JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
長野電鉄 信濃川田駅 昭和61年ごろのきっぷ
菅沼天虎様のブログ「菅沼天虎の紙屑談義」12月9日エントリー「長野電鉄 信濃吉田駅 昭和61年」に関連し、信濃川田駅でも同じような兆候が見られましたので投稿します。
これは昭和61年3月29日に購入した、信濃川田駅の入場券です。
この日、他の駅の入場券は既に日本交通印刷製の新券に切り替わっており、唯一旧券で入手したのがこれでした。だいぶ古い券のようで、30円券に料金変更印を捺印して使用されておりました。
その他、金井山・綿内ゆきの小児用乗車券も旧券でしたが、ここでは売れ筋と思われる、屋代ゆき大人・小児用乗車券は新券に切り替わっていました。
やはり、菅沼天虎様が投稿されているように、長野電鉄では昭和61年ごろのタイミングで硬券を従来の様式から日本交通印刷製のものに切り替え、経費削減のために「小」の影文字や赤ラインなどを廃止していったようです。ただし、小児用のB型補片については、スペースの関係からなのか、新券切り替え後も影文字は残っているようですが、大人用・小児用共、発駅常備券はなくなったようです。
またこの日、湯田中駅の長野電鉄バス(現在の長電バス)の出札窓口では、さすがスキー場のバスと思わせる「バス・スキー券」と「バス・荷物券」というものが、旧券で発売されておりました。
スキー券の赤いラインが印象的です。このような特殊な券はそれほど発売枚数が多くないようで (というよりも、一般の乗客が、バスに大きな荷物を持ち込むためにわざわざこのような券を購入しに行くことは稀でしょう…)、しばらくは残っていたようです。
翌年訪れた時には、スキーを担いでいるような乗客は決まって大きな荷物も持っているからなのか、2枚をひっくるめた「スキー荷物券」なるものが新券にて登場し、単独のスキー券と荷物券はなくなったようです。
いったい、これら旧券はなんという印刷工場で印刷されたものなのかよくわかりませんが、その他に、国鉄連絡券については、下の券のように、国鉄の新潟印刷場から供給されたものが使用されていた時期もあったようです。
この記事は、菅沼天虎様の「菅沼天虎の紙屑談義」12月9日エントリー「長野電鉄 信濃吉田駅 昭和61年」および、csssb様の「(仮)無計画収集記」12月9日エントリー「長野電鉄 硬券の特急券」にトラックバックさせていただきました。