散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

あこがれと admire と

2023-03-28 12:40:36 | 日記
2023年3月24日(金)~28日(火)

 レバーの中まで火が通っているか、疑わしげに眉を寄せるこちらを尻目に「うまい、ここの焼き鳥は実にうまい」とE君は御機嫌。それにしても侍ジャパンはよくやった、大谷翔平とはどういうシロモノかと、この夜は全国で同じ会話が何千万回交わされたことだろう。
 「あこがれを止めましょうって、あのフレーズね」
 とE君。
 「アメリカでも話題になったみたいだけど、英語で何て訳したんだろうな」
 在外経験の長い国際派らしく、来る電車の中で考えめぐらしていたのだと。僕もちらりと思ったことだった。
 「そうさなぁ、admire ぐらいだろうか」
 「admire がまず浮かぶけど、少し違うだろう」
 「確かに違う、違うけど他にピッタリする言葉が見あたらないよ」
 「うむ…」
 今どきの人間らしく焼き鳥片手にググってみれば、案の定 admire と紹介されたらしい。

 Shohei Ohtani urged his Japan teammates not to be star-struck before they defeated the United States 3-2 to win the 2023 World Baseball Classic.
 "Let's top admiring them", the Japan and LA Angels two-way star said about the talented USA squad in a pre-game clubhouse pep talk, "For one day, let’s throw away our admiration for them and just think about winning."
 Ohtani closed out the win for Japan by striking out his friend and Angels teammate Mike Trout to seal Japan's third WBC title.
※ "Let`s top admiring them" はママ、"Let`s stop..." の誤記?

 ということで、これしかないというものの「少し違う」とE君がいうのもよく分かる。彼の違和感と自分のそれが同じかどうか保証の限りでないが、自分の流儀で言うなら「あこがれ」につきもののせつないもどかしさや、遠見にあこがれる隔たりの美しさが admire には欠けている。
 たとえば面と向かって "I admire you." ということは可能だし、そのように率直に伝えることが好ましい場面はいくらも考えられる。僕自身こういう物言いを好む性分でもある。
 一方、誰かに近寄って「あなたにあこがれています」と言うことは、不可能ではないまでも不自然であり、そもそも「あこがれ」という言葉の意味を失わせてしまう。接近して言葉を交わす瞬間に「あこがれ」は過去のものになり、現実のまじわりが始まるからである。「ずっとあこがれていたあなたと、今こうしてお目にかかれて幸せです」となるところ。
 「あこがれ」は「あくがる」が語源らしいが、「あ(彼)+焦がれる」という若い時分の思い違いには、それなりのおもしろさがあった。「あくがる」にしても「心が体から離れてうわの空になる」のが原義だそうで、英語なら absent minded とでもいうところだが、admire と absent mindedness は英語人の頭の中ではおよそ結びつかないはずである。
 日本からやってきてアメリカで試合をしようとする侍ジャパンのメンバーは、まさにあこがれで一杯である。渡米から5年、同じグラウンドで直面することに慣れ、既に「あこがれ」の布置を脱している大谷翔平は、チームメートに"Let`s stop"と呼びかけることのできる特異な立場にいた。大谷でなければダルビッシュだけがそれを言うことができただろう。そうした立場に求められる役割を、彼が的確に果たしてのけたこと、その賢さに舌を巻いたのである。
 こうした仔細が英語のYouTubeで伝わったかどうか。

 「だからさ、やっぱり『翻訳』という行為はそもそも不可能というわけだ。
"traduttore, traditore." さぁ。」
 「それで済ましちゃダメだよ、つまんない」

 春の帰省時に田舎の地酒をE君に送ったところ、とても喜んで返礼に故郷のワインをくれると言ってきた。気候変動が取りざたされる昨今とはいえ、流氷を望む北の浜辺でワインができるものかと不思議の想いで待っていたところ、届いたワインは北海道ではなくアルメニア産のものだった。
 ふるさとは遠きにありて思ふもの、admire ならぬあこがれの照射する彼方の国を、彼は「故郷」と呼んだのである。一本とられた。
 E君の詩情に乾杯!


 
Ω