東京メトロ 大手町駅発行地図式特別補充券

東京メトロ(東京地下鉄)が営団地下鉄(帝都高速度交通営団)から民営化された直後の平成16年4月に、大手町駅で発行された地図式特別補充券です。


   


青色JPRてつどう地紋のノンカーボン式券となっています。


この券は東西線の改札口に設備されており、千代田線に乗り継ぐ際に一旦改札を出場するようになっていることから、大手町駅まで有効な乗車券を所持していない旅客に対し、目的地までの運賃を精算する時に発行していました。
社内では「図補(ずほ)」と呼ばれているようで、東京メトロ間の乗継で一旦改札を出場するような駅か、都営地下鉄との接続駅に設備されています。
大手町駅のものは右下にある発行駅名も印刷されていますが、需要の少ない駅では発行箇所名が記入式となっている様式もあります。


地紋の色や社名が営団地下鉄時代とは異なりますが、図版はそのまま営団時代のものを引き継いでいるようでした。
券紙は営団時代は普通紙でしたが、東京メトロになってからはノンカーボン仕様になっています。しかし、ボールペンで記入するのではなく概算鋏で入鋏する方法が採られており、穴を開けたところが圧で青く反応しています。

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野辺地駅発行 北福岡駅他7駅ゆき矢印式片道乗車券

昭和55年1月に野辺地駅で発行された、北福岡(現・二戸)・金田一(現・IGRいわて銀河鉄道金田一温泉)・玉川・角の浜・石川・弘前・黒石(廃駅)・鶴泊ゆきの片道乗車券です。


   


青色こくてつ地紋のA型矢印式大人・小児用券で、仙台印刷場で調製されたものです。

国鉄では有効期間が2日となる「中・長距離」きっぷは一般式券として設備されるのが一般的ですが、ここでは比較的珍しい矢印式として設備されています。これは各駅ゆきの券を各々一般式で設備すると「金田一・北福岡ゆき」「角の浜・玉川間ゆき」「弘前・石川ゆき」「黒石ゆき」「鶴泊ゆき」の5口座になってしまいますが、さほどの需要が見込めなかったのか、このような様式で纏められてしまった感があります。

このような矢印式の「中・長距離」きっぷの例として、私個人と致しましては拙ブログ2012年12月15日エントリーの「三河三谷駅発行 51~60km区間ゆき乗車券の変化」で御紹介いたしました名古屋印刷場調製の券くらいしか他に確認した記憶はありません。


   


裏面です。「野辺地から表面矢印の駅ゆき」という記載と発行箇所名が記載されています。


とは言え、運賃改定後も残ってしまった残券ではありますが、券番は04572と決して少ない番号ではなく、発売された件の殆どの着駅が弘前ゆきであったものと推測されます。

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北陸鉄道 内灘駅発行 東金沢駅ゆき片道連絡乗車券

平成28年9月に北陸鉄道浅野川線内灘駅で発行された、北鉄金沢(金沢)駅接続、IRいしかわ鉄道東金沢駅ゆきの片道連絡乗車券です。


   


桃色北陸鉄道自社地紋の発駅常備の補充片道券で発行されています。


同社ではIRいしかわ鉄道開業時から連絡運輸を行っていますが、券売機には連絡乗車券の口座はなく、補充券での発券となっています。
駅には連絡乗車券を発売している旨の案内は無く、発券された実績の殆どはコレクター用か身障者用としてであるように思われますので、敢えて券売機に口座を入れる必要は無さそうです。


この券は従来のJR連絡用の券とは別にIRいしかわ鉄道連絡用として設備されているもので、左上に「ロIR」という符号が印刷されています。JRであれば発券した旅客鉄道会社を示す「発符号」となりますが、この券の場合は被連絡運輸先であるIRいしかわ鉄道の符号になっています。JR連絡用券が「ロ西」という表記でしたので、考え方は同じものと思われます。

発駅名である「内灘」の部分は予め印刷されていますが、点線のアンダーラインが引かれており、一見すると駅名記入式のように見えます。

経由欄には「(金沢駅」と印刷されており、カッコ「)」で閉じられていないので駅名の書き足しが可能ではありますが、IRいしかわ鉄道連絡用として設備されていますので、これ以上の書き足しの必要は無さそうです。また、有効期間も当日限りしか考えられませんから、有効日数を記入する様式よりも「発売当日限り有効」でも良さそうな気がしますし、「下車前途無効」の文言も入れた方が良さそうです。

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指定券券売機発行 蕨岱から黒松内ゆき片道乗車券

JR北海道による発行ではありませんが、1か月前の平成29年3月3日にJR東日本中央本線の阿佐ヶ谷駅にあるMV(指定券券売機)で発行された、蕨岱駅から黒松内駅ゆきの片道乗車券です。


   


JR東日本発行ですので、青色JRE地紋の特殊共通券用紙となっていますが、今では数少なくなった熱転写印字方式の券となっています。JR北海道完結の乗車券ですので「(2-タ)」と表記されています。


蕨岱駅はJR北海道函館本線の駅で、開業は明治30年代と歴史のある駅です。かつては交換可能な有人駅でしたが、国鉄時代の昭和60年代初頭に交換設備が廃止され、同時に無人化されています。その後、利用客はどんどん減り、JR移管後には1日あたりの平均乗車人員が10人を割るほどになり、平成20年代になると0~1名という数字になってしまっています。


同駅はこの券が発行された3月3日限りで営業を終了し、翌4日に駅そのものが廃止されてしまっています。

JRの駅名を50音順に並べると「わらびたい」は一番最後となるため、50音順のラストの駅として知られた駅ではありましたが、利用実態は駅として維持するレベルをはるかに超えていたようで、残念ながら「50音順のラストの駅名」の「栄冠」は次位であったJR東日本東北本線の蕨駅に明け渡しています。

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JR九州 薩摩大口駅から190円区間ゆき片道乗車券

ちょうど30年前の昭和62(1987)年4月1日、多額の債務を抱えていた国鉄が6つの地域別「旅客鉄道会社」と1つの「貨物鉄道会社」に分割解体され、「民営化」して再スタートをしました。
あれから30年が経過し、6つの旅客鉄道会社と1つの貨物鉄道会社はそれぞれ別の道を歩み、その中でも経営が困難とされた「3島会社」のひとつであるJR九州は昨年10月に見事上場し、新たな展開を見せています。


JR民営化初日の昭和62年4月1日にJR九州山野線薩摩大口駅で発行された、190円区間ゆきの片道乗車券です。


   


桃色こくてつ暫定地紋のB型大人・小児用金額式券で、門司印刷場で調製されたものです。当然ながらこの券が印刷されたのはJR民営化となる4月1日より以前の国鉄時代に印刷されたものであり、当時はまだJR乗車券類の地紋が制定されていなかったことから、国鉄時代の地紋を「暫定地紋」として翌年3月31日までの期限付きで使用することになっていましたが、JR各社の地紋が制定された後に欠札となった口座から新地紋に切替えられて行っています。


   


小児券です。やはり桃色こくてつ暫定地紋のB型小児専用金額式券で、門司印刷場で調製されたものです。


薩摩大口駅はかつて鹿児島県大口市現・伊佐)市にあったJR九州山野線の駅で、大きな木造の駅舎と2面3線と行止りの0番線と、吉松機関区薩摩大口機関支区が併設された比較的大きな、旧大口市の中心駅でした。
民営化直前の昭和62年1月には宮之城線が廃止されてしまって山野線だけが乗り入れる駅となってしまっていましたが、民営化から1年も経たないの昭和63年2月には山野線も廃止されてしまい、それに伴って廃駅となってしまっています。

民営化直前に宮之城線が廃止され、民営化1年も経たないうちに山野線までが廃止されたという事実は、国鉄民営化には厳しい現実があり、また、公共企業体から「民間会社」となったということは、イコール今まで以上に採算が重視されるということであるということを実感させられた出来事でもあったように思います。

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