漸くの金曜日。いいお天気で、夏日の予報だ。朝から日差しが眩しい。
今日は月末に入院・手術が控えている母の入院前の最終診察日だ。この大学付属病院は3月が初診で、それから手術日程を予約出来るまでにたっぷり2か月がかかっている。
そもそも昨年の夏あたりからどうも見えにくいといいながら、近くの眼科クリニックで「白内障ではないから大丈夫」との診断を信じて放置した結果である。調子が悪いなら別のクリニックでセカンドオピニオンを取るべきではないか、とアドバイスしたけれど、父の急逝後、あれやこれやと雑務も続き、本人がなかなかその気にならなかったので、首に縄をつけて連れていくわけにもいかず、ということだった。
結局、年が明けてやはり変だ、と別のクリニックに出向いたところ、白内障ではなく黄斑前膜で手術が必要と言われ、この大学病院を紹介して頂き、今に至ったのである。
そうこうしているうちに、随分歪んで見えるようになってきて、足元が怖いとこぼすように。とはいえ、とにかく大病院、予約してあっても一日がかりという大混雑。予約なしではとても診て頂くわけにもいかず、今日の予約の日となった。
私もジェムザール投与が始まり、投与すれば体調が悪く、母の初診とその次の通院日に付き添うことが出来なかったので、今日は主治医とも初めまして、である。
午前中に仕事を片付け、昼過ぎに職場を飛び出した。電車を乗り継ぎ、最寄り駅の駅ナカカフェでランチをかきこみ、予定通りのバスに乗った。病院までは20分弱。閑静な住宅街の中に大きな病院が聳えていた。
まだ出来て間もないような気がしていたが、既に開院から15年も経っていたことを初めて知る。テレビドラマ等の撮影でも使われていると聞く。広くて明るくてロビーはホテルのよう。母が初めて来た時にはあまり駅に広すぎて迷ってしまい、右往左往したというのが頷ける。
待ち合わせは3階眼科外来の待合で。10分前に到着したところ、母は一人でちんまり座っていた。訊けば、午前中にヘルパーさんが来てくださり、昼前に帰られたので、遅れては大変と出がけが結構せわしなかったとのこと。さすがに午前中と違ってどの科もそれほど混雑しておらず、患者さんはまばらだ。
予約時間を30分ほど過ぎたところで看護師さんが見えて、まだ診察室にお呼び出来ないので先に入院説明を受けてくるように、とのご指示。エスカレーターで2階受付に降りる。
書類を持って受付を済ませると、ほどなくして看護師Sさんが面談室へ私たちを案内してくださる。手術前日に入院、術後7日で退院予定だという。手術同意書や必要書類を渡され、処方される抗菌目薬等のことや、入院中の注意事項あれこれを丁寧に説明してくださった。白内障の日帰り手術や1泊2日の短期入院は、退院後のケアが大変だと漏れ聞いていたので、ばっちり眼帯が取れるまで1週間入院させて頂け、その間は看護師さんたちにケアして頂けるので却ってほっとする。
お礼を言って再び3階へ。20分ほど待って中待合に入ると、ほどなくしてN先生から呼んで頂けた。
母が先生の前に座った途端、すぐにカメラで左目を撮影される。状況を確認された後、手術方法の説明をしてくださる。0.5ミリ単位の細かい作業のようなので、大変そうだ。眼球の模型を示しながら説明されるが、母は怖がりなので、3か所穴をあけて切開とか、人工レンズとか、眼の中にガスを注入とか、麻酔とかいう言葉が出るたびにビクビクしているのが隣にいてよく分かる。
もちろん、私も自分が手術を受けるとなれば、あまり気持ちの良いものではないだろうけれど。手術説明・同意書にその場でサインを、と言われる。こればかりは私が代筆というわけにもいかない。
付き添いの私は事細かな説明をして頂けたので状況が十分わかって有難かったけれど、感染症や合併症等のリスクまで事細かに聞かされた母はかなり舞い上がっている。いずれにせよ、問題なく大丈夫だと思います、とのことなのだけれど。
病名は「左眼 黄斑前膜と白内障」、術名は「硝子体手術+白内障手術」、何もなければ1時間半ほどで終わる手術だそうである。
退院後、1週間して注射に行かなければならないようだ。うまくすれば1回で済むが、そうでなければ複数回必要になるかもしれないとのこと。これまたやってみないとわからないらしいが、80代になると血管も脆かったり、色々予期せぬことも起こるのかもしれない。
ということで、無事入院前最後の診察と説明が終了し、会計へ。会計システムは私が普段通う病院と同じで、自動支払機は全く同じ機械だった。嗚呼、一昨日払ったばっかり、とちょっと切ないデジャヴである。
入院中に使用するよう指定された目の周りを消毒するコットンを売店で買い求めた後、術日3日前から点眼する抗菌目薬が院外処方されたので、薬局へ。
初めての病院ゆえ、場所が不案内なので母を病院エントランス前のバス停のベンチに座らせて一人で出向く。すぐに分かったものの、初回に限り保険証が必要といわれ、受付をしてから再び戻る。15分ほど待って薬を受け取り、再び母が待つバス停に戻った。
病院と薬局での滞在時間は合わせて2時間半ほど。覚悟していたより早く済んでほっとした。とはいえ、自分だけのことと違って、付き添いで病院に来るのは別の意味で疲れる。再びバスでJR最寄り駅まで移動。私はお昼を軽く摂っていたが、母は実はお昼は食べる暇がなかったという。お茶でも、と思ったけれど母には食事をしてもらうことに。まあ夕食が一緒に摂れればよかったけれど、今日は夫が家で食べると言っていたので、私はお茶とケーキだけにしておく。
食事の前に入院関係の書類で母の自署が必要な個所にサインを終えてもらった。私も疲れたけれど、母も疲れただろう。1年半前の直腸がん手術時には、母が不在中の父の受け入れ先の手配等で大わらわだったけれど、今回はその必要もなく、母のフォローだけでよいというのがまだ救いだろうか。
もちろん父が長期入院中だったとしたら、それはそれで大変だったろう。やはり父は私たち孝行なのだと改めて思う。
その後、駅で母と別れ、お互い同じ時刻発の各々の自宅方向へのバスに乗り込んだ。さすがに通勤時間帯で道路は混雑。うまくすれば40分ほどで自宅最寄りのバス停なのだが、今日は一時間たっぷりかかった。車窓から見た夕日は真っ赤で美しかった。明日も暑そうだ。
帰宅するとタッチの差で夫の方が早かった。夫は生協から届いた食料品を冷蔵庫等に収納している最中。私は急いで夕食を整える。明日から夫は息子の父母会のお役目で再び関西へ。私は一人のんびりお留守番の予定である。
今日は月末に入院・手術が控えている母の入院前の最終診察日だ。この大学付属病院は3月が初診で、それから手術日程を予約出来るまでにたっぷり2か月がかかっている。
そもそも昨年の夏あたりからどうも見えにくいといいながら、近くの眼科クリニックで「白内障ではないから大丈夫」との診断を信じて放置した結果である。調子が悪いなら別のクリニックでセカンドオピニオンを取るべきではないか、とアドバイスしたけれど、父の急逝後、あれやこれやと雑務も続き、本人がなかなかその気にならなかったので、首に縄をつけて連れていくわけにもいかず、ということだった。
結局、年が明けてやはり変だ、と別のクリニックに出向いたところ、白内障ではなく黄斑前膜で手術が必要と言われ、この大学病院を紹介して頂き、今に至ったのである。
そうこうしているうちに、随分歪んで見えるようになってきて、足元が怖いとこぼすように。とはいえ、とにかく大病院、予約してあっても一日がかりという大混雑。予約なしではとても診て頂くわけにもいかず、今日の予約の日となった。
私もジェムザール投与が始まり、投与すれば体調が悪く、母の初診とその次の通院日に付き添うことが出来なかったので、今日は主治医とも初めまして、である。
午前中に仕事を片付け、昼過ぎに職場を飛び出した。電車を乗り継ぎ、最寄り駅の駅ナカカフェでランチをかきこみ、予定通りのバスに乗った。病院までは20分弱。閑静な住宅街の中に大きな病院が聳えていた。
まだ出来て間もないような気がしていたが、既に開院から15年も経っていたことを初めて知る。テレビドラマ等の撮影でも使われていると聞く。広くて明るくてロビーはホテルのよう。母が初めて来た時にはあまり駅に広すぎて迷ってしまい、右往左往したというのが頷ける。
待ち合わせは3階眼科外来の待合で。10分前に到着したところ、母は一人でちんまり座っていた。訊けば、午前中にヘルパーさんが来てくださり、昼前に帰られたので、遅れては大変と出がけが結構せわしなかったとのこと。さすがに午前中と違ってどの科もそれほど混雑しておらず、患者さんはまばらだ。
予約時間を30分ほど過ぎたところで看護師さんが見えて、まだ診察室にお呼び出来ないので先に入院説明を受けてくるように、とのご指示。エスカレーターで2階受付に降りる。
書類を持って受付を済ませると、ほどなくして看護師Sさんが面談室へ私たちを案内してくださる。手術前日に入院、術後7日で退院予定だという。手術同意書や必要書類を渡され、処方される抗菌目薬等のことや、入院中の注意事項あれこれを丁寧に説明してくださった。白内障の日帰り手術や1泊2日の短期入院は、退院後のケアが大変だと漏れ聞いていたので、ばっちり眼帯が取れるまで1週間入院させて頂け、その間は看護師さんたちにケアして頂けるので却ってほっとする。
お礼を言って再び3階へ。20分ほど待って中待合に入ると、ほどなくしてN先生から呼んで頂けた。
母が先生の前に座った途端、すぐにカメラで左目を撮影される。状況を確認された後、手術方法の説明をしてくださる。0.5ミリ単位の細かい作業のようなので、大変そうだ。眼球の模型を示しながら説明されるが、母は怖がりなので、3か所穴をあけて切開とか、人工レンズとか、眼の中にガスを注入とか、麻酔とかいう言葉が出るたびにビクビクしているのが隣にいてよく分かる。
もちろん、私も自分が手術を受けるとなれば、あまり気持ちの良いものではないだろうけれど。手術説明・同意書にその場でサインを、と言われる。こればかりは私が代筆というわけにもいかない。
付き添いの私は事細かな説明をして頂けたので状況が十分わかって有難かったけれど、感染症や合併症等のリスクまで事細かに聞かされた母はかなり舞い上がっている。いずれにせよ、問題なく大丈夫だと思います、とのことなのだけれど。
病名は「左眼 黄斑前膜と白内障」、術名は「硝子体手術+白内障手術」、何もなければ1時間半ほどで終わる手術だそうである。
退院後、1週間して注射に行かなければならないようだ。うまくすれば1回で済むが、そうでなければ複数回必要になるかもしれないとのこと。これまたやってみないとわからないらしいが、80代になると血管も脆かったり、色々予期せぬことも起こるのかもしれない。
ということで、無事入院前最後の診察と説明が終了し、会計へ。会計システムは私が普段通う病院と同じで、自動支払機は全く同じ機械だった。嗚呼、一昨日払ったばっかり、とちょっと切ないデジャヴである。
入院中に使用するよう指定された目の周りを消毒するコットンを売店で買い求めた後、術日3日前から点眼する抗菌目薬が院外処方されたので、薬局へ。
初めての病院ゆえ、場所が不案内なので母を病院エントランス前のバス停のベンチに座らせて一人で出向く。すぐに分かったものの、初回に限り保険証が必要といわれ、受付をしてから再び戻る。15分ほど待って薬を受け取り、再び母が待つバス停に戻った。
病院と薬局での滞在時間は合わせて2時間半ほど。覚悟していたより早く済んでほっとした。とはいえ、自分だけのことと違って、付き添いで病院に来るのは別の意味で疲れる。再びバスでJR最寄り駅まで移動。私はお昼を軽く摂っていたが、母は実はお昼は食べる暇がなかったという。お茶でも、と思ったけれど母には食事をしてもらうことに。まあ夕食が一緒に摂れればよかったけれど、今日は夫が家で食べると言っていたので、私はお茶とケーキだけにしておく。
食事の前に入院関係の書類で母の自署が必要な個所にサインを終えてもらった。私も疲れたけれど、母も疲れただろう。1年半前の直腸がん手術時には、母が不在中の父の受け入れ先の手配等で大わらわだったけれど、今回はその必要もなく、母のフォローだけでよいというのがまだ救いだろうか。
もちろん父が長期入院中だったとしたら、それはそれで大変だったろう。やはり父は私たち孝行なのだと改めて思う。
その後、駅で母と別れ、お互い同じ時刻発の各々の自宅方向へのバスに乗り込んだ。さすがに通勤時間帯で道路は混雑。うまくすれば40分ほどで自宅最寄りのバス停なのだが、今日は一時間たっぷりかかった。車窓から見た夕日は真っ赤で美しかった。明日も暑そうだ。
帰宅するとタッチの差で夫の方が早かった。夫は生協から届いた食料品を冷蔵庫等に収納している最中。私は急いで夕食を整える。明日から夫は息子の父母会のお役目で再び関西へ。私は一人のんびりお留守番の予定である。