかを生きるような作品の再登場は、『レイテ戦記』を待たねばならなかった。「死んだ兵士たちに」とエピグラフにあるとおり、作者は全身全霊を作品のなかに沈め、死者とともに作品のなかを生きた。歴史だから結末は明かなのだが、資料を発掘し、読みこみ、事実を再構成する過程で、作者自身予想のつかなかった世界が展開した。そして、『レイテ戦記』は空前の傑作となった。 

 本書は、『花影』以後の風俗小説のうちで、もっとも充実した作品だ。やはり作者は作品の外に身を置いているし、登場人物はチェスの駒のような動きをするのだが、それぞれの存在感を発揮している。これは、『レイテ戦記』とほぼ同時期に刊行されたことと無関係ではない、と思う。
 『愛について』は1970年刊、『レイテ戦記』は1971年刊だが、前者の後者に対する関係は、『武蔵野夫人』の『野火』に対する関係とおなじではなかろうか。『武蔵野夫人』は『野火』と前後交錯して書かれ、『野火』のモチーフが一部こちらで使用されている(『大岡昇平集』第3巻の「作者の言葉」、岩波書店、1982)。
 本書は、平和ニッポンを舞台とし、戦争はちっとも登場しないが、登場人物の市民的幸福はもろく、その愛は死と隣合せである。『レイテ戦記』の兵士たちの生と死に呼応している、と思う。

□大岡昇平『愛について』(新潮文庫、1973)
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