昨日が仕事始め、今日は通院始めだ。
覚悟はしていたけれど、お正月休み明けで病院は大混雑。採血は60人待ちで1時間以上かかり、その結果が出て内科の中待合に入るまでにさらに1時間かかった。先生に年始のご挨拶をし、無事年末年始を過ごすことができたことをご報告した。気になっていた年末の乳腺エコーの結果は、「特別な所見なし。右胸は何もなし、更に左胸にもtumor(腫瘍)は認められず。」パソコン上の(-)(マイナス)の読影結果を拝見できた。充分ベテランの読影の方だから、信頼できる結果でしょうとのこと。また、採血結果は白血球が3,300と相変わらず低めだが好中球は(前回は達しなかった)1,000あるとのこと。あまり気にしないことだ。先生からは「この結果が僕からのお年玉ですね。」ということで幸先の良い嬉しい年始になった。
その後、処置室も満席で、廊下で待つこと小一時間。結局点滴椅子が空いて点滴が始まったのは病院に入ってから4時間近く経過していた。ハーセプチンを終え、針を抜いてもらった頃にはもう日差しも傾いていた。
そんなわけで時間がたっぷりあり、今日も車内を含め3冊本が読めた。
1冊目は藤原正彦先生の『日本人の矜持 九人との対話』(新潮文庫)。齋藤孝さん、曽野綾子さん、阿川弘之さんら9人の方たちとの縦横無尽の語り合いはテンポ良く実に楽しめた。特に「読書せぬものは人にあらず、ケダモノなり。」の一文には今年もちゃんと本を読もう、と思わされた。起訴休職外務事務官・作家として登場した佐藤優さんとの対話もとても興味深かった。それにしてもやはり身につけるべきは国語力。理系のどんな学問も結局のところ美的感受性、ということに納得させられた。
2冊目は岡田利規さんの『わたしたちに許された特別な時間の終わり』(新潮文庫)。大江健三郎賞受賞作ということで大江さんご本人が選評を書いておられる。真に新しい初めての小説、ということだったが、確かに劇団を率いる筆者の作はあたかも演劇を観ているかのようだった。
3冊目は安達千夏さんの『モルヒネ』(祥伝社文庫)。タイトルから末期がん患者の話、という感じだが、主人公は過去の不幸な家庭環境から心に深い傷を持つ在宅医療の医師。元恋人は余命三ヶ月の脳腫瘍で右手に麻痺が出ているピアニストという設定だった。
先日読んだ小川洋子さんの『博士の本棚』の中に、「本を読むときは言葉の海に身をゆだねるだけ。読書暦を語ることは、私の人生を語ることです。」とあったが、本当にそうだ。私は全くの濫読で、今や何の脈絡もなく、手当たり次第、といったところだが、何を読んでいるか、ということを晒す事は自分の頭の中を晒すようで実に恥ずかしいことでもある。
さて、職場では今年の勧奨退職の希望調査がきた。
年度末で勤続25年以上かつ年齢が50歳以上ということなので、勤続年数はなんとかクリアするが(病気休職で除算があるが)、まだ年齢要件が満たない。何とかあと2年無事に勤められれば対象に加えてもらえる、ということだ。もちろん病気になるまでは定年まで働くつもりでいたから、「勧奨退職」という選択肢は考えもしていなかった。ただ、退職した途端に亡くなってしまうハードワーカーを目の当たりにしたり、退職後、地域とのつながりもなく、仕事以外に何も残らないのではあまりに淋しいかもしれない、とも感じる年頃になるにつれ、さらには生涯病気とつきあうことになり、いよいよ、自分に余力があるうちに第二の人生を送ってもいいか、と思うようになってきた。我が家は夫と年齢が離れているので、夫が仕事から離れたら「私も一緒に辞めるから、また2人で遊ぼうね」と言っていた時期もあったけれど、今はこの予定どおりにいきそうにない可能性が高いので、(元気なうちに辞めるのは手かも・・・)という気持ちと、(どうしても治療にお金がかかるし、自分の保険証は持っていたいから、たとえ職場にはお荷物であろうともぎりぎりまで現職でいたい・・・)という気持ちの間で揺れ動いている。
ただ、実際、ぎりぎりまでというと、病気休職のまま職場復帰することなくフェイドアウト・・・ということになるだろう。それではあまりに立つ鳥跡を濁す、かな、とも思ったりする。まあこんなことを考えていても実際にはそうそう迷うことなく選択肢は限られてくるのだろうけれど。
お読みくださっている方々、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
覚悟はしていたけれど、お正月休み明けで病院は大混雑。採血は60人待ちで1時間以上かかり、その結果が出て内科の中待合に入るまでにさらに1時間かかった。先生に年始のご挨拶をし、無事年末年始を過ごすことができたことをご報告した。気になっていた年末の乳腺エコーの結果は、「特別な所見なし。右胸は何もなし、更に左胸にもtumor(腫瘍)は認められず。」パソコン上の(-)(マイナス)の読影結果を拝見できた。充分ベテランの読影の方だから、信頼できる結果でしょうとのこと。また、採血結果は白血球が3,300と相変わらず低めだが好中球は(前回は達しなかった)1,000あるとのこと。あまり気にしないことだ。先生からは「この結果が僕からのお年玉ですね。」ということで幸先の良い嬉しい年始になった。
その後、処置室も満席で、廊下で待つこと小一時間。結局点滴椅子が空いて点滴が始まったのは病院に入ってから4時間近く経過していた。ハーセプチンを終え、針を抜いてもらった頃にはもう日差しも傾いていた。
そんなわけで時間がたっぷりあり、今日も車内を含め3冊本が読めた。
1冊目は藤原正彦先生の『日本人の矜持 九人との対話』(新潮文庫)。齋藤孝さん、曽野綾子さん、阿川弘之さんら9人の方たちとの縦横無尽の語り合いはテンポ良く実に楽しめた。特に「読書せぬものは人にあらず、ケダモノなり。」の一文には今年もちゃんと本を読もう、と思わされた。起訴休職外務事務官・作家として登場した佐藤優さんとの対話もとても興味深かった。それにしてもやはり身につけるべきは国語力。理系のどんな学問も結局のところ美的感受性、ということに納得させられた。
2冊目は岡田利規さんの『わたしたちに許された特別な時間の終わり』(新潮文庫)。大江健三郎賞受賞作ということで大江さんご本人が選評を書いておられる。真に新しい初めての小説、ということだったが、確かに劇団を率いる筆者の作はあたかも演劇を観ているかのようだった。
3冊目は安達千夏さんの『モルヒネ』(祥伝社文庫)。タイトルから末期がん患者の話、という感じだが、主人公は過去の不幸な家庭環境から心に深い傷を持つ在宅医療の医師。元恋人は余命三ヶ月の脳腫瘍で右手に麻痺が出ているピアニストという設定だった。
先日読んだ小川洋子さんの『博士の本棚』の中に、「本を読むときは言葉の海に身をゆだねるだけ。読書暦を語ることは、私の人生を語ることです。」とあったが、本当にそうだ。私は全くの濫読で、今や何の脈絡もなく、手当たり次第、といったところだが、何を読んでいるか、ということを晒す事は自分の頭の中を晒すようで実に恥ずかしいことでもある。
さて、職場では今年の勧奨退職の希望調査がきた。
年度末で勤続25年以上かつ年齢が50歳以上ということなので、勤続年数はなんとかクリアするが(病気休職で除算があるが)、まだ年齢要件が満たない。何とかあと2年無事に勤められれば対象に加えてもらえる、ということだ。もちろん病気になるまでは定年まで働くつもりでいたから、「勧奨退職」という選択肢は考えもしていなかった。ただ、退職した途端に亡くなってしまうハードワーカーを目の当たりにしたり、退職後、地域とのつながりもなく、仕事以外に何も残らないのではあまりに淋しいかもしれない、とも感じる年頃になるにつれ、さらには生涯病気とつきあうことになり、いよいよ、自分に余力があるうちに第二の人生を送ってもいいか、と思うようになってきた。我が家は夫と年齢が離れているので、夫が仕事から離れたら「私も一緒に辞めるから、また2人で遊ぼうね」と言っていた時期もあったけれど、今はこの予定どおりにいきそうにない可能性が高いので、(元気なうちに辞めるのは手かも・・・)という気持ちと、(どうしても治療にお金がかかるし、自分の保険証は持っていたいから、たとえ職場にはお荷物であろうともぎりぎりまで現職でいたい・・・)という気持ちの間で揺れ動いている。
ただ、実際、ぎりぎりまでというと、病気休職のまま職場復帰することなくフェイドアウト・・・ということになるだろう。それではあまりに立つ鳥跡を濁す、かな、とも思ったりする。まあこんなことを考えていても実際にはそうそう迷うことなく選択肢は限られてくるのだろうけれど。
お読みくださっている方々、今年もどうぞよろしくお願いいたします。