ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.1.19 ハーセプチン77回目

2010-01-19 19:17:19 | 治療日記
 内科受付後、15分ほどして中待合へ、それから10分ほどで診察室へ入った。今週は特に変わったこともなく、手指のこわばりも胸部の鈍痛も相変わらず、とご報告。先生からは「あの後、頭痛や目のチカチカはないですか。」と聞いて頂き、「お騒がせして・・・特にないです。」とお答えした。前回のCTから3ヶ月ほど経過したので、2月末に次回を予約して頂いた。「頭もですか。」とお聞きすると「首から骨盤でいいでしょう。」とのこと。いつものようにその場で同意書を2通書き、1通頂いた。
 処置室に移動し、点滴椅子を確保。検温、血圧後針を刺して頂き、薬が届くのを待つ。小一時間して薬が届き、順調に点滴が進んだ。1か月分のアロマシンも処方して頂き、帰りは薬局経由で帰宅。

 今日は軽いお話だったので往復の車内も含めて3冊読めた。
 1冊目は石田衣良さんの「傷つきやすくなった世界で」(日経プレミアシリーズ)。「R25」の連載『空は、今日も、青いか?』をまとめたエッセイ集。若い世代に向けた優しく力強いメッセージなのだが、私もしっかり元気をもらった。
 2冊目は岩里祐穂さんの「いいかげんに片付けて美しく暮らす」(集英社文庫)。きれいな写真と題名に惹かれて手に取ったのだが、全然いい加減などではなく「よい加減」どころか素晴らしいこだわり。好きなものに囲まれて素敵な生活をしていらっしゃる。同じ家族構成でうーん、と唸ってしまった。本当に我が家はモノが多くて片付かない。つまり捨てられない、のだが。思わずため息。「思い出と向き合う時、亡きものにして忘れ去ろうとする人、静かにしまい込もうとする人の2種類がいる。」というくだりには実に納得。
 3冊目は青木るえかさんの「主婦は一日にして成らず」(角川文庫)。新井素子さんの解説を読んで、そうそう、と思わず元気になってしまった。2冊目で、ダメダメ主婦の私としてはちょっと自信喪失していたところだったので。

 さて、職場である大学は、現在次期中期計画策定の真っ最中。3年後、10年後の将来像についての資料が回覧されてきた。法人化にあわせて複数の大学が再編・統合された関係で、組織がとても巨大化し、キャンパスも複数箇所に散り、かつてのように痒い所に手が届きにくくなっている。50年近く名乗っていた名前すら返上したこの大学が、これから先、何をチャームポイントにしつつ、何を目指していくのかがいまひとつ良く見えない。それまでは地味だけれど”山椒は小粒でぴりりと辛い”存在ではなかったのか、と思う。

 それはさておき、10年後はおろか3年後の自分がどうなっているのか、自分なりのビジョンが具体的に描けないのが情けない。3年すると再発後5年、さらには10年後は再発後12年か、と思ってしまう。再発当時、私のような多発転移の平均余命は5年程度、だったと思う。もちろん再発部位にもよるので一律5年、というわけではないし、半分の人はそれ以上延命するわけだけれど、もう半分は・・・と思うとなかなか積極的に思考が進まない。

 もちろん2年前に比べて驚くほど医療界は日進月歩だから、確実に薬の選択肢も増えているし、その結果予後もよくなっているだろうけれど。イメージトレーニングではないが、たとえばこれから最短で4年後、息子の大学の入学式の時に付き添って(・・・まではしなくても、いまどき本当に親御さん等の付き添いの方の人数が多く、どこの大学も待合室があふれている様子だ。)その姿を見るとか、5年後の銀婚式を夫婦2人で元気に迎えるとか、そのくらいのことは考えられるけれど、そのとき自分がどんな状況であるのか、やはりなかなか想像ができない。

 今と同じように週1の通院を続けながら何とか週4は仕事ができているのか、それとも生きてはいても、今とは別の生活を送っているのか、などなど。そんなことをつらつら考えていても、所詮「神のみぞ知る」で、仕方ないことだけれど。

 「将来」は「今を生きる」ことの積み重ね、と思えばよいのだ。日々を穏やかに丁寧に生きていけば、きっとふと振り返ったときに、かつては「将来」だと思っていた日が「今」に変わるのだから。決して刹那的、というわけではなく一番近い将来である明日を、今年も姿勢を正してきちんと生きていきたい。

 帰宅すると、あけぼの会東京支部の虹のサロン開催のはがきが届いていた。合唱練習の2回目と同じ日。バッティングしてしまった。同じ時間帯なので両方参加するのは無理。悩ましい。それでもこうして予定があることは本当に幸せなことだ。感謝、感謝である。

コメント
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