帰宅すると、先月の婦人科検診の結果の封書がポストに入っていた。
婦人科は総合判定が異常所見なし。検査項目と検査所見では診察所見・コルポスコープ診・超音波断層撮影すべて異常所見なし、細胞診 頸部は 陰性(Class Ⅰ)だった。
一方、乳腺科の方は、総合判定で(左)術後所見:他医経過観察・治療中、(両側)乳腺腫瘤(疑):他医経過観察・治療中。診察所見は(右)異常所見なし(左)術後所見 超音波断層撮影では(両側)乳腺腫瘤(疑)(左)術後所見 とあった。
その場で聞いていたので特に驚かなかったし、直ぐに年内にかかりつけ医で乳腺エコーもできており、年明けに特別の所見なし、と聞いていたので良かった。ただ、婦人科については昨年6月の検査以降また何かあったら、という一抹の不安があったので、ほっとした。
先日、インタビューが掲載された月刊誌を両親と義母に送った。今までの治療の状況をきちんと話してこなかった、という負い目と、それでも私が拙い言葉で専門用語を交えてぐちゃぐちゃいろいろ説明するよりも、ああした形で完成した文章を読んでもらう方が、冷静に客観的にわかってもらいやすいのではないか、と考えたからである。
両者ともに余計な心配をかけたくなかったので、私が昨年半年間休職していたことを伝えていなかった。「大丈夫、大丈夫、何とか仕事もしているし、治療も続けているし、今すぐどうこういうことはないから・・・。」とやり過ごしてきたので。それでも「泊まりにいきたいんだけど・・・・。」等のリクエストについては何となくのらりくらりとかわしつつ、息子と夫を遊びに行かせたり、ご機嫌伺いに送り込んだりして2年近くを過ごしてきた。
両親(特に母)にさめざめと泣かれるのも辛かったし、義母から「困ったら、泊り込みでお手伝いに行ってあげる。」と言われるのも、あの酷い副作用をかかえた精神的・身体的状況では、どちらも正直、重たかった。
それにしてもなぜうまく伝わらないのだろう。
肉親だから冷静になれない、ということもあるのだろうが・・・。義母は初発の手術から今年の2月で5年経つので(いわゆるがん5年卒業説ではないが、こと乳がんは10年である。)、なぜか「もう治った」と、私がすっかり克服した、とこれまで思っていたようだ。電話がかかってきて話をしているうちに、これまで「?」だった義母のいろいろの発言がつながった。「そうだったんだ・・・。」とひざを打った。「もう元気そうだし、大丈夫なんでしょう?」と聞かれて、「いいえ。私は再発・転移したので、残念ながらもう完治しないし、手術も出来ないのです。今やっている治療は延命治療なので、いつまで効いているかだって実際のところ先生にもわからないのです。せめて何とか順序だけは守ってから逝きたいと思います。」と言ってしまっては身も蓋もないし、自分自身あまりに落ち込むので、へらへらしていたのがいけなかったらしい。
それでも夫から再発・転移の件はきちんと伝えていたはずなのに・・・。
健康で年を重ねると、「病気」というものに対してあまり深刻に考えなくなるのだろうか。「病気になる」ということを想像できなくなるのか。それともあまり楽しくない話題は無意識に明るい話題に変えて自分に取り込むからこそ長生きできるのか、残念ながらまだ彼女たちと同じ年まで生きてきていない病気持ちの私にはよくわからない。病院通いが常になっている父でさえ、実に自分に都合よく物事を取捨選択して理解するので、「?」のことがたくさんある。
「健康で長寿」ということは何より素晴らしい。今や自分が果たせなくなっている、ということを思うと、私にとってはまさしく「ないものねだり」である。ただ一方で、「年を重ねる」ということは、哀しいかな、実は上に書いたことのようなものなのかもしれない、と思ってしまった。
婦人科は総合判定が異常所見なし。検査項目と検査所見では診察所見・コルポスコープ診・超音波断層撮影すべて異常所見なし、細胞診 頸部は 陰性(Class Ⅰ)だった。
一方、乳腺科の方は、総合判定で(左)術後所見:他医経過観察・治療中、(両側)乳腺腫瘤(疑):他医経過観察・治療中。診察所見は(右)異常所見なし(左)術後所見 超音波断層撮影では(両側)乳腺腫瘤(疑)(左)術後所見 とあった。
その場で聞いていたので特に驚かなかったし、直ぐに年内にかかりつけ医で乳腺エコーもできており、年明けに特別の所見なし、と聞いていたので良かった。ただ、婦人科については昨年6月の検査以降また何かあったら、という一抹の不安があったので、ほっとした。
先日、インタビューが掲載された月刊誌を両親と義母に送った。今までの治療の状況をきちんと話してこなかった、という負い目と、それでも私が拙い言葉で専門用語を交えてぐちゃぐちゃいろいろ説明するよりも、ああした形で完成した文章を読んでもらう方が、冷静に客観的にわかってもらいやすいのではないか、と考えたからである。
両者ともに余計な心配をかけたくなかったので、私が昨年半年間休職していたことを伝えていなかった。「大丈夫、大丈夫、何とか仕事もしているし、治療も続けているし、今すぐどうこういうことはないから・・・。」とやり過ごしてきたので。それでも「泊まりにいきたいんだけど・・・・。」等のリクエストについては何となくのらりくらりとかわしつつ、息子と夫を遊びに行かせたり、ご機嫌伺いに送り込んだりして2年近くを過ごしてきた。
両親(特に母)にさめざめと泣かれるのも辛かったし、義母から「困ったら、泊り込みでお手伝いに行ってあげる。」と言われるのも、あの酷い副作用をかかえた精神的・身体的状況では、どちらも正直、重たかった。
それにしてもなぜうまく伝わらないのだろう。
肉親だから冷静になれない、ということもあるのだろうが・・・。義母は初発の手術から今年の2月で5年経つので(いわゆるがん5年卒業説ではないが、こと乳がんは10年である。)、なぜか「もう治った」と、私がすっかり克服した、とこれまで思っていたようだ。電話がかかってきて話をしているうちに、これまで「?」だった義母のいろいろの発言がつながった。「そうだったんだ・・・。」とひざを打った。「もう元気そうだし、大丈夫なんでしょう?」と聞かれて、「いいえ。私は再発・転移したので、残念ながらもう完治しないし、手術も出来ないのです。今やっている治療は延命治療なので、いつまで効いているかだって実際のところ先生にもわからないのです。せめて何とか順序だけは守ってから逝きたいと思います。」と言ってしまっては身も蓋もないし、自分自身あまりに落ち込むので、へらへらしていたのがいけなかったらしい。
それでも夫から再発・転移の件はきちんと伝えていたはずなのに・・・。
健康で年を重ねると、「病気」というものに対してあまり深刻に考えなくなるのだろうか。「病気になる」ということを想像できなくなるのか。それともあまり楽しくない話題は無意識に明るい話題に変えて自分に取り込むからこそ長生きできるのか、残念ながらまだ彼女たちと同じ年まで生きてきていない病気持ちの私にはよくわからない。病院通いが常になっている父でさえ、実に自分に都合よく物事を取捨選択して理解するので、「?」のことがたくさんある。
「健康で長寿」ということは何より素晴らしい。今や自分が果たせなくなっている、ということを思うと、私にとってはまさしく「ないものねだり」である。ただ一方で、「年を重ねる」ということは、哀しいかな、実は上に書いたことのようなものなのかもしれない、と思ってしまった。