散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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令和4年の大晦日

2022-12-31 22:47:49 | 日記
2022年12月31日(土)
 せっかく田舎で年を越そうというのに、モズの姿が見えないのを残念に思っていたら…
 聞こえた、いた!
 窓から「ギチギチギチ…」と鼓膜をこするような強い連続音、紛れもなくモズの警戒音である。すぐに表に出てみても、警戒音を発するぐらいだから近くにはいない。電線か、喬木の枝か、どこかの高みで仲間に合図を送っている。どんな危険を感知したものか。
 立てかけた鍬の柄先を占領し、こちらを気にもかけず四隣を睥睨する剛の者と出会ったのは、確か三年前。再来を待ちつつ、ひたすら枯れ草や落ち葉を集めては焚く。

***

 今年他界した人々の名前を日記から拾ってみる(敬称略)

1月7日 シドニー・ポワチエ(94)
1月9日 海部俊樹(91)
1月10日 水島新司(82)
2月1日 石原慎太郎(89)
2月5日 西村賢太(54)
2月20日 西郷輝彦(75)
2月27日 稲畑汀子(91)
3月3日 西村京太郎(91)
3月14日 宝田明(87)
3月24日 田中邦衛(88)
4月7日 我孫子素雄(88)
4月16日 柳生博(85)
5月12日 小塩節(91)
6月28日 佐野浅夫(96)
7月16日 S.E.牧師(73)
7月19日 佐藤陽子(72)
7月25日 島田陽子(69)
8月5日 三宅一生(84)
8月8日 オリビア・ニュートン・ジョン(73)
8月8日 中井久夫(88)
8月11日 森英恵(96)
8月24日 稲森和夫(90)
8月30日 ミハイル・ゴルバチョフ(91)
9月8日 エリザベス二世(96)
9月13日 ジャン=リュック・ゴダール(91)
9月30日 六代目 三遊亭円楽(72)
10月1日 アントニオ猪木(79)
10月19日 仲本工事(81)
11月2日 松居直(96)
11月11日 村田兆治(73)
11月22日 W.M.姉(90歳代)
11月30日 江沢民(96)
12月14日 関田寛雄(94)
12月29日 エドソン・アランテス・ド・ナシメント(”ペレ”)(82)
12月31日 ベネディクト16世(95)

 そしてもちろん夥しい数のウクライナの市民・兵士とロシア兵。
 まもなく年があらたまる。

Ω






 


明星が心の中に昇るときまで

2022-12-24 21:00:43 | 日記
2022年12月24日(土)

 わたしたちもイエスと共に聖なる山にいて、天から響いてきたこの声を聞いたのである。こうして預言の言葉は、わたしたちにいっそう確かなものとなった。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗闇に輝くともしびとして、これに目を留めているがよい。
(ペトロの第二の手紙 1:18-19)

 このように美しい言葉があったことを、診療の場で患者さんに教わった。2022年降誕節。

Ω

 

ただそれだけのこと

2022-12-24 19:14:53 | 日記
(前項より続く)
 そんなある日、私が乗っている電車にシルバーカーを押したお爺さんが乗ってきました。浮浪者なのか、それとも単に少し不潔なだけなのかギリギリ迷うような感じのその人は、私と同僚の座ったボックス席にやってきて隣に座りました。
 内心嫌だなと思いました。
 マスクすらしてないそのお爺さんは目的地への行き方をききたかったらしく、一生懸命話しかけてきます。でも半分くらい歯がないせいで、話していることがさっぱりわかりません。マスクをしていない口から唾がいっぱい飛び出して、思わず私は腰を浮かせてしまいました。
 すると、隣のボックス席に座っていた40代くらいの男の人が、
 「マスクしろよ、お爺さん」
 と注意しました。お爺さんがポケットをゴソゴソ探していると、
 「持っていないのかよ、規則知らないのかい?」
 と自分の予備を手渡します。その後はもう言いたい放題で、
 「ちゃんと鼻も隠す。もっと上まで!あなた自身を守るんだから。そんな大きな声で話さない!」
 と鋭い口調で叱りつけています。私は内心同調しつつ、なにもそんな言い方しなくても…と思っていました。
 ところが、その人は続いて
 「***駅で降りて〇〇線に乗り継いで、△△で降りるんだよ」とお爺さんに目的地への行き方を説明しはじめたんです。隣で私たちの会話を聞いていたようです。でもお爺さん、理解できないのか、とんちんかんな質問を繰返していました。すると、その人は突然立ち上がり、
 「ほら支度して。次の家で乗換だよ。目的の駅まで連れて行ってあげるから」
 と言ったのです。よくわからずに、もごもご何か話しているお爺さんに
 「あなたは理解しなくてもいいから、ほら足もとに注意して!」
 「違うよ、ドアが開くのはこっち、シルバーカーは自分で押す!」
 言いながら二人は降りていきました。

 自分がたまらなく恥ずかしくなりました・・・

『ドイツからの便り ~ コロナ禍の中で学んだこと』
森田満留(もりた・みつる、デュッセルドルフ日本語キリスト教会)

Ω

歌は歌うまで歌ではなく

2022-12-16 13:10:47 | 日記
2022年12月16日(金)

 歌は歌うまで歌ではなく
 鐘は鳴るまで金ではなく
 愛は表現するまで愛ではなく
 祝福は感謝するまで祝福とはならない

    青森・浪岡伝道所、石川敞一師の寄稿から。(『教会婦人』第720号)
 カギカッコ付きなので引用かと思われるが、出典はわからない。直前に引かれているアベ・ピエールの続きだろうか。

 「確信できることはほんの僅かしかない。私の場合は3つである。
 それでもやはり、永遠なる神は愛である。
 それでもやはり、我々は愛されている。
 それでもやはり、我々は自由である。
 ああ、この3つの確信を伝えることができたら!」

 今号は当たり、『光の祝祭』(小塩節)の紹介もよく、とどめにこんな話を読んだ。ドイツはデュッセルドルフ街角の風景である。
 
 ある日、私が乗っている電車にシルバーカーを押したお爺さんが乗ってきました…
(この項続く)