ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2015.8.6 70年前の19歳を想って涙する

2015-08-06 20:46:34 | 日記
 広島70年目の8時15分。今年も一人で静かに黙祷する。記念式典の会場となる平和記念公園では、今年から参列者の体調に配慮して屋根が設えられたそうだ。被爆者の平均年齢は80歳を超えているという。猛暑の中、体調ゆえ参列したくとも出来ない方たちも沢山おられるのだろうと思うと、その時の流れに胸を衝かれる。
 そして、あまりに辛い体験についてこれまで堅く口を閉ざしてきた方たちが、今、生かされているうちに話しておかなければ、伝えておかなければ、と当時のことを語り始められたことにも。

 旅行中の息子は奇しくも、3日後に同じ70年目を迎えるもうひとつの被爆地で朝を迎えた。8時15分には黙祷の放送があったという。
 夫は夫で、通勤電車の中で黙祷したというから、家族3人それぞれが同じ空の下で、同じ時間に70年前に思いを馳せたことになる。

 息子が3歳を迎える少し前のこと。3人揃って長崎の街を訪れ、平和公園にも連れて行った。今回一人で訪れた息子に「覚えていた?」と問うと「全然。」、「新鮮だった。」と。送られてきた写真を見ると、平和記念像の周りでは既に3日後の式典の準備がされており、広島と同じように屋根がかかっていた。
 そのかわり、どこかのお寺の階段にいた猫を無理やり抱っこしてお得意だったことはしっかり覚えていたようで、駅前にいた猫の写真が送られてきていた。長崎といえば思い出は“猫”なのだそうだ。
 それに路面電車に乗るほうが楽しくて、平和公園では走り回っただけで、当時のことは何も覚えていなかったようだ。

 今回、息子は70年前の19歳を考えたら涙が出てきた、という。珍しく真面目にTwitterで呟いたらしい。
 私は19歳の息子を送り出した沢山のお母様たちの心中を想って涙が出る。
 何年か前、水口文乃さんの「知覧からの手紙」という特攻隊の青年たちが家族に遺した書簡集を読み、息子に「君とあまり変わらない年齢の少年達がこんな手紙を書いていたんだよ。是非読んでほしいな」と渡したことがあったのだけれど、当時読んでくれたのだかどうか。
 そんなことが頭の片隅にあったのだろうか。その時にはわからなくても、何か気づいてくれるものがあったならば、それだけで素直に嬉しいと思う。

 若い人たちのために、これからこの国を背負っていく人たちのために、この平和はなんとしても守らなければならない。決して過ちを繰り返してはいけない、と改めて思う8月6日である。

コメント (4)
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