散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

塔和子さん

2013-08-30 06:52:20 | 日記
2013年8月30日(金)

天声人語が一昨日亡くなった詩人のことに触れている。

塔和子さん(とう かずこ、1929-2013)愛媛県の出身である。

1941年ハンセン病を発病、1943年大島青松園に入所。
1,000以上の詩を書き、そこで生涯を終えた。

1989年以来、テレビや映画でも紹介されていたそうだが、僕は知らなかった。
西予市の公園に文学碑が建てられているらしい。

天声人語の紹介する詩を転記しておく。

 意志もなく生まれた ひとひらの形
 形である間 形であらねばならない痛み ・・・
  『雲』の冒頭

 ・・・ ああ 何億の人がいようとも かかわらなければ路傍の人
 私の胸の泉に 枯れ葉いちまいも 落としてはくれない
  『胸の泉に』のおわり

今日は36℃になるそうだ。
気をつけていこう。 

【アイデア】 嫉妬と羨望/ヤマハハコ

2013-08-29 09:22:42 | 日記
2013年8月29日(木)

前々から気にかかっていて、まとめておきたいと思っていたのだ。
嫉妬と羨望はどう違うか。

これって、どっちも漢語(ということは外来語)だよね。
大和言葉で言い換えたらどうなる?
「ねたみ」と「うらやみ」はどう違うか、ということになるのかな。
以下、自由連想で素材を列挙しておく。

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「嫉妬と羨望?ゼンゼン違うでしょ」
と一蹴したのは、桜美林の敬愛するM先生。
「羨望ってのは発達の動因なわけよ」云々と、すらすらおっしゃったことが右から左へ抜けた。
たぶんそう簡単でもないのだ。

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「嫉妬は、われわれのものであるか、あるいはわれわれが自分のものだと思っている或る一つの財産を保存することだけに目をつけているので、或る意味では正しくもあり、道理にかなったものでもある。ところで羨望は、他人の財産をだまって見ていることのできな激烈な情熱だ。」
ラ・ロシュフコオ『箴言と考察』 箴言28

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ということは(ということでなくても、だが)、第十の戒めが禁じているのは「嫉妬」ではなく「羨望」だ。

「隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない」(出エジプト記 20:17)
「あなたの隣人の妻を欲してはならない。隣人の家、畑、男女の奴隷、牛、ろばなど、隣人のものを一切欲しがってはならない」(申命記 5:21)

「欲する」「欲しがる」と訳されているのは・・・羨望なんだろうな。ヘブル語が読めたらな。

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メラニー・クライン『羨望と感謝』は必読だが、これはたかが英語で書かれていて明晰な和訳もあるのに難解なのだ。
以下はクラインが別の著者から引用している部分である。
(誠信書房 メラニー・クライン著作集5 P.11)

「・・・嫉妬は、もっているものを失うことをおそれ、羨望は、他人が自分の欲しがっているものをもっているのを見て苦しめられる・・・羨望にみちた人は、人の楽しんでいるのを見ていやな気持になる。そのような人は、他人の悲惨なさまを見て、はじめて気がやすまるのである。したがって、羨望にみちた人を満足させようとする努力は、すべて実をむすぶことがない」

「嫉妬は、対象しだいで高等にもなり、また下等にもなる情念である。前者では、嫉妬は、おそれによって強められた競争心である。(石丸付記:M先生が「発達」云々とおっしゃったのは、むしろこの意味の嫉妬ではないか。僕の記憶違いかな。)後者では、嫉妬は、おそれによって刺激された貪欲さである。(これに対して)羨望は、終始いやしい激情であって、数々の最悪の情念をうしろに引きずってゆくものである」

う~ん、読まないとしょうがないか。

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むろん、クラインは「感謝」を「羨望」の対立原理として据えている(はずだ)。
実際、感謝できる人は必ず立ち直れるということを、診療の場で繰り返し感じる。
裏返せば、羨望のとりこになっている限り、立ち直ることは難しいのだ。
現代人がストレス/トラウマに弱くなっている事実は、たぶんこのことと関係がある。
皆が羨望のとりこになっているから。

****

カインがアベルを殺したのは、嫉妬によるのか羨望によるのか?
ヤコブがエサウを繰り返し出し抜いたのは、嫉妬によるのか羨望によるのか?
よくわからない。

祝福者との三角関係の中で、それは典型的な嫉妬のように思われる。
しかしカインにせよヤコブにせよ、「もっているものを失うことを恐れた」のではなく、「兄弟に与えられて自分には与えられていないものを欲しがった」のだ。

羨望だ。いや、「おそれによって刺激された貪欲」すなわち「下等な嫉妬」だろうか。
よくわからないな。

今朝はこれぐらいにしておこう。

****

昨日、S君が転送してくれた歌:

 ここにいるここにいますとヤマハハコつつましく呼ぶごとく咲けり(鳥海昭子)

ヤマハハコは菊科の白い花で、純情を意味するそうです。

・・・純情は感謝に近く、羨望や下等な嫉妬とは対極にあるようだ。
ヤマハハコの素敵な写真がネットでたくさん見られるが、著作権対応に自信がないので転載は避ける。

「ここにいます」というヤマハハコは、実は大勢群れを成すもののようだ。
それでラーセンの『Far Side』を思い出した。傑作な漫画だ。

ヘビの子がたくさん、た~くさん集まって、一匹のお母さんヘビに詰め寄っている。
チビヘビの代表がお母さんヘビに、
No, really Mom, who do you like best?
じゃなくてほんとにさ、お母さんはどの子がいちばん好きなの?!

嫉妬、かわいい!




『たちばな日記』あらため臨床雑記004 ~ 『治す精神科』?

2013-08-28 11:22:01 | 日記
2013年8月28日(水)

『たちばな日記』という創作の体で記録しようとしたのは、もくろみもあったことだが、どうもうまくいかない。以下の記事を一か月半も引きずった挙句に諦めた。

『臨床雑記』という陳腐平凡なタイトルに戻し、あの手この手で個人情報保護に努めながら記録しておくことにしよう。

***

一年ほど前から、A君のクリニックで月一回の手伝いをしている。
内科・小児科を主体とする地域のクリニックだが、周辺に精神科が少ないこともあってニーズが生じてきた。

A君は面白い人物で、学生時代は同じ解剖班に属していた(医学部ではけっこう大きな意味をもつ)。2012年初めのハーフマラソンに誘われて一緒に出たのが縁で旧交を温め、そこから手伝いの話も進んだ。
そのあたりは、いずれあらためて。

七月の診療の際、A君が開業医向け雑誌のコピーを渡してくれた。
「これって、どうなの?」
『治す精神科』という言葉の下で、ツメエリ白衣のドクターがエネルギッシュな笑顔を浮かべている。

 ・・・○○クリニックでは、うつ病のほとんどが半年以内に治癒する。
「軽度ならば1か月、中等度であれば半年。これは一般的に言われているより圧倒的に短期間だと自負しています。」

と紹介記事。
顔を見合わせて苦笑した。「そうですか」としか言いようがない。
記事は以下のように続いていて、これは大いに同感なのが面白い。

 「うつ病に対する第一選択薬であるSSRIに加えて、抗コリン作用による副作用に留意しつつ、三環系抗うつ薬を併用するのが最も治療効果が高い」と○○氏は秘訣を明かす。

ごもっとも。
そもそも近年はやりのSSRIは、副作用が少なく安全であるのが評価されて主役になったもので、治療効果に関してなら古典的な三環系抗うつ薬が今でも最強である。ただし副作用が厄介なのだ。
これは精神科専門医なら誰でもよく知っていることで、だから「SSRIから始め、必要に応じて三環系に変更ないし追加」というのは合理的な戦略だし、みんなも僕もやっていることである。
そのあたりを自覚的に実践しておられるのだろうが、「秘訣」はちょっと大げさかな。

それにしても・・・

「抗うつ薬は最低でも1週間、教科書的には2週間続けないと効果が出ないっていうでしょ?するとこの人の言ってる『1か月で治る』うつ病ってのは・・・」
「ちょっと早すぎるよね、軽症にしても。」

問題はたぶん二つある。
ひとつは診断の問題、換言すればどんな「うつ病」を相手にしているかということだ。
「DSM-Ⅳ以来」というのは枕詞みたいなもので、DSMだって大うつ病エピソードの基準をきっちり判定するならそうそう過剰診断も起きないはずだが、実際には軽めの「抑うつ反応」まで広く「うつ病」と診断する傾向が、ある時期から盛んになり今はほとんど定着した。
英語の depression という広い概念を、「うつ」と訳してのけることも、これに一枚かんでいる。

もうひとつは治療目標の問題、何がどこまで解決されたことを「治癒」と呼ぶかだ。
いちおう抑うつ症状がとれれば「治癒」とみなすという姿勢でないと、上記の数字は到底期待しえない。いっぽう、生活の背景に踏み込んで、うつ病の原因とはいわないまでも(うつ病は必ずしも原因をもたない)、誘因や増悪因子となっていることまで取り扱おうとすれば、「治癒」に要する時間はとめどもなく長くなる。

A君のクリニックは、生活の困難を抱えた人々が多い地域にある。
彼自身の手に余るケースを振ってくることもあって、僕が毎月面接するのは家庭や職場に深刻な事情を抱えた人々や、アルコールなど他の健康ハザードをあわせもつ人々ばかりだ。薬使いの少々の「秘訣」では歯もツメも立ちはしない。

愚痴じゃないんだな、これは。こういう現場ではかどらない汗をかくことが、A君も僕も嫌いではない。だからやってるのだ。医者の中には案外、この手の汗かき好きがいるんだよ。
A君は「80歳まで臨床やるよ」と涼しい顔で言ってのける。
僕もそのつもりだが、そのためには健康管理だよね。武宮九段のおっしゃるとおりだ。

***

『治す精神科』の方向性に異議を唱えるつもりはないので、念のため。
それで治るものは、どんどん治してくださいませ。
こういうスタンスのドクターが一定数存在することは、どうしても必要だ。
ただし、それで解決するのは、ざっくり言って問題の半分だろうと思う。半分解決するのは大事なことだが、残り半分の存在を忘れてはいけない。

もうひとつ、「治す」という動詞の主語が医者だというのなら、少々異論がある。患者の中には、何とかして健康になりたいという力があり傾向がある。それなくして、治癒などありえない。
自らを癒そうとする患者の力を促進し、適切な方向に誘導するのが医者の仕事だ。
これは実感、きれいごとでも何でもないよ。




ALSのこと/土橋さん補遺

2013-08-28 08:48:56 | 日記
2013年8月27日(火)

「ALSと日本人」(勝沼さん)
 大きな宗教(特にキリスト教)と都市化、国家化といったその時代その時代のグローバリズムとは切っても切れない関係があると思います。
 さて、ALSについてですが、ALS患者の自殺率が世界の平均に比べて日本がとても低いと聞きました(確か「こんな夜更けにバナナかよ」で見たと思います)。これは日本人の死生観(人生観)を考える上でかなり興味深い情報だと思います。

***

勝沼さん、いつもコメントをありがとうございます。

そうですか、そうなんですね。
「世界」にもいろいろあるし、丁寧に考えていかないといけないでしょうけれど。そして「興味深い」という言葉で誤解を招かないように、「たいせつなカギになる」とでも言い換えておきましょう。

水野源三という人を御存じでしょうか。
「瞬きの詩人」といったほうが通じやすいかもしれません。
自分で生半可にあれこれ書くより、他人様のブログを御紹介しておきます。
http://www.k2.dion.ne.jp/~seishyo/dekigoto/mabataki.htm

あるいは星野富弘さんのこと。
http://www.tomihiro.jp/profile/

昨年の夏、海浜幕張で一般向けの講演を行いました。
『仕事・ストレス・死生観 ~ メンタルヘルスのキーワード』というもので、勝沼さん達にはすっかり耳タコの、石丸の持論開陳だったのですが。

50名ほどの受講者の中に、ストレッチャーに載って参加した男性がありました。介護者が3人ほどもついて、痩せた体に酸素吸入を行いながら熱心に聞いてくださり、終了後には2点ほど質問もなさいました。
といっても、声も出なければ手も動かせないようなのです。しかし頭は、はっきり働いている。あるいはALSをおもちではなかったか。

この方の場合は瞬きではなくて、ひらがな50音を記した文字盤を介護者が掲げて指を動かしていき、男性は望みの文字のところで素早く頷くというやり方でした。介護者との呼吸が問われる方式と思われますが、スムーズに行っているようでした。

自分が罹ったはずの病気を、この人が代わりに負ってくださった、そんな気持ちを禁じ得ないことがあります。この時がまさにそうでした。

***

土橋さんのALSは昨年診断されたもので、この病気としては比較的進行が急であったように思われる。「せめてもの幸い」という表現を、ネットのどこかで見かけたような気がするが、僕には到底受け入れがたい。
「進行が緩慢であった方が良かった」という意味ではない。自分が代わることのできない他人の人生のありように対して、身勝手な思いから幸の不幸のと評して平気な心性が傲慢だというのだ。
「障害を負って生まれてきたのでは子どもがかわいそうだ、だから中絶する」
という理屈と全く変わらない。

土橋さんは土橋さん、ここに江戸っ子ありだ。
さよなら、ありがとう!

祖霊と里山、都市の生活/土橋正幸さん逝く

2013-08-27 07:26:20 | 日記
2013年8月27日(火)

涼しい朝、当然のように寝過ごした。

勝沼さんからのコメントについて:

> 「日本人の死生観を読む」に天国の概念がなかった頃の昔の日本では、亡くなった人の魂はすぐ近くの山に行くと考えられていたと書いてありました。大きな新しい宗教は死を離れた場所へ行く特別なジャンプアップとし、小さな古い宗教(観)は死をすぐ近くに行く生と連続した移動としているように思えます。

その通りでしょうね。
「里山」というのは生態系を維持するためばかりでなく、祖霊の宿る場所としても重要であったと、誰かが書いていました。以前に紹介した私の田舎の墓地などは、まさに近場の里山の一画に位置しており、そうした死生観のひとつの象徴であったと思います。もちろん、嘗ては全国に見られた風景だったでしょう。
高度成長の中で村落共同体を物理的にも社会的にも取り崩してしまった日本人は、難しい状況に自身を追い込んでいることがこの件からもわかります。内面的には「死=身近な里山への連続移動」というイメージを引きずりながら、これを支える客観的条件を既に失っているからです。
都市の生活は、「死=遠い他界へのジャンプアップ」という死生観とセットでないと、人の不安をひどく強めるものになるのではないでしょうか。
「里山がなくても、頭上の星空があれば」と云いたいところですが、東京では星を見ることもままならないですよね。

***

宮本慎也選手、引退記者会見。
これを告げる同じ面に、ヤクルトに関わるもう一人の名選手の訃報あり。

土橋正幸さん、東映で162勝を挙げた名投手である。
僕の年代ではプレーを直に見ることはできなかったが、歯切れのよい解説に往年の投球ぶりを偲んだものだ。
9連続奪三振というと、オールスターでの江夏豊の快挙が思い浮かぶが、土橋さんはシーズン中の公式戦でこれを達成している(阪急の梶本と並ぶタイ記録)。1958年(昭和33年)のことで、相手は当時最強を誇った西鉄ライオンズだったというから、なおさら驚きだ。この年の春に長嶋茂雄が巨人入団、秋の日本シリーズでは、有名な三連敗後の四連勝で西鉄が三連覇を遂げている。

77歳での他界は筋萎縮性側索硬化症(ALS)によるものと知って、頭をさらに深く垂れた。全身の筋肉が神経原性に衰えていく難病である。御本人も夫人もどれほどかつらかったことだろう。
野球の世界では嘗てゲーリック(1903-1941)がこの病気で亡くなっており、ALSというより「ルー・ゲーリック病」と呼んだ方がアメリカ人には通りが良い。(ただし、診断には異論もあるという。)彼の名を冠したALS関連の支援基金もあるらしい。

***

夜中の大雨一転、晴れましたね 。いかがおすごしでしょうか?

 ユウガオのほのかに白く花ひらく空気の音をきくようなとき(鳥海昭子)

ユウガオは魅惑の人という意味があるそうです。
今日は埼玉の職場で働いた後、夜に浦和で講演の仕事です。

旬のS君、凄いなぁ、ちょっと過労が心配だけど。


(http://www.okadanouen.com/zukan/yuugao.html)