ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.1.9 前向き思考

2010-01-09 09:28:34 | 日記
 「前向きなところが大好き。」
今年の年賀状で、息子が小学校1年生のときの担任の先生から頂いた言葉である。確かに小学校時代は何にでも興味を示し、(時にはいろいろなことにダンボすぎるくらいダンボで・・・)なんでもかんでもやりたがって手を上げ、人間の目はこんなにきらきら輝くのだ、と息子の顔を見ながら驚かされた記憶もあるほどだ。

 最近、思春期に入ったところのようで、ご多聞にもれず目つきがどんよりとして、何かといえば「めんどっちい」。昔のような目の輝きは失われているような気がしてならない。それでもとにかく前向きであることには違いがない。なんといっても立ち直りが早い。怒られたりしくじったりすると、すぐに涙ぐみ、大いに憤慨するけれど、あれ、っというほどあっさりと立ち直って、何事もなかったようにまたすりすりとなついてくる。試験の結果もなんのその、である。「英語のテスト、びりから3番目だね。」というと「(びりから)4番目だ!」と堂々と言い返された。

 先日、立ち直りが早いことを指摘すると「すんだことをいつまでもくよくよしていたって仕方ないんだから、ボクはずっと前向きにやっていくんだ。」とのこと。(確かに痛い思いを糧にして前向きになってくれれば何よりなのだが、残念ながらただ忘れているだけ・・・のようだ。)これを聞いてしみじみ「ああ、この子は、私が死んだ後も結構けろりとして前向きに生きていってくれるんだろうな・・・。」と、ほっとするようなちょっぴり寂しいような複雑な気持ちになった。

 生後59日から保育園育ち。親の後追いもしなかった。「お仕事」と一言いえば、ちょっと涙ぐんではみても決して泣かずに「じゃあね」とくるりときびすを返して保育園のお友達や先生の方向に向かっていった。もちろん保育園に通っている当時は、お友達がお母さんと離れがたくて毎朝涙、涙の別れのシーンを繰り広げていたことを日々見ていたので、ちょっと拍子抜け・・・みたいなところもあったけれど、思えば本当にありがたかった。

 そう、それを証明するようなやりとりがあった。「ママ、この本棚の本、ママがいなくなったらどうするの。」「それはあなたにあげるから、あなたが自由に読んでください。」「げっ、そりゃ無理だ。」
 あ、そうですか。といった感じである。いつも私が「ママが死んだら・・・。」といいすぎているのか。そんなにさっぱり「いなくなったら・・・。」なんて言わないでほしい・・・というのは甘えだろうか。

 だから今や心配なのは息子より夫だ。前向きな息子には今から自分のことは自分で出来るように少しでもたくさんのことをいろいろ仕込んでおかなければ。そして本当は息子よりずっと泣き虫な夫のために少しでも長生きしよう、と思う。

コメント
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