今日は4週間ぶりの皮膚科診察の日。15分ほど待って中待合に入り、ほどなく診察室へ。右足の親指の爪は大分伸びてきた。このまま切らずに今までどおりの薬を塗ってよいとのこと。先日、左足の薬指と小指の爪がまたはがれたけれど、今回は痛みもなく、下に綺麗な爪があったことをとりあえずご報告。また、タキソテールの副作用ということではないが、手指の先が割れたり切れたりするのが気になること、いまだに鼻毛が伸びていないせいだと思うのだが、鼻をかんだり触れたりすることが多いので鼻孔縁がよく切れて痛いこともご相談した。軟膏を2種類出して頂いた。
それから内科へ。今日はなかなか中待合へのランプがつかなかった。診察室に入り、寒さのせいなのか手指のこわばりが気になること(握力は最近測っていないけれど、かなり弱くなっている気がする。先日は指が滑ってガラスのコップを見事に割ってしまった。)、傷口が痛むことをご報告。「痛みの場所が変わっているわけではないすね。」と先生から。「はい。」とお答えした。
処置室も混んでいるのかと案じたが、診察室を出て処置室に移動すると、点滴椅子は珍しくよりどりみどりだった。小一時間ほどして点滴開始。順調に終了。先週も持参していたのに先生にお渡しするのを忘れていた婦人科検診の結果報告書を帰りに看護師さんに預けてきた。若い頃は記憶力が売りだったのに、最近哀しいくらい物忘れが酷くて、実に情けない。
帰りに薬局で薬を受け取り、遅い昼食を取って帰宅したが、途中乗換駅で電車が止まっており、やむなくまたお茶をして時間つぶし。
そんなわけで今日は4冊読めた。病院の処置室の本棚からも1冊お借りしておいてよかった。
1冊目は酒井順子さんの「少子」(講談社文庫)。痛快なまでの本音のオンパレード。(子どもは)別に欲しくないし、痛いし、今の生活変えたくないし、面倒くさい・・・などなど。それでもこの気持ち、わかる!と一気読みした。
2冊目は斎藤茂太さんの「『心の掃除』の上手い人、下手な人」(集英社文庫)。前向きな自分を取り戻すコツ、ポジティブ人生の達人茂太先生のハート・クリーニングという裏表紙にあるとおり、たくさん元気を頂いた。「~しなくてはいけない」「~しなきゃだめだ」「なぜ、私が思うように、みんなはやらないんだ!!」そんなふうに思ってストレスをためるのは本当に馬鹿なことだったなんだ、と今更のように反省。
3冊目は土屋賢二さんの「紅茶を注文する方法」(文春文庫)。表題のエッセイも含む週刊文春に連載したエッセイ集。薬局待ちの間、あまりにおかしくて一人で噴出しそうになって困った。先日の映画ではないけれど、土屋先生も「恐妻家」だけれど本当は「愛妻家」なんだな、としみじみ。
4冊目は和田アキ子さんの「おとなの叱り方」(PHP新書)。最近みんながちゃんと叱らなくなっている、とは思っていた。誰しも嫌な奴、と思われたくないからか。他人に無関心だからか。この年になってくるとなかなか叱ってもらえなくなるのも寂しいことだ。叱るのは愛があるから。実にそうだ。叱ると怒るは全然違うのだから。今日もちゃんと息子と向き合って、怒るのではなくちゃんと叱ろう、と再確認。叱ってもらえて、きちんと謝ることのできる、可愛がってもらえる人間になって欲しいから。
初発の術後以降、大きな声を出すと左の胸にある傷口あたりがずきーんと痛む。だから、もう大きな声を出すな、という体からの声だということはよくわかっているのに、どうも反抗期の息子とつきあっていると、だんだんトーンが上がってくる。(息子も私も夫に言わせると声が大きいらしい。中学高校とクラリネットを吹き、高校では応援団に所属し、大学で合唱をしていたこともあるため、腹式呼吸が体に染み付いていて自然にお腹から声を出してしまうのだ。)
転移した骨の痛みだと分かっていても、いまだに痛み止めを飲むことについて何か抵抗がある。先生は痛ければ飲んでいいのだ、とおっしゃるのだが、どうもどんどん効かなくなって量が多くなるのでは、とか別の強い薬にうつらないといけないのでは、というつまらない心配がある。
思春期の頃から頭痛もちだったので、頭痛薬には長いことお世話になってきた。母もやはり頭痛もちだったので、母の使っていた薬を使い、だんだん効かなくなってくると、また別の薬、また別の薬、と変えていった。それでも最近は生理前の月経前困難症とされる頭痛がなくなったから、長年の頭痛を考えればうそのように日々がとても楽である。
生理痛も人それぞれで、全くなんでもない人もいれば救急車を呼んでしまうほどひどい人もいるという。痛みはとにかく自分しかわからない。どこまでなら我慢できるか、我慢してよいのかとても難しい。私は生理痛はきついものだと思っていたので、出産まで婦人科にかかることはなかったが、実際、帝王切開で出産したときには、息子が出てきた後の処置の方が延々と長く、夫をはじめ両親はいったい何があったのか、と思ったそうだ。
開腹してみたら子宮内膜症がひどく、「よくこれで自然妊娠しましたね。」と主治医には驚かれた。「これではさぞかし生理痛がひどかったでしょう。」とも言われた。(そうだったんだ・・・)と目から鱗の状態であった。ある程度の我慢は仕方ないもの、と思っていたのだが、やはり自分の体の声には自分がきちんと耳を傾けなくてはいけない、と当たり前のことを痛感した。
子宮内膜症の部分をきれいにとってもらったこと、また1年間は授乳したこともあり、その後生理痛はすっかり楽になっていた。そろそろまた痛み出した・・・と思う頃にはまたちょくちょく頭痛薬のお世話になったけれど、かつてほどのことではなかった。
それから数年の子育てを経て、初発後ノルバデックスを飲み始めて半年後にはすっかり生理らしい生理がなくなっていたが、それでも生理前にあったようないつもの頭痛や下腹部の鈍痛は続いていた。それが今やすっかりなんともない。それこそ、先生のおっしゃるとおり「卒業」なのだろう。
とにかく痛みがあると、気持ちが前向きになれない。いつも不機嫌でどうしてもマイナス思考になる。それなのに、こんなに痛がったらおおげさだと思われるのではないか、と思ってしまう。我慢強いことが何より美徳、と育てられたためか、恥ずかしいことに我慢のボーダーラインがいまだによくわからないのだ。
独身時代、親知らずの抜歯にはかなりてこずった。横向きに生えてきた歯を分割して取り出すために歯茎を切開して何針か縫い、本当なら1泊入院、といわれたが、翌日はずせない仕事があったので、まるでこぶとりじいさん(ばあさんですね。)のような顔をして出勤したこともあった。朝起きたらうまく口が閉じられていなかったため、出血で枕が赤くぬれていた。一歩足を踏み出すごとに頭まで痛みが突き抜ける感じ。当然何日かは飲み物だけで何も食べられなかった。さすがにそのときは処方された痛み止めを飲んでいたけれど。
自分流の「ここまで痛くなれば薬だけれど、ここまでならちょっと我慢してしまおう。」というボーダーが未確定だ。本当はそろそろ痛くなりそうだな、と思ったら少し早めに薬を飲んでおくほうが痛む時間が少なくてよいそうだが、どうもそのタイミングを逸して、不要に長く痛みと向き合うことになってしまう。ほとほと学習しないのが情けない。
これからは少しでも大声を出さずに済むように痛みを呼び込まないように心穏やかに過ごしたい。怒ると美容にも健康にも悪い、ということは明白なのだから。
それから内科へ。今日はなかなか中待合へのランプがつかなかった。診察室に入り、寒さのせいなのか手指のこわばりが気になること(握力は最近測っていないけれど、かなり弱くなっている気がする。先日は指が滑ってガラスのコップを見事に割ってしまった。)、傷口が痛むことをご報告。「痛みの場所が変わっているわけではないすね。」と先生から。「はい。」とお答えした。
処置室も混んでいるのかと案じたが、診察室を出て処置室に移動すると、点滴椅子は珍しくよりどりみどりだった。小一時間ほどして点滴開始。順調に終了。先週も持参していたのに先生にお渡しするのを忘れていた婦人科検診の結果報告書を帰りに看護師さんに預けてきた。若い頃は記憶力が売りだったのに、最近哀しいくらい物忘れが酷くて、実に情けない。
帰りに薬局で薬を受け取り、遅い昼食を取って帰宅したが、途中乗換駅で電車が止まっており、やむなくまたお茶をして時間つぶし。
そんなわけで今日は4冊読めた。病院の処置室の本棚からも1冊お借りしておいてよかった。
1冊目は酒井順子さんの「少子」(講談社文庫)。痛快なまでの本音のオンパレード。(子どもは)別に欲しくないし、痛いし、今の生活変えたくないし、面倒くさい・・・などなど。それでもこの気持ち、わかる!と一気読みした。
2冊目は斎藤茂太さんの「『心の掃除』の上手い人、下手な人」(集英社文庫)。前向きな自分を取り戻すコツ、ポジティブ人生の達人茂太先生のハート・クリーニングという裏表紙にあるとおり、たくさん元気を頂いた。「~しなくてはいけない」「~しなきゃだめだ」「なぜ、私が思うように、みんなはやらないんだ!!」そんなふうに思ってストレスをためるのは本当に馬鹿なことだったなんだ、と今更のように反省。
3冊目は土屋賢二さんの「紅茶を注文する方法」(文春文庫)。表題のエッセイも含む週刊文春に連載したエッセイ集。薬局待ちの間、あまりにおかしくて一人で噴出しそうになって困った。先日の映画ではないけれど、土屋先生も「恐妻家」だけれど本当は「愛妻家」なんだな、としみじみ。
4冊目は和田アキ子さんの「おとなの叱り方」(PHP新書)。最近みんながちゃんと叱らなくなっている、とは思っていた。誰しも嫌な奴、と思われたくないからか。他人に無関心だからか。この年になってくるとなかなか叱ってもらえなくなるのも寂しいことだ。叱るのは愛があるから。実にそうだ。叱ると怒るは全然違うのだから。今日もちゃんと息子と向き合って、怒るのではなくちゃんと叱ろう、と再確認。叱ってもらえて、きちんと謝ることのできる、可愛がってもらえる人間になって欲しいから。
初発の術後以降、大きな声を出すと左の胸にある傷口あたりがずきーんと痛む。だから、もう大きな声を出すな、という体からの声だということはよくわかっているのに、どうも反抗期の息子とつきあっていると、だんだんトーンが上がってくる。(息子も私も夫に言わせると声が大きいらしい。中学高校とクラリネットを吹き、高校では応援団に所属し、大学で合唱をしていたこともあるため、腹式呼吸が体に染み付いていて自然にお腹から声を出してしまうのだ。)
転移した骨の痛みだと分かっていても、いまだに痛み止めを飲むことについて何か抵抗がある。先生は痛ければ飲んでいいのだ、とおっしゃるのだが、どうもどんどん効かなくなって量が多くなるのでは、とか別の強い薬にうつらないといけないのでは、というつまらない心配がある。
思春期の頃から頭痛もちだったので、頭痛薬には長いことお世話になってきた。母もやはり頭痛もちだったので、母の使っていた薬を使い、だんだん効かなくなってくると、また別の薬、また別の薬、と変えていった。それでも最近は生理前の月経前困難症とされる頭痛がなくなったから、長年の頭痛を考えればうそのように日々がとても楽である。
生理痛も人それぞれで、全くなんでもない人もいれば救急車を呼んでしまうほどひどい人もいるという。痛みはとにかく自分しかわからない。どこまでなら我慢できるか、我慢してよいのかとても難しい。私は生理痛はきついものだと思っていたので、出産まで婦人科にかかることはなかったが、実際、帝王切開で出産したときには、息子が出てきた後の処置の方が延々と長く、夫をはじめ両親はいったい何があったのか、と思ったそうだ。
開腹してみたら子宮内膜症がひどく、「よくこれで自然妊娠しましたね。」と主治医には驚かれた。「これではさぞかし生理痛がひどかったでしょう。」とも言われた。(そうだったんだ・・・)と目から鱗の状態であった。ある程度の我慢は仕方ないもの、と思っていたのだが、やはり自分の体の声には自分がきちんと耳を傾けなくてはいけない、と当たり前のことを痛感した。
子宮内膜症の部分をきれいにとってもらったこと、また1年間は授乳したこともあり、その後生理痛はすっかり楽になっていた。そろそろまた痛み出した・・・と思う頃にはまたちょくちょく頭痛薬のお世話になったけれど、かつてほどのことではなかった。
それから数年の子育てを経て、初発後ノルバデックスを飲み始めて半年後にはすっかり生理らしい生理がなくなっていたが、それでも生理前にあったようないつもの頭痛や下腹部の鈍痛は続いていた。それが今やすっかりなんともない。それこそ、先生のおっしゃるとおり「卒業」なのだろう。
とにかく痛みがあると、気持ちが前向きになれない。いつも不機嫌でどうしてもマイナス思考になる。それなのに、こんなに痛がったらおおげさだと思われるのではないか、と思ってしまう。我慢強いことが何より美徳、と育てられたためか、恥ずかしいことに我慢のボーダーラインがいまだによくわからないのだ。
独身時代、親知らずの抜歯にはかなりてこずった。横向きに生えてきた歯を分割して取り出すために歯茎を切開して何針か縫い、本当なら1泊入院、といわれたが、翌日はずせない仕事があったので、まるでこぶとりじいさん(ばあさんですね。)のような顔をして出勤したこともあった。朝起きたらうまく口が閉じられていなかったため、出血で枕が赤くぬれていた。一歩足を踏み出すごとに頭まで痛みが突き抜ける感じ。当然何日かは飲み物だけで何も食べられなかった。さすがにそのときは処方された痛み止めを飲んでいたけれど。
自分流の「ここまで痛くなれば薬だけれど、ここまでならちょっと我慢してしまおう。」というボーダーが未確定だ。本当はそろそろ痛くなりそうだな、と思ったら少し早めに薬を飲んでおくほうが痛む時間が少なくてよいそうだが、どうもそのタイミングを逸して、不要に長く痛みと向き合うことになってしまう。ほとほと学習しないのが情けない。
これからは少しでも大声を出さずに済むように痛みを呼び込まないように心穏やかに過ごしたい。怒ると美容にも健康にも悪い、ということは明白なのだから。