ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2024.8.14腫瘍内科診察後、ドセタキセル+ジーラスタボディポッド8回目中止、フェスゴ8回目無事終了

2024-08-14 23:15:24 | 治療日記
 
 昨夜はブログアップ後、すぐに消灯。そのまましっかり眠れ、今朝、平日仕様のスマホアラームが鳴るまで目が覚めなかった。夫におはようLINEを打ち、身支度をして階下のレストランに降りる。
 夏休みのせいか4人家族と別にお一人客が3人ほど食事中だったが、思いのほか空いていた。今日も暑くなりそうだ。
 和洋折衷のおかずをちょっとずつ、じゃがいものスープ、グリーンスムージー、黒酢ドリンクとパン、ヨーグルト、ほうじ茶を頂く。少し混んできたので少しだけ珈琲を頂き、新聞を頂いて部屋に戻る。

 今日も、昨日のうちに採血が終わっているから、朝一の予約でも少しのんびり出来る。朝ドラを視て、小休止をし、ゆるゆる出かけることに。チェックアウトして手荷物を預け、病院を目指す。
 外は既に暑い。日傘を差しても照り返しがきつい。少し坂道になると息切れが酷い。

 朝一番の予約時間の10分ほど前に病院に到着。受付のIDカード機には列が出来ていたが、以前より1台多く設置されており、それほど待たずに腫瘍内科受付へ移動する。既に待合椅子は半分ほど埋まっているが、今日も読書するには適した明るい受付正面のソファを確保した。
 呼吸を整えてから血圧測定。117-71、脈拍が101。血圧測定を終えたら、態勢を整えて読書再開。今日のお供は昨日から読み始めた桂望実さんの「終活の準備はお済ですか」の続き。

 5章から成り、それぞれの主人公は定年間近の55歳女性会社員、長兄が認知症になった68歳男性、32歳の女性行政書士、余命僅かな33歳男性天才シェフ、そして最終章は全てに関わる終活相談員の男性53歳である。
 私と同い年とか境遇が似ているとか、という登場人物はいなかったけれど、それぞれが死を意識することで相談員からノートに自分史を書くように言われ、とまどいつつ、立ち止まり、これまでの自分の人生の見直しをする。いちいち唸り、頷くことしきり。少なくとも私自身、病を得るまでは終活のことなどなかなか考えなかったなぁと改めて思う。
 
 予約時間を20分ほど過ぎたところで電子掲示板の中廊下へどうぞ、に自分の番号が出る。移動して態勢を整え、本の続きを読み始めると、何やらまた咳が出始める。

 15分ほどして、先生が「おはようございます」と扉を開けて声をかけてくださる。荷物をまとめ、「おはようございます。お暑うございます」とご挨拶をして入室する。
 「では」と今日はまずSpO2測定から。最初95と出た後、94から96の間をふらふら。最終的に95と脈拍は92で落ち着いた。普段家で測っているのと変わらない数値だ。続いて体温計を渡され、6度7分。
 「今回はどうでしたか。」と訊かれ「情けないですが、7回目をトライしたのを後悔しました。暑さと副作用で本当にしんどく、夫の白内障手術等もあったものの、5日間は寝たきりでした・・・」
 「下痢もそれなりでした。咳も一度出るとなかなか止まらず、息切れは坂道や階段でだけでなく、最近は家の中でも忙しく動くと息切れをするようになりました。爪の状態も酷く、痛いです。」と言って手袋を外して診て頂く。

 「大分白くなっていますね。咳は動くと出ますか。」と問われ、「はい、動いたり、喋ったり、唄ったりすると・・・」と応える。我慢していても応対しながら咳がちょこちょこ出る。
 「採血のデータですが、白血球は戻っているし、貧血もひとまず正常値になり、アルブミン値も増えて低栄養状態も以前より改善されています。心臓の動きを表すBNP値も正常に戻っています。そして昨日の心臓超音波もばっちり良かったので、心臓はOKです。(心毒性の)フェスゴを休む必要はありません。ただ、マーカーが、また2か月連続で上昇傾向ですね。正常範囲ではあるけれど、誤差範囲の上昇なのかもう少し見てみないとよくわからない。」とのこと。

 レントゲン画像を4月、7月、今回と3枚並べてくださる。「それほど変わっていない感じで、心臓の大きさも変わっていない。左(の影)は少し薄くなっており、右(の影)はもともとあまり変化がない。右上(の影)も変わらないように見える。レントゲンではそれほど違いは出ていない。」と仰る。

 「ということで、今日からドセタキセルは止めて、フェスゴにタモキシフェンを併用していきましょう。」と。「確認のために、昔はホルモン剤と抗がん剤等を併用すると、どちらが効いているかわからないので一緒には使わない、とのことでしたが・・・」と訊くと、「かつては併用してもそれほど結果が変わらないなら、ホルモン剤だけで抗がん剤上乗せをしなくていいではないか、と言われたことがあったが、今は抗HER2薬なら上乗せありです。それでもカドサイラやエンハーツ等のような抗がん剤よりのものはホルモン剤併用はしないが、アバスチン+パクリタキセルの治療で、途中からパクリタキセルを止めてホルモン剤上乗せはある。なので、今回フェスゴには上乗せOKです。」とのこと。

 「初発でノルバデックス(タモキシフェン)を飲み始めた時、顔中に発疹が出て、かなり酷いムーンフェイスになって一旦薬を休んだことがあります。丁度放射線治療もしていたので、その影響ではないかと言われました。放射線治療が終わって再び飲み始めてからは大丈夫でしたが・・・」と言うと、「作用メカニズムが同じということなら別のフェアストン(トレミフェン)でもよい。これもかつて使いましたが、タモキシフェンに比べると歴史と伝統が違うので、安全線を優先するならタモキシフェンが王道。そして古いので安いです。」と仰る。

 「ひとまず1週間飲んでみて何もなければ3週間後、何かあれば1週間後にまた来て頂く、ということにしましょうか。」と仰る。「ドセタキセルは副作用として薬剤性肺炎もあるので、心配したがその兆しはないようだ。」とのこと。ほっとする。
 次回の前日検査は採血のみ。来月はまた月初と月末の2回通院なので、次回の採血ではマーカー測定なし。月末の2回目にレントゲンを撮ることになった。
 最近髪の毛が生えてきていることもついでにご報告。

 薬の処方では、「タケプロンは抗がん剤で胃が荒れることが多いので出していたが、痛みや重さを感じる時には飲むことにして、だんだん減らしても良いかもしれない。」と仰るので、そのようにして頂いた。薬は少なくて済むならその方がよい。
 今回は浮腫み止めのデカドロン4㎎もなく、いつも通りのミヤを21日分、タケプロン14日分と3分の1減量。そしてタモキシフェン20㎎を21日分。タリージェは夜のみ15㎎。

 「また遊びに行くんかい、と言われそうですが、実は9月に遅い夏休みで5日間東南アジアの旅行を予約したのですが・・・」と恐る恐る訊くと、「問題ないんじゃないですか。」と返ってきてこれまたほっとする。
 「9月は旅行で、10月は結婚式ですか~」と言われ、「式ではお腹が心配なので、和装は諦めて洋装にすることにしました。まだ先ですが、今の予定だと10月は式の10日前が治療に当たりますが、あまり下痢が酷く出るようなら2週間遅らせて式が終わってから治療、というわけにはいかないですか?」と訊くと(我ながらしつこい)、「まあひとまず今回様子を見ながら、ですね。出来れば3週毎のスケジュールで出来た方が良い。」とのお応え。お礼を言って診察室を出る。

 化学療法室に入る。4人ほど待っている方がおられて、受付番号は13番だった。処方箋の写真を撮り、LINEで門前薬局に送る。10分ほど待って、看護師Sさんから内側のグレーの古い椅子に案内される。今日はフェスゴの注射だけだから短い時間で済むので、この椅子でも腰痛になるほどではないだろう。
 
 夫に報告LINEを打ち、態勢を整えていると、10分も待たずに認定看護師のKrさんが見えた。ラッキー。前回もお目にかかっていなかったし、最近殆ど話せていなかったので、状況報告。「7回ドセタキセル、よく頑張りましたね、大変でしたか。」と労って頂く。
 今日は左腿に注射。針刺しの時から全く痛くない。注入時もあまりピリピリしない。お喋りしながら5分間はあっという間だった。「○○さんは、(患部以外の)色々な臓器が本当に健康なんだと思います。」と言って頂く。

 確かに心臓、肝臓や腎臓が悲鳴を上げてもおかしくないくらい長く色々な治療を続けてきている割には我が身体、よく頑張ってくれていると思う。有難いことである。無事に針を抜いたら、無事終了。抜く時はちょっとチリリとしたけれど、問題なかった。
 腰にあてたバスタオル等を元に戻して席を立つ準備をしていると、薬剤師のAさんが見えた。前回の副作用についてのインタビューがあり、あれこれ報告した後、タモキシフェン「MYL」のパンフレットをお持ちくださり、色々説明があった。

 以前、ノルバデックスを飲んだ時の副作用を報告し、そういえば、卵巣嚢腫で開腹手術をしたことを先生に言っていなかった、と追加報告。当時はまだ40代だったのだが、化学閉経となり、ホットフラッシュ等の更年期障害が出たが、この齢になってもホットフラッシュは副作用として出るようだ。
 まぁ、そのくらいならよいけれど、また卵巣や子宮に影響が出て開腹手術等となるとちょっと大ごとだなあ、と思う。だが、そんなことは今から気に病んでも仕方ない。

 途中で待合椅子に患者さんが溢れてしまい、リクライニング椅子から別のベッドのスペースに移動するように言われ、インタビューを続けることになった。
 門前薬局からはもう「お薬の準備が出来ました」というLINEが入っていた。点滴もお腹の注射もないので、早くも終了だ。
 化学療法室滞在は1時間弱。腫瘍内科受付で受付票を戻し、お友達にLINEを打ち、頃合いを見て会計待合いに移動する。混雑している。自動支払機の列に並んで、8万弱をカード払い。

 外に出る。もわーっと熱風が身体を包む。暑い。
 門前薬局に寄る。長く通っているが、午前中に来たのは、治療中止になった時を除けば初めてのことではないか。2人ほどお待ちになっていたが、空いていた。ちょうど担当のIさんが対応中で、少し時間がかかるようで、別の薬剤師さんが「今の方が終わったらお呼びします、もう少しお待ちください」とわざわざ言いに来てくださった。

 それから10分ほど待ったか、呼んで頂く。今回も体調伺いのLINEのやり取りで状況を把握して頂いているから、細かい体調報告は不要だ。一応2005年当時のお薬手帳を持参したが、古くなっているし、感光紙のプリントなので、かなり読みづらくなっている。当時、初めてノルバデックスを処方されて会計した時に、1万円札を出した記憶があり(キャッシュオンリーでカードも、当然コード決済も使えなかった。)、この病気の薬はなんて高いんだろう、と驚いた記憶があったが、今回の支払は3,000円弱。
 先発薬のノルバデックスも今日のジェネリック薬タモキシフェン錠MYLも薬価は同じ80円弱だという。かつては1錠300円位したのではないかというと、確かにそのようで、かなり安くなっているそうだ。
 あれこれお話してコード決済を済ませた。今日の病院と薬局滞在時間は3時間ほど。

 ホテルに戻って預けた荷物をピックアップして、涼しいロビーで荷物をまとめる。外に出ると、暑さと照り返しでクラクラする。日傘を差していても、である。背の低い子どもや日傘を差していない男性はどれだけ暑いだろうと思う。
 まだお昼を廻ったばかり。ランチは乗換駅まで行ってから摂ることにして、少し待って各駅停車に乗って、文庫の続きを読んだ。

 乗換駅のショッピングモールのインド・タイ料理専門店でランチを頂く。お盆休みなのか、時間が早かったのかかなり混雑していたが、なんとか待たずに入店出来た。シーフードカレーとバターチキンカレーの2つを選び、飲み物は氷なしのマンゴーラッシー。巨大なナンは半分も頂けず、時間をかけたけれど、サラダとデザート以外、カレーもチキンもターメリックライスも半分弱でギブアップだった。

 駅ナカのフラワーショップでお盆の仏壇用に、橙色のほおづきや紫のケイトウ等の色鮮やかでちょっと秋を感じるブーケを購入して電車に乗った。大荷物になったし、疲れたので迷わず駅からはタクシーで帰宅。雨が降りそうな気配だったが、降られずに辿り着いた。
 
 フェスゴの注射跡で左腿は少し痛む。朝落ち着いていたように感じた手の指、手の平、足の裏のビリビリジリジリも気になる。万歩計は4,500歩ほど。
 今日は生協のお届けの日。重い水の箱等もあり、ふうふう言いながら搬入して冷蔵庫や冷凍庫へ収納した。
 荷物を片付け、着替えを済ませ、もろもろ片付け。花を活けて仏壇脇に飾り、夫にLINEで写真を送った。薬の仕分けやら家計簿付けやらメールチェックやらしたら、どっと疲れる。
 ちょっとソファで横になったらウトウトしてしまった。

 夫が帰宅するも、お昼がもたれていてあまり空腹ではない。夕食は生協のお蕎麦やお寿司を食べてもらうことにして、私も太巻き寿司を2切れ摘まみ、あとは果物と水羊羹でおしまい。
 
 母にMeet通話。1日冷房の部屋にいたので、冷えたようで夕方から何度も下痢をしている、としょぼくれている。少し空気の入れ替えをしたり、外を散歩したりすればよいのに、と言ってみるも、具合が悪い、などとぶつぶつ。それでも明日はデイサービスなので、今日は夕食はバナナだけにして温かいお風呂に入って寝るとのこと。
 直腸が短くなっているので、なかなか大変なのだろう。一方、直腸は短くなっていないけれど副作用で下痢の酷い娘も昨夜下痢が始まり、お腹が空っぽの筈が、今朝も腹痛で軟便、帰宅後も急に腹痛で軟便の1日だった。

 明日からはどう過ごせるだろう。それでも、今夜はステロイドハイでもないし、お腹にボディポッドも付いていないし、ゆっくり眠れそうである。
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