ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2020-30 続 小さな写真展から

2020年02月17日 | 日記
「焼き場の少年」では
火葬の順番をまっていた少年だが
背負っていた弟の小さな亡骸を灰の上において
その方には目を向けずに終わるまで直立不動でたっていたという。
その姿に、切なくてとても声をかけられなかったと写真家のコメントだった。

被爆した谷口さんの「焼けただれた背中」は平和を願う人ならば
だれもが目にしたことがあると思う写真だ。
当時14歳の谷口さん。コメントにはえやうじがたかっていてあまりに気の毒で
はえを追い払い、うじをとってから撮影したという。
あまりの痛さにそのとき谷口少年は気を失っていたらしい。
カメラマンは気を失っていたことにそれはそれでせめてもの痛さを感じずよかったと。
その悲惨な現場にこれ以上犠牲者をとりたくないと思ったとの記していた。
谷口さんはその後48年ぶりにこのカメラマンと再会していた。

「箱車の子ども」は小さな3人の子ども達
その中の年長の子にリンゴを1個あげたら
よっぽど空腹なのか、たかってきたハエを追い払おうともせずにむしゃぶりついて
口にはえが、その後、兄弟達に順々に食べさていたという写真だ。

おさな子達が赤ん坊をせおっている写真。
終戦直後、大人達や兄弟達は修復工事などにかり出され、子守はおさな子達。
あそびたい盛りの子ども達が幼い子どもの面倒をみている写真もあった。

厚着をしている老人。やけどの治療待ちで薬といってもマーキュロを塗るぐらい。
自己防衛として、太陽の直射日光に皮膚をあてないようにそまつな服を何枚も合わせ着している。

偽の大砲 全国各地で見かけたという。
大砲に似せて電柱を仕掛けて穴に埋め込んでいたりして偽装。まともな大砲は見たことがなかったと証言している。原爆を投下した日本の兵力を見誤ったのではないかとのコメント。原爆を投下しなくても・・・。
一人の老人。
原爆被災した中をたたずむ身なりのしっかりした一人の老人に出会ったという。
その人はアメリカから日本に戻ったと。肉親が犠牲になったと。
当時23歳の若きカメラマンに
この光景をしっかりと写真に納め後生に伝えてほしいと語ったという。
原爆をおとしたアメリカ、憎いとは言わないが悲しく決して忘れることはできないと。・・・








コメント
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