散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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「視線で操作」は既に実用

2016-11-28 11:06:43 | 日記

2016年11月28日(月)

 勝沼さん、ソッコーで御教示ありがとうございます。ALSの患者さん支援、なるほどすぐ気づくべきでした。リンク先が見えないのは私の操作ミス?自分で探したら、こんなのがありましたよ、他にもたくさん(http://www.a-paso.com/pceye.html)。

 ALSの根治法/予防法が一日も早く見いだされることを願うものですが、そうなった時にはこの技術が次世代テクノロジーの扉を開くかもしれませんね。

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タイトル:

ALSの方でも動かせるパソコン

コメント:

 石丸先生がお金持ちになれなくて残念ですが、既にそういう機器は実用されていて、今はALSの方が視線でPCを操作できるようになっています。リンク先の日本のメーカーのとかすごい。こういう情報テンション上がりますね。

Ω


夢の発明

2016-11-26 18:43:03 | 日記

2016年11月26日(土)

 ストーリーはおろか言葉で説明できるほど整った夢を見たためしがなく、フロイトの夢分析なんか作り話ではないかと思っていたのに、ここへ来て妙に長ったらしい三流ドラマみたいな夢をよく見るようになった。はいはい、これも脳の老化ね。昨日未明に見た夢なんか日中の心配事をそのまんまもちこんでいるんだから、バカバカしくて話にならない。ただ、面白い場面があったのですよ。

 キンドルみたいなデバイスを手にしているんだが、これがスグレモノで自分が読もうとしている部分だけが拡大して示されるのである。どうやらユーザーの視線をデバイスが感知して、その部分を拡大しているらしいのだ。これは便利だと感心したが、拡大部分のハイライトが濃すぎて少々わずらわしい。そこで手にしたデバイスを空にかざしてみたら、抜けるような青空が背景になって、拡大部分がクリスタルクリアに浮かび上がった・・・そこで目が覚めた。

 こんなデバイス、既に開発されているかしら。視線の向けられた先を感知することは、ちょっとした工夫で可能ではないかと思ったりする。特許取れないかな、そしたら遊んで暮らすのだけれど。

 ・・・遊んで暮らしてるのか、現に。

  (今年の郷里は柚子が豊作!)

Ω

 


「思い出す」ことの功罪/時間調整/キンピラの語源

2016-11-26 12:38:34 | 日記

2016年11月25日(金)

 22日(火)午前5時59分にM7.4、24日(木)は午前6時20分にM6.1、福島県沖で地震が連発している。幸い大きな被害は出ていないが、どれが何の前触れであるのかないのか見当がつかず、地元はさぞ不安でもあろう。昨日の診察介助は岩手出身の保健師さんで、合間の話題は自ずとそちらへ行く。今回の震源は岩手から少々距離のあることながら、彼女に恐怖を引き起こしたのは「震災を思い出してください」というアナウンサーの叫びだった。震災の何を思い出すの、黒い海?!耳ふさぎたい思いだったという。

 僕は聞かなかったがNHKは「東日本大震災を思い出してください」と連呼したらしく、もちろんその趣旨は「自分のいる場所が安全だとは決して思わないでください」という注意喚起に他ならない。難しいのは視聴者がメッセージを受けとる感度に個人差があることで、通常の津波警報に十分反応する鋭敏な人々にとって「震災を思い出してください」は外傷体験の想起のきっかけともなりかねない。感度と特異性のバランスはあらゆる実践の場で問われる課題であり、ダイヤルをどこに合わせるかはいつだって難問である。

 こちらは呑気に出勤の朝、晴天なのにどうしてこう電車が遅れるかなと平和なボヤキである。後続の電車が遅れているので、この電車も時間調整をするという。これがまた問題含みのバランス調整で、混雑を均一化するという巨視的な立場からはそれで良いのだろうが、後ろが遅れているからといってこの電車の乗客まで遅れさせるのが正当かどうかは、相当難しい議論になり得る。原理的には年金問題などとも通じる話のはずだが、誰がどう決めているのか、どんな議論がされているのかいないのか。

 などと心穏やかならぬ時間調整の間、車内モニターでCFの品定めやトリビアの勉強ができるのは結構なことである。今日はキンピラ ~ キンピラゴボウのキンピラの語源を知った。「金太郎の息子で、浄瑠璃に出てくる金平(金平)にちなんだもの」というんだが、「金太郎の息子」はずいぶん説明を端折ったね。いわゆる金太郎のモデルは頼光(らいこう)四天王の一人に数えられる坂田金時、その息子が坂田金平とされるわけだ。何しろ知りませんでした。

 金平浄瑠璃は人形浄瑠璃の一つとして、江戸時代にずいぶん流行したらしい。大江山の鬼退治で知られる源頼光の四天王とされるのが渡辺綱・坂田金時・碓井貞光・卜部季武、この5人の次世代版が源頼義(八幡太郎義家の父)を筆頭に渡辺竹綱・坂田金平・碓井定景・卜部季春で、これらが金平浄瑠璃の主人公だというのだが、頼義はともかく四天王ジュニアらは架空の気配が強いかな。「鬼」とは大江山あたりを根拠地にした反朝廷勢力を指し、頼義は前九年の役を平定して源氏の基礎を築いたことを思えば、単純に物語を楽しめもしないのは桃太郎と同様である。

 とはいえキンピラは旨い。「ゴボウの歯ごたえや精のつくところ、唐辛子の強い辛さが坂田金平の強さに通じる」といった説明がなされているが、「何で弁慶じゃなくキンピラなのか」と訊かれれば答えに困る体のもので、「浄瑠璃の芝居小屋が弁当を出すときに、題目の宣伝を兼ねて惣菜を『金平ゴボウ』と命名した」とか、発端はそんなことではあるまいかと思う。これはどこかで拾ったわけではない、正真正銘の石丸説ですのでそこのところよろしく。

 中央線の高円寺を過ぎたあたり、見事な雪化粧の富士山が遠望できたがスマホを扱いそこなった。さて、富士山はどこにいるでしょう?

 

Ω


43年後のクラス会

2016-11-24 08:48:54 | 日記

2016年11月23日(水)

 午後から高校のクラス会あり。卒業後40周年の昨年に実現したものだが、僕は入試業務と重なって出席できなかった。今年も同じ日曜日の設定だとまたも欠席になるところ、幹事さんらの配慮で勤労感謝の日に移り、めでたく参加が叶った次第。四谷駅至近の手頃な会場に23人集まって二時間の歓談、籤で当たった僕の席がステージから一番遠いところで、皆の顔が反対方向を向いているのを幸い写真を載せておく。雰囲気だけ、ね。

 

 誰かが気を利かして、修学旅行の記念写真を焼きまして配ってくれた。1973年11月21日とあるから、ちょうどこの季節である。行き先は奈良・京都で、クラス単位の自由行動日に僕らの選択したのが保津川下りだった。そうと決めたのは夏の盛り、涼を求めて衆議一決したのが秀才達の浅知恵である。当日は曇天、川面は靄がかって期待した紅葉も見えず、水量が減って舟底が時おり「ガリ!」と身を震わせ、そして何よりむやみに寒かった。生涯で一番寒かったのではないかしら、嵐山の船着場をあがって近場の店でうどんを頼み、たいらげた後にまだ震えていた。

 

 これに次いで寒かったのが、このクラスのY君の父上の葬儀である。これはたぶん1977年か78年の厳冬の最中、鶴見総持寺のだだっ広い板間がしんしんと冷え込んでいた。銀行の重役でいらしたから会葬者は多い。世慣れた中高年の人々があぐらをかく中で、僕ら4~5人の若造らは正座を崩すことができず、痺れるのと寒いのと悲しいのとで焼きざましの餅みたいに固まっていた。立ち上がるとき、痺れた爪先が垂れ下がって床にひっかかり、危うく倒れるところを友達に支えられた。当時僕は喪服をもたず、急な知らせに黒を基調のセーターに喪章をつけて出かけ、そのことをY君に詫びた記憶がある。

 そのY君がこの8月に他界した。もともと48人のクラスで、ごく早い時期に男女一人ずつ病没している。これから年とともにゆっくりと、次いで櫛の歯の抜けるように仲間が減っていく数十年、そのプロセスを共有する一団がここに集まっている。生活基盤は別であってもある種の運命共同体に違いなく、だから人が集まるのだろうと思う。

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 12時開始のところ、11時19分に用賀駅で人身事故があって田園都市/半蔵門線が止まり、あおりで2~3人が遅刻した。僕は南北線経由で出かけて無事だったが、なぜか座席で落ち着かず鳩尾のあたりで熾火がくすぶるのを抱えていた。消息不明は別として、クラス会に出ようとしない者は必ずある。その気もちが分からないでもなく、紛れたのはかかって40年という時間の効果に違いない。いわば当時の葛藤や心情を再体験しているのだと思うが、だからこそ現実に直面するに如くはなく、クラス会のもうひとつの効用は容赦なく変転していく現実にしっかり結びつくところにあるかと思う。年回りよろしく、これで卒業した中学、高校、二つの大学で現実の絆を確認した。それ以前に関しては、どうも打つ手がない。前橋で入学し、松江でまる三年過ごし、山形で卒業した三つの小学校は、全くもって僕の記憶と観念の中の存在になってしまった。これらが今になって夢に現れ、胸を騒がすのが案外やっかいである。

 出席者は皆それぞれ確かな現実の生活を送っており、体型の変わった者も変わらぬ者も総じて元気そうである。むやみに握手したがるのは僕のクセだが、それこそ現実を確かめたがっているのかもしれない。卒業後何年も経ってから、母が入院の際に元同級生のお母さん達が連れ立って見舞ってくれたことがあり、先にも書いたとおり見舞ってもらった側は決して忘れないものである。そのことの御礼なども語ったが、そうしたことに触れすぎたかと帰り道で悔やんだ。高校在学中に母親を亡くした出席者が僕の知る限りで二人はあり、彼らにとって聞きやすい話ではなかったはずである。

 出席者中いちばんの元気者はたまたま同卓についたK女で、50歳過ぎてからマラソンにハマり、今日も今日とて自宅から18km走って四谷に現れたという。僕も3~4年前までは冬になると市民レース最優先で日程を組んだものだが、膝を痛めて以来すっかり消極的になっていた。羨ましさ抑えがたく、夕は1.8kmほどゆっくり流して汗をかいた。距離ではなく、むろん速さでもなく、地面を踏み風に吹かれて体を動かすことが霊妙なのである。

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 徒然草の筆法だと、クラス会はどういうことになるのだろう。四十路ほどでさっさと世を去るのが好ましく、子孫も残さぬが良いという説からは、「還暦の男女が生き恥の曝し合いをする見苦しさの極み」ぐらいの辛辣さも想像されるけれど、エスプリの鮮烈を求めて矛盾を介意しないのは「エッセイ」という手法の常である。「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」というのならば、人生また「散りしをれたる庭」の見どころがあるはずだ(137段)。

 保津川や総持寺の思い出が招き寄せたか、今日はまたえらく寒い初雪の東京である。

 

Ω

 


完全沈没まる三日

2016-11-23 10:51:53 | 日記

2016年11月23日(水)

 休日の朝、ゆっくり起きて昨夜の残りコーヒーをコップに注ぎ、加温しようとして、ん?何かが違う。スイッチどこかな、パネルはこんなだったっけ、軽く当惑すること6~7秒、カップを入れたのが電子レンジではない、オーブントースターであることにふと気がつく。あぶねー、あやうくコーヒーカップの姿焼きを作るところだった、お疲れも相当ですね。

 9月半ばに手帳を確かめた時、到底この秋を越せる気がせず絶望的な思いを舐めた。そう言いながらこれまでも何とかなっただろうと自分に言い聞かせ、ありがたや無事11月下旬を迎えたものの振り返るもおぞましい綱渡りの2か月である。仕上げに先週は日曜と土曜の二回、入試面接があった。これは物理的・生理的な負荷では説明のつかない気疲れのあるもので、おそらく他人様の人生の岐路にあたって転轍機の役割を果たすことへの恐れ/畏れに関わっている。とりわけ、一生懸命準備してきたに違いない志願者に「否」の判断を下す時の苦々しさといったら!その後まる三日間、碁会所で半日過ごしてヘボ碁を5局打つ以外に文字通り何もせず、何をする気も起きない無為徒食状態、「うつ」にしては食欲旺盛なのがいまいましいばかりである。

 そんな心事を見透かしたかのように、小豆島のMさんから久々のメールをいただいた。「幼稚園でいただいたお花」とあり、町立幼稚園へ人権対策課の仲立ちで出かけてきたのだそうである。Mさんの心の目の涼やかな明らかさには、いつも敬服する。「花の香をわかつや西の便りあり」・・・俳句にも川柳にもなっていないが、ともかくありがたい。そういえば母がこの初夏に入院中、松山の教会の子どもたちから花が届けられることがあり、これが闘病中の母を非常に慰めた。その立場になければ分からないことで、福音書が特記する意味も知られる思いがする。

 Mさんのお許しがあったので、元の写真ではきれいな白い飾り棚の上に乗っていたのを、花の部分だけ切り出して載せる。そうそう、Mさんが「16日のブログ、船の中で声を出して笑ってました」と書いてくださった。「やった!」と快哉、16日というと「ジボレ」の件かな、気もちよく笑ってもらえるのは最大の成功、引きつづき精進します!

  ← Mさんが送ってくださったもの、桃色・朱色が純白に映えて美しい。

  ← 母に贈られたもの、野の花らしい黄色・水色・小白のとりあわせが清にして楚。

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 そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』
 すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』

(マタイ福音書 25:34-40)

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