ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.1.12 ハーセプチン76回目、ゾメタ30回目 

2010-01-13 20:35:12 | 治療日記
 内科受付後10分ほどで「中待合へ。」の掲示が出、その後5分ほどで診察室に呼ばれた。先週は1度頭痛のため痛み止めを飲んだこと、(いよいよ老眼の始まりなのか)右眼がチカチカして見えづらいことがあったことをご報告。今は特に何ともないのだが、頭痛だの視力だのが異常というと、すぐに脳転移かとオタオタしてしまうところがちょっぴり哀しい。

 腫瘍マーカーはまた上がっていた。正常範囲内の上限に達している。昨年9月以来5ヶ月連続の上昇である。先月値と比べると3割増といったところだ。先生がおっしゃるには、「どこかで(がん細胞が)増えてはいるが、それが問題になるか否かは、画像上または症状として現れるか否かが重要である。数字が上がっているのは気にはなるが、あがり方はそれほど急でない。だから即、治療、というわけではない。来月云々ではなく、数ヶ月ごとの検査ということで(前回は10月だったので)2月か3月にCTで調べましょうか」という程度のことのようだ。「腫瘍マーカーは数字なので手っ取り早いので良いが、こうしたこと(画像上、症状上特に変化がないのに数字が上昇するということ)が時折あり、どうしたものか、という悩みどころがある。」ということだった。いずれにせよ「治療継続して、フォローする」という大きな方針には変わりはない。

 処置室に移動、最後の1つの点滴椅子を確保し、検温、血圧の測定の後刺針。小一時間して点滴開始となった。今日はゾメタも含め4本のフルコース。看護師さんとも頭痛の話から「つい良くないことを考えてしまって・・・(だめですね)。」と話す。いわく「自分たちも(普通なら知らないことを)なまじ知っているから(健康なのに、つい)いろいろ考えてしまう。みんな同じですよ」とのこと。確かにこの年になっても病気に限らず知らないことは本当に多い。知らないで済めばよかったこと、知らぬが仏、のことも病気になってから結構知ってしまったのも事実だ。

 今日もたっぷり時間があったので2冊の本が読めた。
 1冊目はE.キューブラー・ロス著・鈴木晶さん訳「死ぬ瞬間 -死とその過程についてー」(中公文庫)。言うまでもなく1969年の出版以来現在に至るまで全世界で広く読み継がれており、ターミナルケアに関心を持つ人々にとっての「聖書」とすら呼ばれているもの。がん関連の本を読むと、必ずこの死の五段階節が引用されている。今までなんとなく目をつぶり読むのを避けてきたが、今回思い切って読んでみた。結果、素直に「読んで良かった。」と思った。ああ、言いたかったのはこういうことなんだ、と改めて文章にしてもらった気がした。
 2冊目は外山滋比古さんの「思考の整理学」(ちくま文庫)。100万部突破!の帯ではないが、1986年に文庫化されて23年。全く古さを感じさせず、何で当時読んでおかなかったのか、と悔やまれた。それでもこうしてブログを書くことが少しでも日々「考える」ことの足しになればいい、と思う。

 1月14日で結婚20周年を迎える。
 息子が学校のスキースクールで不在だったので、私の早朝会議の前泊にあわせて、少しばかり早いけれど2人で祝った。ちょっと毛色を変えてチュニジア料理のお店で。昔、研修でパリにいた時に現地事務所の女性に連れて行って頂いたのが、アフリカ料理との出会いだった。スパイスは効いているのに野菜がたっぷり。体に沁み込むようなとても優しい味だったのをよく覚えている。クスクス等懐かしく堪能した。結婚記念日ということで予約していたので、お祝い用のお料理が用意してもらえて幸せだったが、腫瘍マーカーの件もあり、夫はなんとなく浮かない顔で元気がなかった。本当はベリーダンスのショーが見られる予定だったが、連休明けということもあり、運悪くお客が私たち2人だけの貸しきり状態。結局「今日は残念ですがショーはありません。」ということになった。がっかりしていると、お店の方が特別にと、チュニジアの民芸品だという素焼き風の小物入れとチュニジアの写真集をお土産にくださった。

 結婚記念日は、15周年までは1年目の紙婚式から始まって毎年あるのだけれど、その後は5年おきだ。5年前の15年婚は水晶婚式だった。その時は特に何もせずに(というかそれまで別に何もしてこなかったし、ちょうど当時は初発の手術前で、仕事でもどたばたしていて、それどころではなかった。)過ぎてしまったが、今は金婚式をクリアし、今年の10月でエメラルド婚式(55年)を迎える父母が、40年近く前に水晶の結婚式ということで、(お店の人に乗せられて)記念に指輪を作り合っていた。こども心に「へー、そうなんだ」と思ったことをよく覚えている。

 結婚20年は磁器婚式・陶器婚式というのだそうだ。「年代と共に値打ちが増す磁器のような夫婦」という意味らしい。そんな味が出ているかどうかは別として、次の銀婚式「結婚生活の一区切り、いぶし銀の美しさ」まであと5年。そのときを迎えられれば息子はまもなく19歳になる。大学生になっているのか何をしているのかわからないけれど、なんとか迎えられたらいいね、と夫と言い合った。

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